
がんは、私の人生の二割になった
がんは、消えていない。それでも、頭の中の二割になった。
直腸がんステージ4。余命を告げられた私の記録。
今、私の体の中にはがんがある。
肺に二つ、骨盤に一つ。
窓の外はいつも通りの空で、洗濯物が風に揺れている。
がんは、見えない。
頭の中でがんが占める割合は、今は二割くらいだ。残りの八割で、私は今日も生きている。
そこにたどり着くまでに、何度も底に落ちた。
これは、その底の記憶と、少しずつ人生を取り戻していった記録。
きっかけは、友人の何気ないひと言だった。
『痩せたねー。大丈夫?』
検査を重ねるうちに、私は少しずつ壊れていった。そして告げられた。直腸がん、リンパ節への転移。手術の前に、放射線と抗がん剤治療をすること。
手術前の説明で、外科の先生は淡々と言った。
『直腸を半分切除します。排便障害が出ます。もとの身体には戻れません。人工肛門を半年間つけます』
もとの身体には、戻れません。
その一言だけが、耳の奥に張りついて離れなかった。
診察室を出てからも、頭の中でその文字だけが何度も点滅していた。
心はまだ、それを現実として受け取れずにいた。
手術当日の朝。
眠れないまま迎えた朝は、現実感がなかった。
病室のカーテンの隙間から差し込む朝日を見ながら、私はただ、子どもたちの顔を思い浮かべていた。
負けてはいけない。また日常を守り戻すんだ。
手術室までは、歩いて行った。廊下の長さが、いつもの何倍にも感じられた。すれ違う看護師さんたちの足音、消毒液の匂い、天井の蛍光灯の数を、なぜかひとつひとつ数えてしまう。
手術台に横たわると、冷たい金属の感触が背中に広がった。人工呼吸器をつけられ、そのまま深い眠りに落ちた。あっけなく、記憶が途切れた。
目が覚めると、体中に管がついていて、身動きひとつとれなかった。まだ現実なのか夢なのか分からなかった。
おそるおそるお腹を触った。ストーマは左側についていた。よかった、永久ではない。そう聞いて、一気に緊張がほぐれ、また深い眠りに落ちた。
その夜、夢を見た。とても、すごく、切ない夢だった。
娘の合唱コンクール。歌い終わったあと、みんなと笑い合い、夏祭りやハロウィン、餅投げやコンサート。夢の中の私は、いつものように忙しく元気に駆け回っていた。息を切らして、笑いながら、あちこちを飛び回っていた。そんな私を、娘が手を繋いで呼び止めた。
『お母さん、危ないよー』
娘の手の温度、笑い声、その全部がやけにリアルだった。
そして、目が覚めた。
一瞬、ここがどこか分からなかった。
管につながれた自分の体、天井の白い光、消毒液の匂い。ゆっくりと、記憶が戻ってくる。
そうだ。私、手術したんだ。
夢か——
そう思った瞬間、涙が勝手にあふれ出した。
夢の中の私は、あんなに元気だった。息を切らして走れた。娘の手を握り返せた。
もう、あの時の元気な自分には戻れない。
その言葉が、体の中を落ちていく感覚がした。
私は天井の一点をじっと見つめたまま、動けなくなった。視線を外すことができない。まばたきすら、忘れていた。
シーツの端を、無意識に握りしめていた。指先に力が入るたび、点滅を続けるモニターの音が、やけに大きく耳の中で響いた。ピ、ピ、ピ——その規則正しい音だけが、やけにはっきりと聞こえて、逆に自分の体がどこにあるのか分からなくなっていく。
管につながれた体、動かない足、お腹に残る違和感。そのすべてが、私の上に降り積もっていった。
どうして、私ががんになっちゃったんだろう。
毎日頑張って過ごしてきたのに、どうして。
なぜ、私じゃなきゃだめなの。
今まで蓋をしてきた感情が、一気に溢れ出した。こんなに声を出して泣いたことなんてなかった。夢があまりにリアルだったぶん、現実の辛さを受け止められなかった。声を殺そうとしても殺しきれず、嗚咽のような音が漏れた。シーツを握る手に、また力が入った。
泣いている私を見かけて、ICUの看護師さんが声をかけてくれた。
『不安や質問も、遠慮せず言ってくださいね。お母さんだから、ずっと感情を抑えてきたんですよね。我慢しなくていいんです。どんどん吐き出してください。私が受け止めます』
さらにこう続けた。
『私も最近入院して、軽い手術を受けたんです。その時、痛みが辛くて我慢できなくて。今まで患者さんに“頑張って”とか“我慢して”とか言っていた自分を、すごく反省しました。だからこれからは、無理に頑張れなんて言わないって決めたんです』
その言葉に、張り詰めていた何かが少しだけ緩んだ。窓の外はもう真っ暗で、モニターの光だけが規則正しく点滅していた。
夜が更けても、眠りは浅かった。管につながれた体を少しでも動かすたびに、痛みが鈍く響いた。廊下の向こうで、誰かのアラーム音がずっと鳴っていた。
死んでしまっても構わない。
そう思った瞬間もあった。指一本動かすのも億劫で、このまま眠りの中に溶けていけたらいいのに、と思った夜だった。
でも、夢の中で娘に呼び止められたあの手の感触を思い出して、私は決めた。
私、死にたくない。
まだ娘の近くにいたい。
絶対に死ぬもんか。
そう、心に決めた。
そこから先の数年は、駆け足で過ぎていく。
ストーマとの生活を受け入れ、退院し、桜の下で娘の入学式に間に合った。
閉鎖術という二度目の山を越え、排便障害と付き合いながら、日常を少しずつ取り戻していった。
そして、再発が見つかった。
『再発です。肺に2箇所、骨盤に1箇所、転移しています』
『あとどれくらい生きられますか』
『何も治療しなかったら半年。延命のための治療をしたら2年くらいかな』
長くはない、ということか。
会計をすませ、車に乗り込んだ。帰り道、また泣きながら運転した。
車の中は、私にとって大声をあげて泣ける唯一の場所だった。
家に帰ると、期待した顔で夫が『どうだった?』と聞いてきた。私は心の中で謝りながら、口を開いた。
『再発したって……』
夫は言葉を失い、その場に立ち尽くした。何も言えないのだ。かける言葉を完全に見失っている。
余命のことだけは、胸の中にしまった。それを告げたら、夫は立ち直れなくなる。娘にはまだ、何も言えなかった。学校の話をする娘の何気ない会話に、私は静かに涙をこらえていた。
夜、リビングのテーブルにノートとペンを置いた。テレビの音を消すと、部屋の中が急に静かになり、自分の心臓の音だけが聞こえるような気がした。
肺の手術は可能なのか、がんゲノム医療の適応はあるか、陽子線治療は‥
一つ一つ書くたびに、胸の奥に溜まっていた不安が少しずつ形になり、目の前に現れていった。
これでいい、次の診察でひとつずつ確かめればいい。そう自分に言い聞かせ、ノートをパタンと閉じた。その音が、少しだけ背中を押してくれた気がした。
質問をノートに書き出し、外科と内科、両方の診察を受けた。
がんゲノム検査、陽子線治療‥
調べられるものはすべて調べた。
『とことん知る、その考え方が前向きでいいと思う』と、信頼する先生が背中を押してくれた。
そして、結果を聞く日が来た。
先生はカルテから顔を上げ、こちらを見た。その目を、私は途中から見ていられなくなった。視線が、自然と膝の上に落ちていく。
『どちらも、適応はありませんでした』
診察券を持つ手に、力が入った。爪の先が、券の角に食い込む。痛いはずなのに、痛みは感じなかった。
『治験も、今のあなたの状態だと、おすすめできません』
先生の声は、そこから急に遠くなった。まるで水の中で誰かが喋っているみたいに、言葉の輪郭だけがぼやけて聞こえる。抗がん剤、延命、経過を見ながら‥
単語だけがぽつん、ぽつんと耳に届いては、意味を結ばずに消えていく。
膝の上の診察券を、私はまだ握りしめていた。指の跡が、券にくっきりとついていた。
診察室の空気が、耳の奥でゴワゴワと鳴っているように感じた。胸の奥で、何かがブツリと切れる音がした。何度も何度も、希望が打ち砕かれてきた。でも今度は、もがく先すら見えなかった。
もう、することがない。
生きたい。生きたい。
何度もそう願ってきたのに。
このままでいい。もう、いいのかもしれない。
そう、一瞬だけ本気で思った。
会計の窓口で名前を呼ばれても、しばらく気づかなかった。病院の待合室で、私は動けなくなった。椅子に座ったまま、天井も床も、自分の輪郭さえもぼやけていくような感覚だった。
そのとき、どこからか歌声が聞こえてきた。
隣に座る小さな女の子が、鼻歌を歌っていた。何の曲かも分からない、たどたどしい鼻歌。キラキラとした笑顔で、足をぶらぶらさせながら。
はっと我に返った。
そうだ。私は諦めちゃいけないんだ。娘のために、生きなきゃ。
病院の外に出ると、空はさっきよりも少し明るく見えた。
以前は、頭の中は「がん」に占められていた。何をしていても、心のどこかで常にそれを考えていた。息をするたびに、体の中にあるものを思い出していた。
そして、治療のタイミングは、自分で決めると決めた。
冷蔵庫の中身が少しずつ変わっていった。
野菜を選び、調味料を見直し、一つひとつ口に入れるものを考えるようになった。
完璧なくらい食事を見直し始めると、娘が呆れたように笑った。
『お母さん、こだわりすぎだよ』
『わかるよー』
そう返しながらも、私はやめなかった。
何かに取り憑かれているかのように。
冬には、抗がん剤の後遺症の痺れで瓶の蓋も開けられない日が続いた。
そんな中、休学して絵を学ぶ息子からLINEが届いた。
『お母さん、絵が売れたよ!』
すぐに電話をかけた。
『継続は力だ。母さんも頑張れよ』
思わず笑った。さっきまで気になっていた痺れを、そのときだけ忘れていた。
そして、私は犬を迎えた。
娘と一緒に犬を見に行った。抱き上げた小さな体は、驚くほど温かかった。
『この子にしよう』
娘が笑った。
あの笑顔を見て、この子を迎えてよかったと思った。
季節がひとつ、またひとつと過ぎていった。
そして、ある日の検査。
診察室のドアをノックすると、いつもの椅子に、いつもの先生が座っていた。パソコンの画面をこちらに向けたまま、マウスを一度クリックする。その音が、やけに大きく響いた。
膝の上で、両手を組んでいた。指先が、少し冷たい。いつもの癖で、無意識に組んだ手に力が入る。
先生は、いつもと変わらない口調で言った。
『進行のスピードが、緩やかになっているね』
一瞬、言葉の意味が頭に入ってこなかった。何度も心の中で繰り返して、ようやく理解が追いついた。
消えたわけじゃない。奇跡の完治でもない。ただ、少し、緩んだ。それだけの言葉だった。
それでも、組んでいた手から、力が抜けていくのが分かった。詰めていた息を、初めてゆっくりと吐いた。肩が、すっと下がった。
その瞬間、窓から差し込む光が、さっきより少し柔らかく見えた。先生の声のトーン、パソコンのキーボードの音、廊下から聞こえる誰かの足音。
それまで意識にも上らなかった細部が、急に鮮明になった。
大きく泣いたわけでも、飛び上がったわけでもなかった。ただ、静かに思った。
ああ、私の体は、ちゃんと生きようとしている。
会計を済ませ、駐車場に向かう。エンジンをかけ、シートベルトを締めながら、いつもは急いで抜ける道を、その日はゆっくり走った。
信号待ちの間、隣の車の家族連れ、道端の花、コンビニの看板。何も特別なものはない。
それなのに、そのひとつひとつが、やけに輪郭を持って目に飛び込んできた。
家に帰ると、玄関でスニーカーを脱ぎながら、娘が「おかえり」と顔を上げた。
何気ない、いつも通りの声だった。
台所からは味噌汁の匂い、犬が足元にまとわりついてくる。
その「いつも通り」が、これほど尊いものだったなんて。
以前は「治すため」だった毎日が、いつの間にか「味わうため」の時間に変わっていた。
検査前は、やっぱり少し怖い。
未来を考えると、胸がざわつく日もある。
それでも、それは一日のすべてではない。
朝の光のほうが大きい。
整えた食事の湯気のほうが温かい。
何気ない娘との会話のほうが、ずっと心に残る。
そして気づいた。
がんのことを考えていない時間が、増えていることに。
十割だったものが、今では二割くらいになった。
それで、十分だ
死ぬこと自体より、私がいなくなったあとの娘の方が、ずっと心配だった。
娘が「大人になったらお金あげたい」と言う裏に、言葉にできない不安があるのを感じたとき、私は言った。
『大丈夫だよ、死なないよ』
そんな嘘はつきたくなかった。だから代わりに、こう言った。
『一緒に海外旅行、たくさん行こうよ。英語ペラペラになってさ』
安心させるとは、不安を消すことじゃない。未来を、そっと一緒に描くことだった。
余命宣告から一年が経ち、また誕生日を迎えた。
一年前は、「もう誕生日を迎えることはないんだ」と思っていた。当たり前に年を重ねる人たちが、眩しかった。
今年、庭のツツジを見て「綺麗だな」と思えた。
花びらの一枚一枚に朝露が光っていて、犬が匂いを嗅ぎながらその周りをぐるぐる回っている。去年は、そんな景色を味わう余裕さえなかった。
想像していたような大きな感動は、なかった。
でも、どこかで私は、「また誕生日を迎えること」を、当たり前のように感じていた。
それくらい、今を生きていた。
がんを克服したわけじゃない。戦いに勝ったわけでもない。
それでも、私は、がんに人生を明け渡さなかった。あの日、十割だったものを、少しずつ、自分の手に取り戻してきた。
肺に二つ、骨盤に一つ。がんは、今もそこにある。
それでも、頭の中の二割だ。
残りの八割で、私は今日も生きている。
味噌汁を作り、娘と笑い、犬の頭をなでる。
それで十分だ。