
「お母さんってしあわせだよね」と言われたい。
子どもには子どもの人生がある
親が、子どもにできることは、少しずつ減っていく。
成長した子供に対して、もうそんなにできることはないんだろう。
ただ、もう少しだけ子供を離れたところから見ていたいなとは思う。
もちろん何かあったときは助けにも行くし、相談にも乗りたい。それと同時に、私が幸せでいることが、子供も幸せなんじゃないかなと思い始めた。
伝えたいなぁ、この気持ち。
これは、「ときにはあまえて」(子供は親に甘えていいんだよっていう文章)
に対してのanswerになっている。
親子間の連鎖というと、マイナスのイメージで捉えられ、経済的な格差や家庭環境について語られることが多い。でも、連鎖するのはそれだけじゃないと思う。
それとは別に、Happyな連鎖もあるんじゃないでしょうか。
やさしさや思いやり、安心感のような「幸せ」だって、受け渡されているかも知れない。
そして気付かないけど、マイナスとプラスの部分、公平に両方連鎖していってしまう。
親がいて、子どもがいて、その真ん中に私は立っている。今の私は、親の立場でもあり、子どもの立場でもある。
いつの間にか私は、両方の気持ちや立場がわかる年齢になっていた。
愛情の矢印が一方通行から多方向へ変わった
子どもたちが小さい頃は、祖父母→親へ、親→子へ、矢印はほぼ片道通行だった。
アレ?いつからだろう
親から子への片道通行が、子どもから親、親
から祖父母、孫から祖父母?
祖父母から子ども?矢印→が飛び交っている。
もうなんだかグルグルぐちゃぐちゃでルートなんてあってないような状態なのではないか?
なんて、考えたら、笑っちゃう。
みーんな、互いのしあわせを希んでるんだよね。
「幸せ」が親子三世代をぐるっと一周して、多方向に行くのは、素敵なことだな。
溢れちゃうよ。
もしかして、その溢れた気持ちは、他の人へ向かうのかな。
私に出来ること
子どもが、望み通り自立していったあと、あまりに子供に関わるのは、ウザいらしい。
子どもからしたら、当然かもしれない。
だって、自分はもう自立した大人だと思ってるんだもん。要らぬおせっかいだろう。
わかるよー、私も通って来た道だから。
そしたら、何が出来る?私に。
そうね、私は私で、
自立した生活を続ける。
自分でしあわせになる。
せめて、私自身が幸せでいることが、子供にとったら、安心できることかも知れない。
そのためには私は私自身で、自分を楽しませなきゃ。
変化してきた関係
これからは、子ども達にしてもらう事が増えてくるかも知れない、たぶん確実に。
小さい頃は抱っこしていたのに。
いつのまにか、子供は、成長して、私を追い越して行った。
そして、追い越された時から、子供達を頼りにしていたと思う。
以前、一人では抱えきれない時、迷いながら息子に電話していた事がある。息子はすぐに来てくれた。
今はね、寄りかかっても受け止めてくれる存在になってきたかも知れない。
だから、つい、頼ったり、コンビニでお菓子なんて買って貰ったり、嬉しくて甘えてみる。
そうね、ゆくゆくは、
「お母さんって、結構好きなことして幸せだったよね」
と言われたい。
あ、これ‥‥って、子供達が、私をしあわせにしてくれてるってことだよね⁈
あら、はからずも、子どもに見守られてるようなもんだね。あっちは、1m mも考えてないだろうけど、ま、それでいいんだよね。
