
ただ、君に《32》卒業
三月一日、卒業式。
まだ少し冷たい風の中で、
校舎の中はいつもと違うざわめきに包まれていた。
私立に進む人たちは、
もう行き先が決まっている。
クラスの二割ほど。
どこか少しだけ、空気が軽い。
国公立の推薦で決まった人が、一割ほど。
同じ「合格」でも、
まだ教室に残っている分、静かに見えた。
残りの多くは、国公立前期の結果待ち。
たった一つの通知で、この先が変わる。
もしだめだったら、
中期・後期日程での再挑戦する人。
または私立大学の追加募集や、
共通テスト利用入試をする人。
あるいは将生や凛みたいに来年受験する人。
同じ教室にいるのに、
それぞれが、違う時間を生きていた。
「……なんか、あっという間だったね」
凛がぽつりと呟く。
「だな」将生も短く返す。
奈緒ちゃんと三浦くんが、少し離れたところで話している。
「大学違うけどさ、ちゃんと続けるから」
「当たり前じゃん」
照れくさそうに笑い合う2人。
それを見て、凛も少しだけ笑う。
「頑張ってほしいね」
「だな」
写真を撮って、名前を呼び合って、
何度も「またね」を繰り返す。
少しずつ人が減っていって、
教室が静かになっていく。
気づけば——
残っていたのは、将生と凛だけだった。
「……行こうか」
凛がそう言いかけたとき、
「凛」先に呼ばれる。
振り向くと、
「卒業おめでとう」
小さな花束を差し出される。
「え……なにそれ」
驚きながらも、すぐに笑って受け取る。
「ありがとう」
「ちゃんと勉強してるなって思ってさ」
ぶっきらぼうな言い方。
凛は少しだけ目を細めて、
「……そっちこそ」
そう言って、袋を差し出す。
「クッキー」
「マジで?」少し嬉しそうな顔。
「今回はちゃんと考えたやつ。低タンパク、低塩分」
「……すげえな」
少しだけ真面目な声になる。
「ちゃんと勉強してるじゃん」
同じ言葉に、凛が笑う。
「でしょ?」
静かな教室。
誰もいない机と椅子。
窓から入る光だけが、やけに柔らかい。
凛が、自分の席のあたりを見て、
「ここでさ、よく話してたよね」
「ああ」
「うるさいって言われながら」
「言われてたな」
小さく笑う。
そのまま、自然に距離が近づく。
さっきまでと同じはずなのに、
どこか少しだけ違う。
凛が小さく言う。
「高校生活、終わっちゃったね」
将生は少しだけ教室を見渡して、
「終わったな」
「でもさ」凛を見る。
「まだ俺たちは、続くけどな」
その言葉に、凛が笑う。
「うん」
「4月から同じ予備校だし」
「腐れ縁だな」
「ひど」軽く笑い合う。
そのまま、少しだけ間。
静かな教室に、2人だけ。
将生がゆっくり近づく。
今度は、止まらない。
そのまま、唇が重なる。
長すぎず、でも短くもないキス。
この教室で過ごしてきた時間が、
全部そこに重なるみたいに。
離れたあと、凛が少しだけ笑う。
「……教室でキスってどうなの」
まさきも少しだけ笑って、
「今さらだろ」
そう言って、手を取る。
誰もいない教室を、
最後にもう一度だけ見てから、
2人でドアの方へ歩き出す。
振り返らなくてもいいくらいには、
ちゃんと前を向けていた。
遠回りでもいい。
少し遅れてもいい。
それでも隣にいる人が同じなら、
きっと、大丈夫だと思えた。
完