
おやすみを売る町 最終話 後編 おやすみを売る町
「……なんで宵(おまえ)、そんな寂しそうなんだ……」
苦しげに呻いた朔に、宵は一瞬目を瞬いて。泣き出す前みたいな顔で、それでも唇の端を吊り上げた。
「忘れて、傷ついて傷ついて、壊れそうに欠けていく人間の夢はぁ、ーー最上級品なのよぉ」
だからぁ、と宵が朔に手を伸ばす。
「朔をちょうだい、アタシに」
宵の目が、炎みたいに燃えていた。まるで、食い尽くさんとするように。だから。
「……いい」
「え?」
「いいよ」
朔の声に、宵がきょとんとした顔をする。今までで一番、人間らしい、と思える表情だった。胸に、じんわりとした何かが広がる。
「望は大切だ、今も。でも……、いなくなって」
ずっと。一緒にいると思っていた。
大好きだった。
自分の半身。
目覚めたら、
いつの間にか、いなくなっていた。
心が寒い。名を思い出しただけで、胸が引き裂かれるかのように傷む。
それ以上に、彼女が大切だったと思う気持ちが、溢れてくる。
「…………」
知らずと目を閉じて心を震わせ、そっと息を吐く。
今、比較的穏やかな心境で、ここにいられるのはーー
目を開き、微かな胸の痛みを覚えながらも宵の、艶やかな黒髪を指で撫で透く。
「宵が来た。望の事は好きだけど、一緒に笑って、怒って、泣いて、一緒に今まで。生きてきたのは、宵だから」
宵の目を見る。見上げた宵の目は、揺れていた。頬に手を添える。親指の腹で、涙を拭った。
望がいなくなっても、ずっと側にいてくれた。
「思い出したら、俺。……壊れるんだろ?」
「っ」
宵の顔が歪む。今日は初めての表情ばかり見るな、と思う。
自分の白い髪が視界の端を掠めた。
本当は望や宵と同じ、黒髪だったはずの、髪。
「お前が、そんな顔をするくらいなら」
記憶なんて、なくていい。
「さ、く」
宵が、息を飲んだ。その瞳は揺れ、唇は、ぱくぱくと動くだけで音をなさない。また、宵の目から雫が溢れた。朔は宵に微笑んで。
色素の薄い目を細めて、目の前の女を抱きしめながら。朔は囁いた。
「ーー俺の記憶を消してくれ」
一度ぎゅっとしてから、そっと離れる。
微かに躊躇った白い手が、朔の視界を遮る。だが、その指先は震えていた。伸ばした手が引っ込められかけて、朔は反射的にその手を掴んだ。
「……宵?」
首を傾げて名を呼べば、ビクリと宵の身体が震えた。
「……に」
「ん?」
「アタシ、本当に……朔の側にいて、いいの……?」
ぽろぽろと涙を流す宵を、綺麗だな、と見上げながら。朔は優しく呟いた。
「当たり前だろ」
息を詰めて、目を閉じ、俯く宵。暫くキラキラと涙を溢していたけれど、手の甲で拭って、それから。
困ったような笑顔で、頭を上げた。
まったく泣き虫だな、と朔は思いながら、
「ーーおやすみなさい」
朔の意識は、そこで途切れた。
ただ、掴んでいた宵の手は、決して離していなかった。何処かから声が、聞こえた気がした。
ーー良かったね、朔、宵
朔はまた、記憶を忘れた。
「宵姉、どこに行くんだ?」
「お仕事よぉ。一緒にいらっしゃい、朔」
「……ああ」
そして二人は。
また、並んで歩き出した。
世界を、滞りなく回すために。
今日も町は、「おやすみ」を売る。
完