
入梅とちいさな旅
珈琲店を出たら、小雨が街を包んでいた。
光が交錯する夜の道に傘をさすと、
雨はやわらかいけれど、少し肌冷えした。
折り返していたカーディガンの袖を
伸ばそうとしたら、なにかくっついている。
コーヒー豆みたい。
あ、こがねむし。
これは、ビロウドコガネ。
深みのある葡萄茶 の光沢をもつこがねむしで、
うつくしいのに、ハンプティ・ダンプティのようなまんまるい体型。
いつのまにか、袖口にご乗車。
街灯に惹かれてきたのかもしれなかった。
雨の道行もちょっと楽しい。
私はそのまま帰ることにした。
したしたと降り続く雨の中、
叢 からはリーリーとくぐもった声がした。
たくさんの車が、信号の赤や青を跳ね散らかしながら行き来する。
「どこからきたの?」
ビロウドコガネは、所在なさげに後ろを向いたり、前を向いたりしている。
ここはどこ? と思っているのかもしれない。
コンビニを通り過ぎ、川を通り過ぎ、橋を渡って芒 の野原を通り過ぎた。
それでもまだ袖にいる。
住宅街を抜け、幹線道路を渡り、マンションの裏手の池まで来た。
池からは、無数の蛙の声。
「すごいね、いい声だね」
こがねむしはじっとしていた。
その先の十字路を渡ろうとしたとき、
こがねむしがいないことに気がついた。
袖を伸ばして確認したけれど、どこにもいなかった。
蛙の池を過ぎたあたりだろうか。
闇の中に途中下車したようだ。
振られた。
私の家にも仲間がいるのに。
そんなことを思った。
そういえば、家で飼っている巻貝も、
水面から出て、高く登っていた。
天と地をつなぐ雨のふる日は、
境界を越え、
遠くへ行きたくなるのだろうか。