
【第三章】 夫の入院と葛藤
ある日、主人が仕事から早く帰ってきました。
帰ってくるなりソファに横たわり、
「なんか息が吸えない。もしかしたら気胸かもしれないから、病院に連れて行ってほしい。」
と言ってきました。
以前にも気胸を経験していた主人は、自分の身体の異変を察知していました。私は娘たちを祖父母に預け、自分が勤める病院の救急外来へ向かいました。
呼吸器科の先生から、
「トロッカーを入れて入院ですね。」
と言われました。
入院は覚悟していました。
でも、その瞬間、
「これからどうやって回していけばいいんだろう」と頭が真っ白になりました。
家事、育児、仕事。
そこに主人の入院まで加わり、全てが自分の肩にのしかかってきました。
もちろん、一人では手に負えませんでした。祖父母や叔父叔母にも力を借りながら、主人のいない日々を必死に乗り切ることにしました。
主人が入院すると、それまで当たり前のように主人が担ってくれていたことが、一気に私の役割になりました。
朝はまだ眠そうな娘たちを起こして支度をさせ、幼稚園へ送り届ける。
仕事が終われば迎えに行き、夕食を作り、お風呂に入れ、寝かしつける。
準夜勤や深夜勤の時は実家にお願いして、子供たちの面倒を見てもらいました。
送り迎えが間に合わない時には叔父叔母にも頼んで迎えに行ってもらいました。
今思えば、どうやって毎日を回していたのかよく覚えていません。
ただ、その日のやるべきことをこなすだけで精一杯でした。
長女は時々、
「パパ、いつ帰ってくるの?」
と聞いてきました。
私は、
「もう少ししたら、帰ってくるよ。」
と答えていましたが、本当は自分自身も主人の不在を心細く感じていました。
それでも子どもたちの前では弱音を吐くわけにはいきませんでした。
気づけば一日が終わり、翌朝になればまた同じ一日が始まる。そんな毎日でした。
主人は5日ほど入院しましたが、快方に向かわなかったので、手術する決断をしました。
そうしなければ入院生活がさらに長引くことが分かっていました。
肺の悪い部分(ブラ)を切除する手術で、結局主人は2週間ほど入院しました。
ありがたいことに婦長さんの計らいで、主人は私の勤務する病棟に入院させてもらえました。手術後の様子も、自分の目で見ることができました。
主人は当時のことを、
「あまり会いに来てくれなかったなぁ。会いに来ても、すぐに『じゃあ帰るね』って帰っていったぞ。寂しかったぞ。」と言っています。
目まぐるしく毎日が過ぎていって、忙しすぎて心の余裕がなかったのだと思います。
今振り返っても、あの頃の記憶はところどころ抜け落ちています。
思い出そうとしても、はっきりとは思い出せません。
人はあまりにも大変な時、自分を守るために記憶に蓋をしてしまうのかもしれません。
それほど当時の私は余裕がありませんでした。
当時の記憶はほとんど残っていません。
でも一つだけ、はっきり覚えていることがあります。
幼稚園の先生に心配をかけ、主人の入院で家族にも負担をかけてまで、私は看護師を続ける意味があるのだろうか。
病気の人を助ける前に、まずは目の前の我が子に手を差し伸べるべきではないか。
働きやすい環境と、何より信頼できるスタッフとの出会いを手放してしまっていいのだろうか。
もし私が仕事を辞めたら、生活はやっていけるのだろうか。
あの頃の私は、そんな答えの出ない問いを抱えながら毎日を過ごしていました。
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