「今とはいつなのか?」
今とはいつなのだろう。
時計を見る。
5時32分。
これが今だと思う。
でも、
5時32分だと確認した時には、
もう何秒か過ぎている。
さっき見た時刻は、
もう過去になっている。
では、
今はどこにあるのだろう。
一秒という長さなら、
まだ分かりやすい。
でも、
その一秒にも、
最初と最後がある。
もっと細かくすれば、
その間にも時間がある。
どこまで細かくしても、
今だけを取り出すことができない。
それなのに、
自分たちは普通に、
今を生きていると言う。
昨日はもうない。
明日はまだない。
あるのは今だけ。
そんな言葉もある。
確かにそうなのだと思う。
でも、
その今が一番つかまえにくい。
何かを見ている時も、
目に入ったものが、
そのまま瞬間的に意識になっているわけではない。
音を聞く時も、
少し前に起きた振動を聞いている。
遠くの星を見れば、
何年も前の光を、
今だと思って見ていることもある。
考えてみれば、
自分が見ている世界は、
いつも少しだけ過去なのかもしれない。
未来について考えることもある。
明日どうしよう。
来年どうなっているだろう。
いつかこうなりたい。
まだ起きていないものを、
今ここで考えている。
過去を思い出す時もそうだ。
昔のことなのに、
思い出しているのは今だ。
過去も、
未来も、
自分の中に現れる時には、
いつも今になる。
そう考えると、
少し変な感じがする。
人生には、
何十年という時間がある。
昔があって、
今があって、
これからがある。
一本の長い線の上を、
自分が進んでいるような気がする。
でも、
実際に触れられるのは、
いつもここだけだ。
昨日に戻ることはできない。
明日に触ることもできない。
そして、
ここだと思った瞬間には、
もう次のここにいる。
もしかすると、
今というものは、
時間の中にある場所ではないのかもしれない。
流れていくものを、
自分が今と呼び続けているだけなのかもしれない。
朝になって、
夜になる。
季節が変わる。
歳を取る。
気づけば、
昔の自分がずいぶん遠くにいる。
それでも、
その時の自分も、
たぶん今を生きていた。
今日の自分と同じように。
今は確かにある。
こうして考えていることも、
何かを見ていることも、
ここにいることも、
今起きている。
でも、
今とはいつなのかと聞かれると、
少し分からなくなる。
そんな、
つかまえることのできないものの中を、
自分たちは今日も、
普通に生きている。
