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「誰の得にもならない投稿はゴミ」という言葉にザワッとした夜

    マネーペニー

    Xを眺めていた夜、こんな一文が流れてきました。

    「誰の得にもならない情報を投稿するやつ、ネットのゴミ。」

    正直、心のどこかに冷水をかけられた気がしました。
    「あ、いま私が書こうとしていること、もしかして“ゴミ”判定されるやつ?」
    そんなイヤな想像までセットでついてくる言葉です。

    でも、スクロールしてもこのモヤモヤが消えない。
    むしろ、SNSのタイムラインが少し灰色に見えてしまった。

    この違和感をほどいていくと、
    「Facebookに投稿する人が減っている理由」や、
    「SNSから“どうでもいい日常”が消えつつある理由」と、
    どこかでつながっている気がしてきました。


    「有益じゃないもの=ゴミ」という視点のしんどさ

    「誰の得にもならない情報はゴミ」という人は、きっとこう思っています。

    • SNSは有益な情報を流す場所

    • 誰かの役に立たないなら存在価値なし

    • タイムラインは“役立つ情報”だけで埋めたい

    効率だけで考えれば、筋は通っています。
    でも、これをそのまま自分にも適用したら、かなり息苦しくなりませんか。

    • ランチの写真

    • なんとなくの愚痴

    • 子どもの成長報告

    • 今日観た映画の「良かった!」の一言だけの投稿

    こういうものは、すべて

    「誰の得にもならない=ネットのゴミ」

    というジャッジで一掃されてしまう。

    リアルの世界に置き換えると、

    「誰の役にも立たない雑談をするやつ、人間のゴミ」

    と言っているのと、そんなに変わりません。
    そこまで言い切ってしまう価値観に、私はちょっとゾッとします。


    「誰の得にもならない投稿」って、本当に“誰の得”にもなってない?

    そもそも、「得」ってそんなに単純でしょうか。

    • 書いた本人にとっては
      → 感情のガス抜き、記録、自己表現になる

    • たまたま似た感情の人にとっては
      → 「自分だけじゃなかったんだ」と心が軽くなる

    • 未来の自分にとっては
      → 忘れていた当時の気持ちを思い出す“タイムカプセル”になる

    こんなふうに、「今この瞬間、明らかに役立つ情報」じゃなくても、
    じわじわ効いてくる“得”はたくさんあります。

    「誰の得にもならない」と言い切るのは、
    ただ単に 「自分にはその価値が見えなかった」 だけなのかもしれません。


    Facebookから「日常」が消えていった理由

    ここ数年、Facebookに投稿する人が目に見えて減った、と感じている人は多いと思います。
    私自身も、以前のように気軽に日常を投稿しなくなりました。

    理由はいろいろあります。

    • 炎上や叩きが身近になった

    • “リアルな友だち”と“仕事関係”が混在していて、何を書いても誰かの目が気になる

    • 「いいね」の数が、投稿の価値のように見えてしまう

    • ビジネス投稿や宣伝、告知が増え、「日常は場違い?」と感じるようになった

    そして何より、

    「これを書いて、誰の得になるんだろう?」

    と自分で自分に問いかけて、
    そこで手が止まってしまう瞬間が増えた気がします。

    有益じゃなければ出さない。
    役に立たないならアップしない。

    その積み重ねの結果として、
    Facebookから“どうでもいい日常”が静かに消えていった。
    そんな仮説を、私は勝手に立てています。


    SNSが「番組」になってしまった世界

    テレビ番組で考えると分かりやすいかもしれません。

    • 売上につながる情報だけ

    • ためになる解説だけ

    • 役立つライフハックだけ

    これだけで構成された番組は、たしかに「有益」です。
    でも、そこに

    • 意味のない一言コメント

    • 緊張をほぐすくだらないやりとり

    • 台本にはない、どうでもいい雑談

    が少し混ざることで、やっと“人間が映っている番組”になります。

    今のSNSは、
    みんなのアカウントが「番組枠」になってしまった世界に近いのかもしれません。

    • 有益な情報を届けなきゃ

    • フォロワーに刺さる内容じゃなきゃ

    • ビジネスにつながる投稿じゃなきゃ

    そうやって「番組」としての完成度を上げようとするほど、
    余白や、ムダや、ただの「なう」は削られていく。

    でも、人がなぜそこに居続けたいと思うのかは、
    効率や有益さだけでは説明できないんですよね。


    「ネットのゴミ」扱いされた投稿たちの、ささやかな仕事

    私は、誰かのタイムラインに流れてきた

    • 「今日はなんにもやる気が出ない」とか

    • 「コンビニで買ったプリンがやたらおいしかった」とか

    • 「Facebook久しぶりに開いたけど、もう浦島太郎状態」とか

    そんな投稿に、ふと救われることがあります。

    「私だけじゃないんだ」と思えたり、
    「あ、これ今度パク……参考にしよう」とネタにさせてもらったり、
    なんてことない一文が、その日の気分を少しだけ変えてくれる。

    その力は、
    教養として完璧にまとまった“有益ツイート”や、
    バズりを狙ったショート動画とは、別のベクトルにあります。

    どちらが上とか下ではなくて、
    役割が違うだけだと思うのです。


    有益じゃない投稿を、もう少し許してみる

    「誰の得にもならない情報を投稿するやつ、ネットのゴミ。」

    この言葉にザワッとした自分の感覚は、
    まだ「ムダ」を切り捨てきれない、人間側の抵抗なのかもしれません。

    • 役に立つ投稿もいい

    • ビジネスに効く投稿もいい

    • でも、
      なんの役にも立たないように見える投稿が、
      誰かの一日をふっと軽くすることもある

    そんなことを、忘れずにいたいなと思います。

    SNSがどれだけ「戦略ツール」になっても、
    そこに、うっかりこぼれ落ちたような「どうでもいい日常」が混ざっている方が、
    私は安心してスクロールできます。

    だから私は、
    「ネットのゴミ」と言われるかもしれない投稿も、
    ときどきは、あえて残しておきたい派です。

    最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


     
     
     
    放送作家歴30年×生成AIクリエイター。「Moneypenny File|思考の武器」で仕事とAI時代の働き方を現場の言葉で読み解く。新刊『SNSに頼らないKindle出版』発売中。Amazonのアソシエイトとして、マネーペニーは適格販売により収入を得ています。

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