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【童話】ハニーチーズナンとクラーケンの話


    深い海から上がってきたクラーケンがいました。

    初めての海の上でした。

    そこは光がたくさんあって、はるか上に空色の海が浮かんでいました。

    クラーケンは触手の先っぽを上の海に出しました。

    あちっ!

    なんだか、ひりひりしました。

    クラーケンは、いろんなにおいを嗅ぎました。

    深海にはない、魚じゃない匂い、海藻じゃない匂い。

    なんていったらいいかわかりませんが、胸がふくらむ匂いです。

    ふと、その中に、気持ちのいい丸い匂いを感じました。

    近寄っていくと、人間がたくさんいました。




    クラーケンは港へ近づこうとしました。

    すると、人間に止められました。

    「港湾使用許可は得ているのかね?」

    クラーケンは、何を言われているのかわからず、泣きそうになりました。

    触手をキュルキュルと巻いて、体の色をいろいろ変えてみました。

    でも、人間はわかってくれそうにありません。

    クラーケンは、長い長い触手を海からちょっとだけ出しました。

    そして、いい匂いへ向けてみました。

    「ひょっとして、カレーが食べたいのか?」

    「いや、軟体動物にスパイスは危険かもしれないぞ」

    人間たちは大騒ぎになりました。




    そこへ、ある白い服を着た人がやってきました。

    クラーケンは、あの丸い匂いを感じました。

    その匂いは、手に持っているものから漂っているようでした。

    それで、触手の先っぽをきゅるんと巻いて、その手へ向けました。

    「……好き」

    の合図でした。

    その人はカレー屋さんでした。

    くるくる回っている触手に気づいて、優しく話かけました。

    「ナン、食べるかい?」

    あちっ!

    さっきの痺れるような暑さとは違う、やわらかい熱さでした。

    「…なん🥰」

    クラーケンは、ちょっとずつちぎって食べました。

    もちっとして、とろっとして、びよーんとしていました。

    こんなにおいしいものがあるなんて!

    クラーケンは、ハニーチーズナンが大好きになりました。

    港湾当局の人は言いました。

    「触手をたたむのなら、係留許可を出します」

    クラーケンはよくわかりませんでしたが、ハニーチーズナンのためならなんでもしようと思いました。

    それから毎朝、カレー屋さんは焼きたてのハニーチーズナンを持ってきてくれました。

    「いっぱいお食べ」

    「…なん🥰」

    港のみんなは、なんだかうれしくなりました。




    いつしか、人びとはクラーケンを「ナンちゃん」と呼ぶようになりました。

    それから、ハニーチーズナンを食べるクラーケンとして動画サイトに投稿されました。

    朝のニュースでは、“本日のナンちゃん”というコーナーまでできました。

    ナンちゃんは幸せでした。

    港の中では、触手をたたむことさえ忘れなければ、毎日ハニーチーズナンが食べられたのです。




    ところが、ある日。

    ナンちゃんは、触手をたためなくなってしまいました。

    大人になって、狭い港に入りきらなくなってしまったのです。

    「…なん😭」

    人間のきまりを守れなくなって、ナンちゃんは泣きました。




    数日後、ニュースが流れました。

    『港でハニーチーズナンを食べるクラーケンとして人気だった〝ナンちゃん〟が、成クラーケンになり、沖へ帰されました』

    それから、ナンちゃんを見た人はいません。

    動画に、はふはふとハニーチーズナンを食べるナンちゃんの姿が残るばかりでした。


    おわり

     
     

    恋

     
     
    れん。世界に恋する人。 日常の小さな出来事を綴っています。

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