メインコンテンツへスキップ
見出し画像

同居生活のサバイバル

    結婚を機に、私は夫の実家へ移り住みました。
    そうです。義両親との同居生活のスタートです。

    今振り返ると、同居するにあたって何も考えていませんでした。
    「まあ、なんとかなるでしょ。」
    人生の大事な決断を、その一言で片付けていたのです。

    結果から言います。

    全然なんとかならないこともあります(笑)。

    想像以上に大変です。

    でも、この経験を通して一つ大きな発見がありました。
    それは、「私って思っていた以上に人間関係で悩んだことがなかったんだな」ということ。

    つまり、周りの人に恵まれていたということ。

    同居前の私は、自分をわりと適応力のある人間だと思っていました。
    誰とでも仲良くできるというか、けっこうドライな性格なのか、他人との関係を深く考えたことがありませんでした。

    ところが、同居生活という名の実践トレーニングが始まると、自分の知らなかった弱さや価値観が次々と顔を出してきたのです。

    ところで、今の時代、義両親との同居ってどれくらいあるのでしょうか。
    私の住む地域は地方の田舎ですが、それでも周りを見渡すと同居している家庭は少数派。
    友人たちに聞いても、「えっ、一緒に住んでるの?」という反応が返ってきます。

    そんな私の同居生活がスタートしました。

    いや、正確には新婚生活がスタートしたはずなんです。
    ……たぶん。

    でも実際は、「新婚生活編」ではなく「同居サバイバル編」が始まった感覚でした(笑)。

    同居してまず最初に学んだこと。

    それは、「家事は嫁がやるもの」という世界観が存在することです。

    食事は義父が喜ぶメニューを考える。
    食事の時間は義父に合わせる。
    料理を作ったら義父の前に並べる。
    頑張って作っても「うちはこんなのは食べない」と言われることもある。
    さらには、ご飯を作ったにもかかわらず、
    「ラーメン作って。」
    と言われる。

    え、今作ったこの料理たちは何だったの?
    前座? オープニングアクト?

    そんな気持ちになります。

    食事が好みじゃない日は義父が不機嫌。
    すると、その空気を感じた夫も不機嫌。
    家庭内の天気予報は完全に義父中心で回っていました。

    食卓の会話の主役も義両親。
    私は毎日、「へぇ~、そういうルールがあるんだ」と異文化交流をしている気分でした。

    とにかく義父の存在感が圧倒的。
    そのパワーたるや、台風並み。
    私は毎日その風に吹き飛ばされながら生活していました。

    こうして、平和な新婚生活を夢見ていた私の前に、予想もしなかった学びの連続が始まったのです。

    まさかこの同居生活が、私の人生観を大きく変えるきっかけになるとは、、。

    パワフルな一家に、縁あって嫁ぐことになった私。
    今振り返ると、本当にたくさんのことを教わりました。
    地域のしきたり、親戚付き合い、食文化、味付けの好み。
    「この辺ではこれを食べるのが当たり前」
    「この味じゃないとダメ」
    そんなことを一つひとつ覚えていきました。

    そして気がつけば、毎日10人分近い食事を作る生活。
    親戚や近所の方が、入れ代わり立ち代わり家にやって来ます。
    しかも予告なし。

    「氷持ってきて。」
    「酒持ってきて。」

    その声が飛ぶたびに立ち上がる私。

    ふと、
    「あれ?私、まだ学生時代の居酒屋でアルバイトしてたっけ?」
    と思うほど動き回っていました。

    もちろん、宴会が終われば片付けが待っています。
    そして翌朝は誰よりも早く起きて朝食の準備。
    子どもが小さい頃は特に大変でした。
    体力的にも限界に近かったと思います。

    それでも当時の私は、
    「やらなければならない」
    その一心でした。
    これをやらなければ嫁として認めてもらえない。
    そんな思い込みに近い気持ちを抱えていたのです。

    少しでも休んでいると何か言われる気がする。

    朝あいさつをしても返事がないと、
    「私が何か悪いことをしたのかな」
    と考えてしまう。

    今思えば、私の思い込みだった部分もあったかもしれません。
    相手なりの事情や考えがあったのかもしれません。

    でも当時の私には、それを冷静に考える余裕はありませんでした。

    夫には姉が一人いて、義姉は義父の考えを代弁する存在でした。

    結婚して間もない頃、
    「うちは働かざる者食うべからずだから。」
    そう冷たく言われた言葉を今でも覚えています。

    義父から義姉へ。
    義姉から私へ。

    そんなふうに伝わってくる言葉に、私はいつも緊張していました。
    毎日二人の顔色をうかがう生活。
    今日は機嫌が悪そうだな。
    今日は昨日より少し穏やかかな。
    そんなことばかり考えていました。

    しかし、機嫌の良い時はたまに笑顔で話しかけてくれました。それが本当にうれしかったのです。
    たった一つの笑顔で、こんなにも安心できるんだ。
    人の笑顔には、こんなにも大きな力があるんだ。
    これは今の私にとって、とても大切な学びになっています。

    この経験以来、私は人と接するときの笑顔を以前より大切にするようになりました。

    そんな生活を続けるうちに、少しずつ自分の身体に異変が現れ始めました。

    体重が減っていく。
    涙が止まらない。
    原因の分からない蕁麻疹が出る。
    外出先から家に帰るのが怖い。
    義父や義姉の姿を見るだけで心臓が激しく鳴る。

    毎日をこなすだけで精一杯。
    先のことを考える余裕もありませんでした。

    そしてある日。

    私は自分が思っていた以上に追い詰められていたことに気づきます。

    無意識に電気コードを自分の首に巻いたのです。
    ふと我に返ったとき、目の前にはまだ小さかった子どもたちがいました。
    その瞬間、頭に浮かんだのです。

    「私がいなくなったら、この子たちはどうなるんだろう。」

    その問いが、止まりかけていた私の心を引き戻してくれました。

    私はずっと一人で悩んでいました。

    夫に相談することなんてできませんでした。

    だって、夫にとって義父は大好きな父親ですし、義姉も大切な家族です。
    夫がどんなふうに育ってきたのか、すべてを知っているわけではありません。
    でも、きっとたくさんの愛情を受けて育ってきたはず。
    そんな夫に、義父や義姉の愚痴なんて言えませんでした。
    悲しませるかもしれない。
    嫌われるかもしれない。
    もし嫌われたら――。

    家を追い出されるかもしれない。
    子どもたちと一緒に暮らせなくなるかもしれない。
    当時は仕事もしていませんでした。
    もしそうなったら、私はどうやって生きていけばいいんだろう。

    今振り返ると、
    「いやいや、どこまで飛躍してるの!追い出される前提?」
    とツッコミたくなります(笑)。
    でも、その頃の私は本気でそう思っていました。
    それくらい精神的に追い詰められていたのです。

    結局、勇気を出して夫に話を聞いてもらいました。
    すると夫は、私が思っていた以上に義父の性格を理解していました。
    そして少しずつ私に配慮してくれるようになったのです。
    そのことが、どれほど心の支えになったことか。
    張り詰めていた糸が少し緩んだような気がしました。

    しかし、それからも私の生活は相変わらずでした。
    友人との連絡も途絶えがちになり、
    「生きてる?」
    と連絡が来るほど。
    中には失踪説まで流れていたとか、いなかったとか(笑)。

    外とのつながりはどんどん薄くなり、
    家事と育児に全集中。
    というより、周りを見る余裕がまったくなかったのです。

    そんなある日。
    子どもたちのDVDを返却しに行った帰りでした。
    併設された本屋を何気なく歩いていると、一冊の本が目に飛び込んできました。
    『嫌われる勇気』
    あれだけ嫌われないように生きていた私の目の前に現れたのが、『嫌われる勇気』でした。タイトルの圧がすごい。
    まるで私のために置かれている?

    当時の私は、とにかく嫌われることが怖かった。

    義父に嫌われないように。

    義姉を怒らせないように。

    誰の機嫌も損ねないように。

    そんなことばかり考えていました。
    それがとても自分を苦しめている事も分かってました。
    だから迷わずその本を手に取りました。

    少しずつ読み進めるうちに、私の中で何かが変わり始めます。
    読んだことがある方も多いと思いますが、この本から私は、
    「人はもっと自由に生きていい」
    ということを学びました。

    また、「課題の分離」という考え方にも出会いました。
    義父が不機嫌なのは、義父の課題。
    義父の感情まで私が背負う必要はない。

    その考え方は、私にとって衝撃でした。
    目からウロコとは、まさにこのことです。

    それまで私は、
    「人の気持ちは分からない」
    「心理学なんて怪しいものだ」
    くらいに思っていました。
    ところがアドラー心理学に触れたことで、一気に視界が開けたのです。
    今まで見えていなかった景色が見えるようになりました。
    そして少しずつ、
    自分自身を、
    そして自分を取り巻く環境を、
    客観的に見られるようになっていったのです。
    この一冊との出会いが、私の人生を大きく変える最初の一歩になりました。

    『嫌われる勇気』を読んで、私はようやく気づきました。
    「ああ、私の人生がうまくいかなかった理由、ここにあったんだ。」
    そんな感覚でした。

    今まで私は、苦しい現実の原因はすべて外側にあると思っていました。

    義父が怖いから苦しい。
    義姉の顔色をうかがうから苦しい。
    環境が変われば、私は楽になれる。

    ずっとそう思っていたのです。

    もちろん、義両親との同居生活が大きなストレスだったのは事実です。

    強烈な義父に振り回され、毎日気を張り続ける生活は、決して楽なものではありませんでした。

    でも、本を読み進めるうちに、ふとこんな考えが浮かんできました。

    もしかしたら――

    この現実を苦しいものにしているのは、起きている出来事だけではなく、
    それをどう受け取るかという、私自身の思考やものの見方も関係しているのではないか。

    その視点は、私にとって衝撃でした。

    同じ出来事でも、捉え方が変われば感じ方も変わる。
    もしそうなら、現実そのものも少しずつ変えていけるかもしれない。

    そう思えるようになったのです。

    結婚してからの私は、日々をこなすだけで精一杯でした。
    時間にも心にも余裕がなく、本やメディアからもすっかり離れていました。

    でも、そこでふと思い出したことがありました。

    そういえば私、もともと本を読むのが大好きだった。

    昔はいつもバッグの中に本が入っていました。
    通勤時間。
    昼休み。
    ちょっとした空き時間。
    そんな時間に本を読むのが、私にとってとても大切な時間でした。
    それなのに、いつの間にか忘れていたのです。

    「そうだ、私、本を読むのが好きだったんだ。」
    思い出した瞬間、少し泣きそうになりました。

    忙しさの中で、自分の好きなものまで置き去りにしていたことに気づいたからです。

    私は少しずつ、自分のための時間を作り始めました。
    本を読む時間です。
    最初はほんの少し。
    でも、その時間は確実に私を変えていきました。

    これまで読んだことのなかった心理学や自己啓発、スピリチュアルの本まで。
    「今の自分に必要だ」と感じるものを、夢中で読みました。

    知れば知るほど思ったのです。
    人は、思考が変わると見える景色が変わる。
    見える景色が変わると、選ぶ行動が変わる。
    そして行動が変わると、現実も変わっていく。

    当時の私はまだ知りませんでした。
    この小さな気づきが、
    これからの人生を大きく変えていくことになるなんて。

    私はこれから、
    「思考が変わると現実が変わる」
    それを身をもって体験していくことになります

    この言葉を知ってから、私は目の前の現実を少しずつ別の角度から見る努力を始めました。


    でも、これが思っていた以上に難しい。
    長年かけて作られてきた思考のクセを変えるのは、まさに至難の業でした。

    人は、さまざまな経験をして、そのたびに学び、少しずつ変化していくものだと思います。

    経験を通して価値観が変わり、気づけば行動も変わっている。
    それはある意味、とても自然な変化です。
    意識しなくても、いつの間にか変わっている。

    でも、今回は起きている出来事を、あえて別の角度から見てみる。
    意識的に、自分の思考を変えようとしていたのです。

    これには冷静さが必要でした。
    そして何より、自分の心と身体の状態が大きく影響します。
    心に余裕があるときなら、
    「まあ、大丈夫か」
    と思えることでも、
    疲れていたり、追い詰められていたりすると、
    「もう無理だ」
    「終わった…」
    と、一気に絶望モードに入ってしまう。
    ありますよね(笑)。

    そして当時の私はというと――

    常に余裕ゼロ。
    心のHPはほぼゼロ。
    なので、見える景色はだいたい絶望でした(笑)。

    何を見てもネガティブ変換。
    もはや特殊能力レベルです。

    さらに厄介だったのは、
    「自分にとって何が幸せなのか」
    それすら分からなくなっていたことでした。

    どうなれば私は幸せなんだろう。
    本当は何を望んでいるんだろう。
    自分の気持ちなのに、自分で分からない。
    分からないんです。もう重症でした。

    そこで私は、まず自分の本当の気持ちを知ることから始めようと思いました。
    そして最初にやったこと。
    それは――
    自分の分身を作ることでした。

    ……ちょっと怪しい話に聞こえますよね(笑)。

    大丈夫です、私も最初そう思いました。

    イメージしたのは、
    いつも私を見ているもう一人の私。
    少し離れたところから、私を客観的に見ている私です。
    外側から私を見ている、もう一人の私。
    その分身に、いちいち聞いてみることにしたのです。

    「今、どう感じてる?」
    「本当はどうしたい?」
    「何が嫌だった?」

    要するに、自分との対話です。

    最初は正直、少しばかばかしく感じました。
    「本当にこんなこと意味あるのかな」
    そう思っていました。

    でも、人間ってすごいですね。
    どんなことでも、意外とすぐ慣れるんです(笑)。

    ただ、自分との対話は想像以上に難しいものでした。
    なぜなら、それまでの私はずっと他人の評価を軸に生きていたからです。
    自分に問いかけること自体が怖かった。
    不安でたまりませんでした。

    だって、自分が出した答えが正しいのか分からないから。

    世間的に正解なのか。
    一般的に見て正しいのか。
    みんなから見て変じゃないのか。

    ずっとそんなことばかり考えていました。
    そう。
    その思考こそが、ずっと私を苦しめていたのです。

    自分に、自分の気持ちを聞いてみる。
    最初は正直、怖かったです。
    だって、どんな答えが返ってくるのか分からないから。
    でも勇気を出して、自分に問いかけてみました。
    「本当はどうしたい?」
    すると、一番最初に返ってきた答えは――

    「同居なんてしたくない!」

    でした(笑)。
    そりゃそうです。
    それまでの経験を考えれば、そう思うのは当然です。
    むしろ、
    「え、なんで今までその気持ちを封印してたの?」
    と、自分で自分にツッコミたくなりました(笑)。

    そこから、いろんな本音が次々と出てきました。
    自由にしたい。
    好きな食器を使いたい。
    好きな時間にお風呂に入りたい。
    たまには友人と夜飲みに行きたい。
    家に友人を呼んでBBQしたい。
    子どもの習い事で遅くなった日は、気軽に外食して帰りたい。
    夫と子どもたちだけで、のんびり家で過ごしてみたい。
    などなどなどなど。
    ……挙げ始めると、きりがありません(笑)。

    「私、こんなに我慢してたんだ。」
    自分でも驚きました。
    でも、もっと驚いたことがありました。
    たまにふと、こんな気持ちも出てきたのです。

    「義両親や義姉とうまくやっていきたいかもしれない。」

    正直、この気持ちは認めたくありませんでした。
    でも、それも確かに私の本音でした。

    本当は、この完全アウェイな環境の中でも、
    血のつながった家族のように、
    自然体で、仲良く、安心して過ごしたかった。

    人の気持ちって、本当に複雑です(笑)。
    嫌だと思う気持ちもある。
    離れたい気持ちもある。
    でも、分かり合いたい気持ちもある。
    全部、本音なんですよね。

    そんな複雑な気持ちを、
    「そっか、私はそう思ってたんだね」
    と、そのまま受け止められるようになっていきました。
    そして私は、ここに大事なポイントがあると思っています。
    それは、

    自分で自分を認めてあげること。
    自分で自分を褒めてあげること。

    これ、すごく大事です(笑)。
    自分が、自分の一番の応援団長になる。
    たとえ誰にも理解されなくても、
    私の分身だけは、いつも一番近くで私を見てくれている。
    そう思えるようになると、不思議なくらい心が軽くなりました。

    そして少しずつ、
    今まで、自分の人生において一番できていなかったこと――
    「自分を信じること」
    ができるようになっていったのです。

    自分を信じられるようになると、見える景色が本当に変わりました。
    義父や義姉の言動を、以前よりずっと客観的に見られるようになったのです。
    冷静に観察して、分析できる自分がいました。

    今までは、何か言われるたびに真正面から受け止めて、
    落ち込んで、
    しゅんとして、
    心が削られていました。

    でも、少しずつこう思えるようになっていったのです。
    「この発言、すごいな…」
    「こんなことを言う人って、この先どうなるんだろう?」
    「ちょっと気になる(笑)」
    ……あれ?
    ちょっと私、性格悪くなってます?(笑)

    でも実際には、性格が悪くなったわけではありません。
    距離感が変わったのです。
    飲み込まれなくなった。
    相手と自分の間に、ちゃんと境界線を引けるようになった。
    それが大きかったのだと思います。

    そして気づけば、以前あれほど強かった
    「同居なんてしたくない」
    という気持ちも、不思議と少しずつ薄れていました。

    ああしたい。
    こうしたい。
    そう思っていた気持ちも、少しずつ過去形になっていきました。

    ああしたかった。
    こうしたかった。
    子どもたちも成長し、
    私も歳を重ね、
    生活環境も少しずつ変わっていきました。
    時間の流れが、私の気持ちも変えていったのかもしれません。
    ある意味で、それは諦めにも似ていました。
    でも、悪い意味ではありません。
    執着が少しずつほどけていった、そんな感覚でした。

    そして、義父や義姉を観察すればするほど、
    今まで見えていなかったものが見えてきました。
    そこには、義父や義姉なりの苦悩があったのです。
    義父には弟が二人います。
    今は疎遠になっています。
    気づけば、義父はぽつんと一人。
    それを知ったとき、
    「……そりゃそうだろうな、あの性格だったら。」
    と思ったり、思わなかったり(笑)。

    長男である義父は、家業を継ぎました。
    そして持ち前の強すぎる性格と(笑)、圧倒的な行動力で、家業を大きくしていったようです。

    そこにはきっと、人並み以上の努力や苦労があったのだと思います。

    でも、その過程で弟二人とは反発し合うようになり、両親も弟たちの味方についたそうです。

    詳しい事情は知りません。
    ただ、何となく想像はつきます。
    義父はずっと、一人で戦ってきたのかもしれません。
    誰にも頼れず、
    誰も信じられず、
    肩ひじを張って生きてきたのかもしれない。

    もしかすると、その経験が、
    「人を信用できない」
    という思いにつながってしまったのかもしれません。
    そして、その矛先が子どもへの強い依存という形で現れているように、私には見えました。

    特に長女である義姉は、その期待に応え続けてきたのだと思います。
    以前の私は、義姉を見てこう思っていました。
    「本当に世間知らずで、自分勝手な人だな。」
    「親が守ってくれるからって、甘えてるんじゃない?」
    ……かなり辛口で失礼しました(笑)。

    でも、観察しているうちに、違うものも見えてきました。
    時折、義姉が義父の言動にため息をつく姿。
    苦しそうな表情。
    そして何より、義父には絶対に逆らえない空気。
    それが見えてきたのです。

    ここ最近は、
    「NOと言えることが大事」
    と言われる時代になりましたよね。
    自分の気持ちを大切にしていい。
    無理なことには無理と言っていい。
    とても良い時代になったと思います。

    ちなみに私は、自分の両親にはわりとNOを言ってきました(笑)。
    そして両親も、私の意見を尊重してくれていました。
    私をコントロールしようとはしなかった。

    だからこそ今、より強く思うのです。
    親子の間に依存関係が生まれると、物事はとても複雑になる。
    助け合うことと、依存することは違う。
    親も子も、お互いを支えながらも、
    それぞれが一人の人間として自立して生きていく。

    私にとっての理想の親子関係は、そこにあります。

    そう考えるようになってから、
    義父と義姉の関係が、少し違って見えるようになりました。
    以前のような怒りや嫌悪感だけではなく、
    どこか切なさのようなものを感じるようになったのです。

    もしかしたら二人とも、
    それぞれの立場で苦しんでいたのかもしれない。
    そう思うと、少しだけ、可哀想にも思えてきました。

    ここまでくると、なぜか私の中に変な使命感まで生まれていました。
    「私がこの家を、なんとかしなきゃ。」
    ……いや、誰ですか、その勝手な使命(笑)。

    少しずつでいい。
    言えるところから少しずつ。
    ほんの少しずつでいいから、
    違うことは違うと言おう。
    そう思うようになりました。

    もちろん、私の価値観がすべて正しいわけではありません。
    育ってきた環境が違えば、価値観が違うのは当たり前です。
    でも、どんな価値観であっても、
    人を傷つけること。
    見下すこと。
    馬鹿にすること。
    それだけは、どうしても受け入れられませんでした。

    そして、気づけば私は自然と思えるようになっていました。
    私は、見下されたり、傷つけられたりしていい人間ではない。
    私は、私を大切にしていい。
    そうやって、少しずつ自分を信じられるようになっていったのです。

    そして、もう一つ。
    私が想像もしなかった変化がありました。
    子どもたちの成長です。

    ついこの前まで、小さくて守るべき存在だった子どもたち。
    でも気づけば、彼らはしっかり成長し、
    私にそっと寄り添ってくれる存在になっていました。
    かといって、祖父母のことも大切にしている。
    その姿を見て、胸がいっぱいになりました。

    私はずっと、自分の中で固く決めていたことがあります。
    それは、
    祖父母の愚痴を、子どもたちには絶対に言わないこと。
    それだけは守ろうと決めていました。

    でも、子どもたちは私が思っていた以上に成長していました。
    何も言わなくても、
    この家で起きていることを、
    感情だけではなく、冷静に、客観的に見られる人間に育ってくれていたのです。

    これは本当に、想像していませんでした。
    だからこそ、今はもう以前のようには悩んでいません。
    子どもたちは祖父母からたくさん愛情をもらって育ちました。
    そこには、感謝の気持ちもあります。

    うまくいかない時、人は思ってしまいます。
    この苦しい状況は、一生続くんじゃないか。
    このままずっと変わらないんじゃないか。
    私もそうでした。
    でも今なら、はっきり言えます。
    状況は変わります。
    自分の考え方。
    物事の捉え方。
    その一つで、現実は少しずつ変わっていきます。
    もちろん、即効性なんてありません(笑)。
    昨日考え方を変えたから、今日すべてが変わる。
    そんな魔法みたいな話ではありません。

    でも、気づいたときにふと思うんです。
    「あれ……なんか変わったな。」
    しかも、忘れた頃にやってきます。
    そして、その変化は想像以上に大きかったりするのです。

    人生は限られています。
    子どもたちは成長し、
    私も夫も、白髪やシワが増えました(笑)。
    義両親も、少しずつ歳を重ねています。

    結婚したばかりの頃。
    義父や義姉の言動に、本当に悩みました。
    毎日がサバイバルでした(笑)。
    あの頃の私、よく頑張ったなと思います。

    そして今、思います。
    過去に執着し続けるのか。
    それとも、これからの未来を見るのか。
    それを決めるのは、私です。
    私の前には、二つの選択肢がありました。
    この家を出て、自由に暮らす。
    それとも、
    義家族をもう一度信じて、うまくやっていく。
    私は、後者を選ぶことにしました。
    覚悟を決めました。
    もちろん、今でも悩むことはあります。
    「あんなこと言われたな」
    「こんなこともあったな」
    正直、かなり根に持っていることもあります(笑)。

    人間ですから。
    そんなに簡単に全部忘れられません。

    でも、それでいいと思っています。
    全部をきれいに手放せなくてもいい。
    許せない気持ちが残っていてもいい。
    それでも、自分で選んだ道を信じて前に進む。
    今の私は、そうありたいと思っています。

    そして人生の最後に、
    「私の人生、なかなかハチャメチャで面白かったな。」
    そう言って、クスッと笑えたら最高です。

    きっと、その時私は思うはずです。
    大変だったことも、
    苦しかったことも、
    悩み続けた日々も、
    全部ひっくるめて、
    悪くない人生だったな、と。

    #創作大賞2026 #エッセイ部門

     
     
    消えてしまいたいと思っていた時期を乗り越え、今ではいちいち幸せをかみしめる毎日。心と身体のアップダウンと上手に付き合いながら、前向きに生きています。日々、面白おかしく暮らすアラフィフ。 夫、子供、義両親との同居生活。

    あなたへのおすすめ