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母の大根煮は、味が薄い。

    昆布と醤油、そしてみりんを少々。
    具材は大根、一本勝負。
    それが母の大根煮。

    そこはかとなく薫る昆布の風味。
    出汁がじんわり染みて、柔らかい。
    なんとも言えない優しい味。

    でも、美味しいか?と問われると
    正直、どうだろう。
    素材を活かした味と言えば聞こえが良いが
    ──とにかく、味が薄いのだ。
    子どもの頃は、これが大人の味だと解釈していた。

    一方、おばあちゃんの大根煮は、抜群に美味しかった。
    間違いない味。
    同じ調味料で、同じように大根だけの煮物。
    なのに、全然違う。
    なぜだろうか。
    ひとつ違いがあるとすれば、おばあちゃんは、
    かまどで炊いていた。

    おばあちゃんが元気なうちは、かまども現役だった。
    雪が降る寒い日の、かまどからのぞく炎と立ち上がる湯気、そして煙の香り。パチパチと薪のはぜる音。
    そこには、ゆったりとした時間が流れていた。
    「ほら、食うか?」と言って、よく味見をさせてくれた。熱々の湯気をまとった煮物を、気をつけながら口の中へ放り込む。
    うん。美味しい。

    私はかまどが密かに好きだった。
    かまどで炊く料理は、なぜあんなに美味しいのだろうか。直火の効果か、煙の風味か。鍋のなかでどんな化学変化が起こっているのかわからないが、とにかく、美味しい。まるでかまどの魔法のようだった。
    そのかまどで作られる大根煮に、少しひいき目があったかもしれない。


    実家の食卓には、いつも二つの皿に盛られた大根煮が並んでいた。

    美味しい大根煮と、薄味の大根煮。
    おばあちゃんの大根煮と、母の大根煮。
    おばあちゃんと、母。

    そう、姑と嫁。

    二人の大根煮対決に、家族みんなが巻き込まれた。

    おばあちゃんは、堂々と自分の大根煮がうまいと主張する。
    確かにうまい。
    母は、遠慮して「そうですね」と言うが、出してくるのは、あの薄味大根煮だ。変える気はないらしい。

    どっちがうまいか、なんて聞いてくれるな。
    その質問に答えると、地獄の釜が煮えたぎる。

    「それぞれに美味しさがある」と父は答える。
    無難に逃げたな。

    だが、我々子ども連合も必殺技を持っている。
    それは、こうだ。

    「よくわかんなーい。」
    「わかんなーい。」
    「だって。大人の味だもん。」
    「味だもん。」
    「「ねー!」」

    これでいい。

    審判員達が腑抜けているため、
    二人の勝敗は持ち越しとなる。
    どちらが勝ちなんて決められない。
    いや、決めてはならぬのだ。

    二人は、自分の大根煮のほうが美味しいという、
    絶対的な自信をちらつかせながら、素知らぬ顔で、
    もう片方の大根煮に箸をのばす。

    咀嚼する。

    ……。

    「ふふん。」


    ゴクッ。
    審判員達は息をひそめて見守る。
    そして、やおら自分達も箸をのばし、両方の皿を平等に行き来する。もはや、どちらが美味しいかなんてわからない。

    父がそっと、リモコンに手を伸ばす。
    静かな緊張感が漂う食卓に、テレビの音が唐突に流れる。

    『あ~~南の風に~♪』
    聖子ちゃんの澄みきった歌声が、大根の湯気の上を駆け抜けていった。


    ​──あれから、何十年もの歳月が流れた。
    私は当時の母よりもはるかに年上になった。

    おばあちゃんが亡くなってからは、実家の大根煮は母の味が定番となった。

    「あれ?こんなに美味しかったっけ?」
    自分も歳を重ねるごとに、薄味の大根煮が美味しく感じるものだから不思議だ。お正月に、母の大根煮を食べると家に返ってきたという実感がわく。

    実は大根だけでなく、おいなりさんも、味噌汁も、酢の物も、魚の炊いたのも、何もかもだいたい、薄味なのだ。それが母の味である。

    最近、ふと思う。
    母は料理があまり得意ではなかったのかもしれない。

    子どものころのおやつに「キャベツ焼き」というものがあった。
    名前だけ聞けば普通のお好み焼きだ。だが、中身はキャベツと乱切りの魚肉ソーセージ。そして決め手のソースはケチャップだった。お好み焼きと思って食べると、期待を裏切られる。

    だが、「そういうもの」と思って食べると、案外おいしいのだ。私は魚肉ソーセージが大好きだった。むしろ、魚肉ソーセージだけ、食べさせてくれてもよかった。しかし、「母親」としては、幼い娘にそれだけを食べさせるわけにもいかない。母の葛藤が生んだのが、件のキャベツ焼きというわけだ。

    ケチャップ味の謎は残るが、母らしいおやつだ。

    母は時々、そういったオリジナルのメニューをこしらえる。美味しいのか否か評価が分かれるやつだ。料理が得意な人のオリジナルメニューとは、ちょっと次元が違う。

    味見役を仰せつかるたび、最初の一口に毎回ドキドキしていた。

    ──しかし、今はもう母はほとんど料理をしない。

    身体が思うように動かないのだ。
    父の介護中、転びそうになった父を庇い大腿骨を折った。長い入院生活は母の身体だけでなく、認知の機能も危うくした。

    今、実家に行っても、あの薄味の大根煮すら食卓に上ることはない。
    時の流れを受け止めきれず、寂しさを募らせてしまう。

    もっと食べておけばよかったな。


    「余ったから、持って帰り」
    手土産にこしらえてくれたのに。
    母と喧嘩をしてしまい、不機嫌な私は
    「いらん」と、ぶっきらぼうに答えて
    受け取らなかった。

    あれっきりになるなんて。

    ごめんな。

    ──昆布、醤油、みりんを少々。
    気が付けば、自分も薄味の大根煮を作っていた。「なんか、味薄いね」と言われながら、
    母の面影をたどっていた。

    懐かしさとともにかみしめる母の味。
    ふふ、やっぱり微妙。
    でも、それがいい。


    今度は私が魚肉ソーセージ入りの
    キャベツ焼きを作ってみよう。
    母と一緒に食べたら
    ケチャップ味の謎が解けるかも知れない。


    (おわり)

     
     
    50代丨働くお母さん丨柴犬がとてつもなくかわいい生き物だと知り、愛でるためにnote をはじめる。愛犬柴子への愛と、家族のことなど綴ります。/ときどき、姉の闘病(血液のがん)についても触れます。

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