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​私の名は「タダシ・シューター」。

    「正」という名前の通り、私はずっと「正しくあらねばならない」と思って生きてきた気がする。だがそれは、世間の言う正しさなどではない。むしろ世間の枠からはみ出してでも、自分がこれだと信じ、正しいと思い込んだものに、強くこだわって突き進む生き方だった。

    ​自分が正しいと思い込む強さは、自分だけの人生をドライブさせるためなら、これ以上ない強烈なアクセルになる。かつての私は、そのアクセルをただがむしゃらに踏み続けていた。

    ​けれど、家族と共に生きる人生は、私一人のワンマンプレーではない。彼女たちのありのままの生き方をただ見つめていると、自分が握りしめていた「思い込みの正しさ」というアクセルを一度緩め、チーム全体を見渡す優しさを持つべきではないか、と思えてくる。答えは私が一人で踏み込むアクセルの先にあるのではない。それぞれが日常の中で見つける「ワクワク」の瞬間の中にこそ、美しく散らばっているのだと、彼女たちの姿を見ていてふと気づかされたのだ。

    家族を別の街に残しての単身赴任生活が始まってから、1年が経った。大人になって戻ってきた実家という空間は、日常でもあり非日常でもある。かつて自分が子どもだった頃に見上げていた天井を、今度は「父親」になった自分が、一人で見上げている。

    ​これは、バラバラの場所で、それぞれの歩幅で「ワクワク」を探す、ある家族と私との、そこで迷いもがいた私の人生の文脈を編み直すための対話の記録である。

    ​【第一章】スパイクを革靴に履き替えても

    ​実家の窓の外から、時折、遠くの道路を走る車の音が聞こえる。その音を聞きながら、私は自分の右手を見る。かつて日焼けしてホイッスルを握り、ピッチを指し示していた右手は、今、パソコンのキーボードを叩き、人事労務の書類をめくっている。

    ​私の最初のキャリアは、サッカースクールを運営する会社での20年間だった。

    ​人生の半分近くを、私は緑のピッチの上で過ごした。子どもたちがサッカーを通じて成長する瞬間に立ち会い、彼らの可能性を開くことに命を燃やす日々。それが私の「日常」であり、生きがいそのものだった。

    ​しかし1年前、私はその慣れ親しんだ世界から一転、とある中堅企業の人事労務という、全く異なるルールで動く世界へとダイブした。40代を過ぎてからの、未経験の業界への転身。「なぜ、今になって?」と、周囲の誰もが驚いた。

    ​確かに、スパイクを革靴に履き替え、オフィスに座る日々は、最初は未知の連続だった。法律や就業規則など、会社の未来の仕組み(ルール)を整える重要な実務に携っている。扱うものはボールから、言葉や数字、そして組織のルールへと変わった。

    ​そうして机の上で張り詰めた数字や言葉と格闘し、組織の土台を支えるルール作りに深くコミットしているからこそ、そのルールの中で実際に生きていく「人」と生身で向き合う時間が、私にとって何より特別な意味を持つ。

    ​新入社員の導入教育をすべて終えて、彼らをそれぞれの配属先へと送り出したとき、私は胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じていた。

    ​不安と期待を胸に、少し硬い表情で入社してきた若者たち。彼らが研修を通じて、少しずつ社会人としての顔つきに変わり、自分の可能性に気づいていく。その姿を見つめる私の眼差しは、あの頃、人工芝のピッチの上で、一心不乱にボールを追いかけていた子どもたちを見つめる目と、何一つ変わっていなかったのだ。

    ​「人を育てる」「人の可能性に伴走する」

    ​ビジネスの現場であっても、サッカーのピッチであっても、根底にある文脈は同じだった。私は今、新しい場所で、あの頃培ったコーチングの視点を活かし、社員一人ひとりが「ワクワク」して働ける環境をデザインしようとしている。一見、バラバラに見えた20年と今が、カチリと音を立てて繋がった瞬間だった。

    ​【第二章】「同志」の背中を押した、命がけの言葉

    ​しかし、ここに至るまでの道は、決して綺麗なストーリーなどではなかった。

    ​20年間のサッカーコーチのキャリアを終えた後、私は別の志を抱いて、ある非営利団体へと転職した。そこには、5年前から出会い、私の進むべき道を指し示してくれていた「恩師」がいた。ずっとその背中に憧れ、追い続けてきた存在。満を持してその懐に飛び込み、共に歩み始めたはずだった。しかしその挑戦は、わずか半年、あまりにも突然の形で終わりを告げることになった。

    ​私が「夢」を追いかけ、単身赴任をしたことによって、残された家族は環境が大きく変わり、バランスが崩れたのだった。
    さらには恩師が病に倒れ、生死の境を彷徨ったのだ。緊迫した空気のなか、死に直面した直後、まだ入院中の病院からオンラインを通じて私に告げられたのは、思いもよらない「契約満了」の言葉だった。画面の向こうの恩師は、その命がけの体で、私に向かって静かに言葉を紡いだ。

    ​『僕ね、大きな病気をして死にそうになってね、人生の「まさか」ということを経験しました。それで、やっぱりタダシにとって、今は家族の近くにいることが何よりも大事だって思ったんです。

    ​振り返ると僕も、子どもが中学生の頃は家にもよくいて、しっかり向き合ってきました。妻が病気を患った時もそうです。

    ​タダシのやってきたこと、特にタダシの人間性、短い期間でしたが私は「同志」だと思っています。だから、こっちから背中を押さないとと思い、今回の決断をしました。』

    ​だが、正直に告白すれば、当時の私にはこの言葉を「愛情」として受け取れるほどの器は、これっぽっちも無かった。

    ​耳元を通り過ぎていく温かい言葉の裏で、私の心は拒絶反応を起こしていた。「なんだかんだ言っても、結局は自分の実力不足なんだ。恩師という絶対的な存在が不在となった組織の中で、残されたスタッフを統率するための求心力も、団体を維持するための資金調達力も、恩師の代わりを務めるための実績も、今の自分には何一つとして足りていない」と。突きつけられた圧倒的な無力感と、路頭に迷いかけた絶望感で、頭の中はいっぱいだった。

    ​そんな、独りよがりなトゲを抱えて立ちすくんでいた私に、実家の父親が真っ直ぐな言葉を突きつけた。

    ​「お前は、こだわりが昔から強い。自分の想いが強すぎて周りが見えないんだ。自分が正しい、自分は頑張ったと思っていても、それは思い込みかもしれない。評価するのは、相手だ」

    ​その瞬間、ハッとさせられた。世間の枠にはまらず、自分が正しいと信じ込んだものにしがみつき、「自分はこれだけ情熱を注いでいるんだからアクセルを踏み続けて何が悪い」という歪んだこだわりを盾にしていたのは、自分の方だったのではないか。父親の言葉は、私が必死に握りしめていた「思い込みの正しさ」を静かに解きほぐし、自分の未熟さを素直に受け入れる器をくれた。

    ​時間が経ち、単身赴任であるものの、家族と比較的近い距離にある今の環境で振り返ったとき、ようやく恩師の言葉の本当の重みが、血の通った温かさとして実感できたのだ。

    恩師は私の能力をただ否定したのではなかった。自らが死の淵を見たからこそ、私が今、大切な家族と向き合う時間を最優先すべきだと見抜き、あえて自分が悪者になってでも、あの病室から最後の力を振り絞るようにして、私の背中を力強く押し出してくれたのだ、と。父親と、恩師という存在が、私の独りよがりなこだわりを砕き、現実へと引き戻してくれたからこそ、私は過去の執着を捨てて、新しい組織でゼロから機能する覚悟を決めることができた。

    ​【第三章】バラバラの場所で、それぞれの歩幅で

    ​しかし、仕事のピッチで前を向き始めた私に、父親はもう一つ、家庭のあり方について鋭い釘を刺していた。長く苦労をかけてきた妻のことに話が及んだとき、父親は静かに、こう言った。

    ​「少しずつ家族の信頼を回復していくしかないぞ」

    ​恩師が見抜いていた通り、私は「自分の信じる道のために必死に闘っている」という大義名分のアクセルを踏み続け、一番大切な妻への配慮や、家庭内での本当の役割を疎かにしていたのではないか。独りよがりだった自分、反省すべき過去が次々と脳裏をよぎった。

    ​実家で一人過ごす夜、私はよくスマートフォンの『Keep』を開く。そこには、家族が放った忘れたくない言葉たちがストックされている。その中に、妻がぽつりと言った、忘れられない言葉のメモがある。

    ​『インクルーシブな社会で障害児を育てたとしても、顔見知りは増えるが、助け合えるかどうかは心のセンスしだい。それがないと, 家の中でも何もしない』

    ​次女には、重い知的障害と自閉症スペクトラムがある。彼女を最前線で育てる妻の視線は、社会の制度の先にある本質を見抜いていた。いくら周りに「顔見知り」が増えたとしても、目の前の人の痛みにスッと手が動くかどうかは、一人ひとりの内側にある「心のセンス」の問題なのだ、と。

    ​この言葉は、父親から突きつけられた「家族の信頼を回復していくしかない」という言葉、それから恩師の「家族の近くにいることが大事だ」という言葉と、激しく共鳴した。

    ​「自分が正しい」という思い込みのままに突き進むのではなく、私は一番小さな社会である「家の中」で、妻の痛みに寄り添う「心のセンス」を発揮できていただろうか。

    ​時折週末、自宅のドアを開ける。そこにあるのは、綺麗に舗装された平坦な道ではない。それぞれが異なる歩幅で、表には見せない日々の重みを抱えながら生きる、切実な日常の景色だ。

    ​紆余曲折ありながら自分で選んだ道を進み、広大なデジタルキャンバスの上で、黙々とタブレットに向かい、大好きな世界を表現し続ける長女。

    ​その傍らで、体調や心の波と静かに向き合いながら、次女をぴったりと側に引き寄せ、我が子を守るようにして過ごしている妻。

    ​家族のそれぞれが、いつも万全な状態でいられるわけではない。時には言葉にできない葛藤やしんどさを抱え、立ち止まりそうになる日もある。だからこそ、我が家に帰るとき、私はかつてのように「父親として、夫として、正しくリードしてやろう」などという傲慢な存在感を、すべて消し去ることに決めた。今の我が家で求められているのは、私の身勝手なアクセルなどではない。

    ​求められているのは、ひたすらに自分の存在感を潜め、黒子となって黙々と家事をこなし、長女を連れて外へ出かけ、少しでも家の中に息をつける穏やかな空間を作ること。家族のしんどさを静かに受け止めるための、目立たない土台になることだ。

    ​それは、華やかな安心感というよりは、どこか張り詰めた緊張感を伴う日々かもしれない。けれど、自分の小さなこだわりをすべて削ぎ落とし、ただ彼女たちの支えになるために自分を機能させようとするとき、私の胸の奥には、これまで感じたことのない、静かで揺るぎない覚悟が満ちていくのを感じるのだ。

    ​【第四章】そこで機能するという覚悟

    ​私がこれからnoteなどを通じて伝えていきたいのは、20年間のサッカーコーチとして培ってきた、現場での「知恵」や「経験」だ。子どもたちの主体性を引き出し、個性を活かし、チームとして機能させるためのアプローチ。それは、現代のビジネスパーソンにとっても、マネジメントやワークライフバランスをより良くするための強力なヒントになるはずだと確信している。

    ​その知恵を現代のビジネスの枠組みでより説得力を持って届けるための武器として、私は社会保険労務士(社労士)の勉強にも手を伸ばしている。

    ​正直に言えば、まだ胸を張れるほど十分な時間を割けているわけではない。週末になれば、やっぱり大好きなサッカーのピッチに立ち、自らボールを追いかける時間を全力で楽しんでしまう自分がいる。けれど、それでいいと思っている。最初から完璧な人間である必要はない。サッカーを愛する自分も、家族との時間も大切にしながら、自分の歩幅で地道にインプットを積み重ねていく。それこそが、私の等身大な「正直さ」だからだ。

    ​なぜ、そこまでして新しい挑戦を続けるのか。その原動力となっているのは、恩師から貰った、あのもう一つの言葉だ。

    ​『できる・できない、好き・嫌いでなく、あなたがそこで機能することが大切なのです。すると、まわりの人からあなたが期待されるようになり、チームでなくてはならない人になるのです。』

    ​未経験の人事労務の世界に飛び込んだとき、私は「本当に一からやっていけるのだろうか」という強いプレッシャーと、出来るか出来ないかの不安に揺れていた。

    ​サッカーに例えるなら、今の人事労務という仕事は、最前線で自らシュートを放つ「フォワード」のような華やかなポジションではない。だが、ディフェンスラインの前でどっしりと構えて相手の攻撃を摘み取り、そこから前線へと正確なパスを供給してチーム全体のバランスを取る、あの「ボランチ」のような役割なのだ。未知の領域ではあったが、この組織の舵取り役として、自分は本当に機能し、貢献することができるのだろうか、と。

    ​しかし、だからこそ恩師の言葉が私をすくい上げてくれた。大切なのは、派手に点数を決めることや、一人のこだわりでアクセルを踏み続けることではない。私が見てきたすべての経験、突きつけられた手痛い反省も含めて、それらすべてを総動員して、いま目の前にある組織の中で、あるいは家庭という名の最小の社会の中で、一人の人間としてまずは「機能」すること。すると少しずつ、まわりの人から期待されるようになり、なくてはならない人になっていく。その言葉通り、私は新しいピッチで少しずつ居場所を見つけ始めていた。

    ​人生のライフイベントやキャリアの転換期、人は誰しも「自分が正しい」という思い込みや、「出来るか出来ないか」の不安に駆られ、立ち止まってしまう。そんな一般のビジネスパーソンに向けて、私は「経験の『文脈』デザイナー」として、サッカーコーチとしての生きた知恵を、人事労務の視点を交えながら届けていきたい。

    ​「あなたのこれまでの葛藤や反省には、必ず美しい文脈がある。どんな場所であっても、あなたらしく機能する方法が必ずある」と。

    ​【結び】これからも、文脈をデザインしていく

    ​夜が更けていく。実家の部屋は相変わらず静かだが、私の心の中には、自宅にいる家族の姿と、私を導いてくれた父親、および恩師の言葉が温かく灯っている。

    ​私の名は、「タダシ・シューター」。

    現実のオフィス(ピッチ)では、私は組織全体のバランスを取り、ゲームを組み立てるボランチのポジションにいる。

    ​けれど、この言葉を紡ぐ場所(note)においては、私は自分の心に「正直」に、誰かの人生に響くような、まっすぐなシュートを放ち続けたい。かつて自分が正しいと思い込んだものに囚われ、一人のアクセルをベタ踏みしていた男は、今、思い通りにいかない厳しい日常の現実を受け入れ、その中で必死に大切な家族の営みを守り、誰かの人生の文脈を編み直すデザイナーになろうとしている。

    ​インクルーシブな社会の地平で、本当の「心のセンス」を教えてくれる妻と娘たち。

    そして、耳の痛い本質を突いて私を現実に引き戻し、新しいピッチへの縁を繋いでくれた父親、および私の背中を押してくれた恩師。

    ​これまでnoteに紡いできた言葉は、迷い、立ち止まり、激しく反省しながらも、自分の心に「正直」に生きようともがいた私の足跡そのものだ。家族の信頼を少しずつ回復していくその歩みとともに、このエッセイもまた、誰かの日常に小さな変化を起こすための、一つの「機能」となってくれたらと願う。

    ​私はこれからも、経験の『文脈』デザイナーとして、人生という名のピッチを、自分の足で一歩ずつ、歩み続けていく。

    #創作大賞2026
    #エッセイ部門


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