
パズル
パズルが好き。
パズルという言葉には
「悩ませる」という意味があるらしい。
なるほどなと思う。
私たちはいつだって、
何かしらに頭を悩ませ、
惑わされながら生きている。
だけど、パズルの本当にすごいところは、
その悩みの先に
ちゃんと「カチッ」と音が鳴る瞬間が
用意されていることだ。
「これじゃない、これじゃない」
そう言いながら何度も指先を動かし、
不格好に浮き上がっていたピースが、
ある瞬間、
吸い込まれるように隙間へと収まる。
サクッ、という心地よい手応え。
そのたびに、脳の奥のほうから
じわじわと嬉しさが込み上げてきて、
心の中で小さく「ヤッター」と快哉を叫ぶ。
パズルを作った人は、
きっとものすごい天才で、
そしてとても優しい人に違いない。
小さなピースを一つずつ、一つずつ
積み重ねていく。
その足跡が、
ちゃんと目に見える形の絵になっていく。
なんて誠実な作業だろう。
思い返せば、子どもがまだ小さかった頃は、
よく床に膝をついて
一緒にパズルを囲んでいた。
せいぜい20ピースくらいの、
キャラクターや乗り物の絵。
「できたぁ!」
満面の笑みで叫んだかと思えば、
次の瞬間には「ガッシャン!」と
豪快に音を立ててバラバラにする。
そしてまた、最初からやり直す。
その無限の繰り返しが、
愛おしくてたまらなかった。
「大丈夫、1人でできるから!」
小さな背中でそう主張されたあの日から、
私はそっと手を引いて、
見守る係になった。
私がパズルに触れることは、
それきりなくなった。
そして月日が流れ、
子どもは私の背丈を追い越すように
大きくなった。
ふと気づけば、私の手元には、
ぽっかりと自由な時間が戻ってきていた。
よし、と思って、
今度は自分のために
300ピースの箱を開けてみる。
「これじゃない、これじゃない」
「あ、ここだ、カチッ」
静かな部屋で、その繰り返しに没頭する。
何度も何度も指を動かした先に、
とうとう最後のピースがパチリとはまったときの、あの胸がいっぱいになるような感覚。
完成した絵を眺めながら、
私は、パズルってまるで人生そのものじゃないか、と考えていた。
「なんか最近、違和感があるな」
と思うときは、
きっと自分に合わない無理なピースを
一生懸命押し込もうとしているとき。
「なんだか最近、すごく調子がいいな」
と思えるときは、
目の前のピースが自然な流れで
サクサクとはまっているとき。
そうやって夢中で手元を動かして、
ふと立ち止まって振り返ったとき、
私たちの後ろにはそれぞれの、
誰とも違うたった一枚の絵が完成しつつある。
だからこそ、焦る必要なんてないのだ。
ワクワクしたり、ドキドキしたりしながら、
ピースをはめていくその時間そのものを、
愛してあげればいい。
自分で探して見つけ出すピースもあれば、
「これ、探してたやつじゃない?」って、
誰かがそっと手渡してくれるピースもある。
手元に一つしかなくて
じっくり向き合う日もあれば、
一気に30個も押し寄せてきて
てんてこ舞いになる日もある。
どんなときも、
その時々のピースを両手で眺めながら、
面白がって生きていきたい。
さて、次はどんな絵を描こうか。
新しい箱を手に取るみたいに、
私の毎日は、
まだまだこれから楽しみなことばかりだ。