
必ず死ぬから、別に急がない
小さいころから、星を見るのが好きだった。
夜空を見上げていると、自分の悩みが少しだけ小さくなるような気がした。
同時に、自分という存在がとても頼りなく、心細く感じることもあった。
遠くで光っている星は、きれいなのに、少し冷たい。
手が届かないものほど、美しく見えるのかもしれない。
夕食を食べながら、宇宙飛行士のドキュメンタリーを見ていた。
宇宙飛行士が、こんなことを言っていた。
「これで人生が終わっても、自分の人生だ」
正確な言葉は少し違うかもしれない。
でも、私にはそう聞こえた。
想像もできないような訓練を積んで、何度も準備を重ねて、それでも宇宙では何が起こるかわからない。
どれだけ努力しても、どれだけ選ばれた人でも、命が終わる可能性はゼロにはならない。
それでも行く。
それでも、自分の人生として引き受ける。
きっと、そういう覚悟なのだと思った。
その言葉を聞いたとき、私はふと思った。
生きるって、残酷だな。
頑張ったからといって、必ず報われるわけではない。
大切にしてきたものが、ずっと手元にあるとも限らない。
何も悪いことをしていなくても、心が壊れることがある。
昔は、もっと頑張れば何とかなると思っていた。
ちゃんと説明すれば、わかってもらえると思っていた。
我慢していれば、いつか報われると思っていた。
でも、現実はそんなにやさしくなかった。
昨日まで普通にできていたことが、今日はできない。
返信すること。
片付けること。
ごはんを作ること。
お風呂に入ること。
そんな小さなことさえ、途方もなく重くなる日がある。
それなのに、世界は平気な顔で進んでいく。
朝は来る。
洗濯物はたまる。
通知は鳴る。
誰かは楽しそうに笑っている。
私だけが、どこかに置いていかれているような気がした。
そんな夜に、ふと思った。
必ず死ぬなら、別に急がなくていいのかもしれない。
早く元気にならなきゃ。
早く普通に戻らなきゃ。
早く立ち直らなきゃ。
早く前を向かなきゃ。
そうやって、私はずっと自分を追い立てていた。
でも、人はみんな、最後は必ず終わる。
それなら、今日中に人生の答えを出さなくてもいい。
今月中に完璧に回復しなくてもいい。
誰かと同じ速度で歩けなくてもいい。
急がなくていい。
この言葉は、人生を粗末にするためのものではない。
私にとっては、今日の自分を責めすぎないための言葉だった。
生きているだけで精一杯の日に、生活の完成度まで求めなくていい。
今すぐ元気なふりをしなくていい。
幸せになることさえ、急がなくていい。
生きることは、たしかに残酷だ。
それでも、その残酷さの中で、私はときどき小さなものに救われてきた。
温かいお茶。
洗いたてのタオル。
窓から入る風。
部屋の中の静けさ。
子供の寝息。
「今日はもう何もしなくていい」と思えた夜。
大きな希望じゃなくていい。
人生を変える決意じゃなくていい。
ただ、今この瞬間を少しだけ柔らかくするものがあれば、それでいい。
宇宙へ行く人は、特別に強い人なのだと思っていた。
でも、本当は「怖くない人」なのではなく、怖さも危うさも知ったうえで、それでも自分の人生として引き受けている人なのかもしれない。
それは、宇宙だけの話ではないのだと思った。
どれだけちゃんと生きようとしても、人生には自分ではどうにもできないことがある。
そのことは残酷だ。
でも、必ず終わるから、急がなくていい。
必ず終わるからこそ、今日の自分を少しだけ大切にしてもいい。
今日の自分をこれ以上追い詰めない。
それもきっと、私なりの小さな覚悟なのだと思う。
小さいころ、星を見上げるのが好きだった私は、
大人になった今も、同じように、
遠くて、怖くて、美しいものを見つめている。
そんなことを、宇宙を目指す人の言葉から考えた夜だった。