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Photo by歌川広重 / メトロポリタン美術館

何も聞かされなかった転校

    両親の離婚は、
    1980年代のはじめごろ。

    姉は5年生。
    私は3年生だった。

    ある朝、父が仕事に出ると、
    母はどこか慌ただしかった。

    学校にも、ついてきた。

    教室で、みんなの前に立たされる。

    「今日で〇〇さんとお別れです」

    「えっ?」

    突然の転校だった。

    学校が嫌だった私は、
    どうでもよかった。

    けれど姉は。

    近所に仲良しの友達がいた。

    「さようなら」も言えないまま、
    引っ越したのだ。

    姉と私は、叔母夫婦に連れられて
    あの家を出た。

    県外の叔母の家で、
    暮らすことになった。

    叔母夫婦は、とても優しかった。

    いとこの兄が二人いた。

    ここは、
    私にとって、
    唯一、安心できる場所だった。

    叔母は、近くに住む女の子を二人、
    呼んでくれていた。

    新しい小学校にも、
    その子たちと通った。

    同じクラスだった。

    姉は、少し寂しそうだった。

    自己紹介は、まだ父の名前。

    夏休みが終わるころ、
    母が、知らない「おじさん」と
    迎えに来た。

    受け入れられなかった。

    帰りたくなくて泣いた。

    そして、また転校だった。

    この学校へ通っている間に、

    母の名字に変わった。

    六畳二間の古いアパート。

    玄関を入ってすぐの和室は、
    電気をつけないと真っ暗。

    お風呂にドアはなく、
    ビニールカーテンがかかっていた。

    脱衣所もなく、
    洗面所と、トイレ、
    お風呂の入り口が同じ。

    どこか落ち着かなかった。

    ここから、
    少しずつ、何かが変わっていった。

    父と久しぶりに再会したのは、
    この家に引っ越してから、
    間もなくだった。

    三菱ランサーの青い車は
    マニュアル車だった。

    見慣れたその車へ、
    姉と走った。

    草履姿の父は、変わらなかった。
    少し、やつれて見えた。

    私は泣きそうになった。
    父も、同じように見えた気がした。

    久しぶりに、家に帰った。

    台所には、空の一升瓶が、
    いくつも並んでいた。

    懐かしい家だった。

    何も、残っていなかった。









     
     
    不登校の母です。この春、高2の娘はほぼ回復していますが、まだ安定していません。中2の娘は不登校で、もう少し様子見が必要です。私自身も中学時代に不登校の経験がありますが、解決策はありませんでした。ただ、その時々で感じた事を、少しずつ書いていこうとおもいます。

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