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アジール ー自分軸の拠点ー【連載②】

    あらすじ

    日韓ワールドカップが開催された2002年。
    零細な音楽事務所を経営していた41歳の私(戸田)は、ワールドカップのテレビ観戦どころではなく、公私ともに悶々とした日々を送っていた。
    そして秋も深まったある日、南青山から恵比寿へ向かう明治通りを歩いていて、かつての女友達の北川さんと邂逅する。
    臨床心理士を辞め、シンガポールに単身赴任していた北川さんは、帰国してジュエリーデザイナーとなっていた。
    お互い配偶者のある立場で、決して一線を越えることのなかった私(戸田)は、北川さんを勝手に〝ソウルメイト〟だと思い込んでいたのだが・・・・・・。
    北川さんとの、カウンセリングもどきの会話で、〝アジール〟という概念を教えてもらった私(戸田)は、孤独ながらも〝自分軸〟で生ききっていこうと決めた。

    あらすじ

    北川さんとまた逢えた!

    北川さんと偶然、邂逅したのは、日韓ワールドカップが終わってから数か月後、季節は秋になっていた。
    ヘルペスの症状は薬で快癒し(ウイルスは体内に残ったままだったが)、気分的にも軽くなっていた。
    ある晴れた平日の午後の駒沢通り。西麻布方面から明治通りと交わる渋谷橋の交差点に向かう下り坂を歩いていた私は、目前を歩いていたスリムな女性の後ろ姿を見てハッとした。
    確かに見覚えがあった。
    足早に彼女を追い抜いた私は、さりげなく振り向いて彼女の顔を見た。

    「北川さんだよね?」

    一瞬、驚いた表情を見せた彼女も、すぐに私のことを思い出してくれた。

    「戸田さんじゃないの! 久しぶり!」

    やはり、北川さんだった。
    私達が思わぬ邂逅したのは、羽澤ガーデンの入り口付近だった。
    羽澤ガーデンとは大正時代に南満州鉄道総裁を務めた中村是公の私邸跡で、戦後はGHQの要人向けに使われたこともあったそうだ。
    将棋・囲碁の名人戦の会場に使われたこともあったようだが、80年代から90年代にかけて、私と北川さんが利用していたのは、屋内でのランチ、夏季限定で日本庭園の池の周りで営業していたビアガーデンだった。

    臨床心理士だった北川さんとは、私がオフィスの経営者になってから間もなく、大学時代の友人達との飲み会で知り合った。
    広尾の企業に勤務していた北川さんと私は、月に一度は、恵比寿と広尾の間の明治通り沿いのイタリア料理店でランチを嗜んだり、山手線を跨ぐアメリカ橋周辺のレストランでワインを嗜むようになった。
    夏は羽澤ガーデンの日本庭園で、蚊取り線香の香りが漂う中、生ビールを何杯も空けたことも少なくなかった。

    私よりも3歳若く、170センチの長身、肩まで届く黒髪が美しく、大きな瞳を無邪気に瞬かせていた北川さんは既婚者だった。
    配偶者は大手電機メーカーのエンジニア。

    初対面のとき、北川さんの華のある容姿と佇まいにたじろいでしまった私は、自分なんぞ相手にされないだろうな、と感じたものの、たまたま会話を始めてみれば、見た目とは逆に、飾らない本音をずけずけと言うフランクな人だとわかり安心した。

    そして何よりも、互いの周波数のチューニングがピッタリと合ったようだ。
    私も、おそらく彼女のほうでも、心にバリアを貼ることなく自然に会話を愉しめた。北川さんこそ、私にとって貴重この上ない女友達だったのだ。

    よく、ソウルメイトという言葉がロマンティックな意味合いで語られているが、私が思うにソウルメイトとは、この世で恋人や夫婦になるとは限らない。
    ましてや異性とも限らない。人生でたった一回、逢うだけのこともあるだろう。
    そう考えていた私は、北川さんこそ私のソウルメイトに違いないと信じていた。
    もちろん、彼女には私の妄想じみたそんな考えを伝えることはなかったし、時が来れば、彼女との関係がぷっつりと途切れるであろうことは予想していた。
    限りない輪廻の世界で、何らかのつながりがあったという浪漫じみた感慨に耽るのは、あくまでも自分の内面だけのことに限る。
    この世界における、不倫を悪とする共同幻想に基づいたモラルに従うだけではなく、自分の浪漫じみた感慨を壊さないためにも、私はモラルから外れた関係に堕ちることだけは避け続けた。

    もしも、彼女のほうから私に対してモラルに反するモーションをかけられたとしたら、それを撥ねつける自信はなかった。
    しかし、彼女のほうからのそんなモーションがなかったことは私にとって幸いだった。
    私の一方的な思い込みだったかもしれないが、周波数のチューニングがピタリと合っていた私達は、互いの生活から生い立ち、普段感じていた喜びと悩みなどを語り尽くした。

    私は彼女のクライアントではなかったので、彼女のカウンセリングを受けたことはなかったが、おそらく彼女は私自身が気づいていなかったこと、無意識的に心の底に抑圧してきたことまで把握していたと私は確信していた。
    95年に私が由美子と結婚するまでの間、北川さんと共に過ごした体験は、90年代前半の私にとって、かけがえのない想い出だった。

    「何年ぶりなの? 今もあのオフィスにいるの?」

    そう問われた私は、心の中で指を折って、私達の空白の年数を数えた。

    「そう、6年は会ってなかったような。俺のオフィスは相変わらず、と言ったところだ」

    北川さんは少し噴き出し気味にこう答えた。

    「〝と言ったところだ〟なんて、相も変わらず変な人のまんまだよね! 戸田さんって・・・・・・」

    「それより北川さんは何でここにいるわけ? 最後に会ったときには、シンガポールだったっけ? とにかくロンググッドバイになるかも? って言ってたよね?」

    「ロンググッドバイ、と言ったところかな?」

    逢わなくなってからも私は北川さんの消息が気にならなかったわけではなかった。
    ただ何となく、もう逢うことはないだろうと感じていた。
    そして、たとえ会うことがなくなったとしても、それはそれで〝定め〟のようなものだから致し方ない、と言うか、それが自然なんだろうなと思っていた。

    私は再度、北川さんに聞いた。

    「だからね、あなたは何でここにいるわけ?」

    「〝どこにいようと俺の勝手だ〟っていうのが戸田さんの口癖だったけど、それをそのまま戸田さんに返そうかしら?」

    北川さんは変わっていなかった。

    「勘弁してよ」

    「勘弁するよ。もう二年前に日本に帰ってきたのよ。シンガポールには単身赴任だったんだけどね」

    「ふうん、そうだったんだ」

    「それでね、今日は氷川神社の近くにある前職の同僚のマンションに行ってきたの。帰りはバスで渋谷駅に行くよりも、懐かしい駒沢通りの坂でも下ってみようと思って歩いてたわけ」

    「前職、ってことは、もう臨床心理士は辞めたの?」

    「うん、今はね、ジュエリーデザイナー」

    そう聞いても私は意外とは思わなかった。北川さんならそういう転身も不思議じゃないなと思った。

    「どうせなら羽澤ガーデンにでも入って積もる話でもしたいけど、今、営業時間外だし、北川さんも予定があるだろ? 俺も明日までに提出しなければならない権利関係の事務処理が溜まっているんだ」

    「そうね、急だしね。私も今日はこのまま帰らなきゃならないの。それより、風のうわさで聞いたんだけど、戸田さん、離婚しちゃったんですって?」

    「どこのどんな風だか何となく察しがつくけど、そう、なん、です、よ、ね・・・・・・」

    「まあ! 何とお慰めしたらいいのか、私には離婚の経験がございませんので・・・・・・」

    少しだけ笑いをこらえているような北川さんを責める気持ちなど湧いてこなかった。
    むしろ彼女に縋るような気持ちが湧いてきた私はこう切り出した。

    「近いうちに飲みに付き合ってくれれば有難いんだけど」

    「〝有難いんだけど〟なんて、相も変わらず心の鎧を外せない人なんだね」

    今度はあからさまに笑いはじめた北川さんは、2週間後にJR恵比寿駅西口から歩いて数分の割烹料理店で逢うことを約束してくれた。

    2週間後の夜、約束の割烹料理店で私達は思わぬ再会を愉しんだ。
    かつて真夏の羽澤ガーデンでは生ビール、イタリア料理店ではワインなどを散々飲んできた私達だったが、日本酒を嗜んだ記憶はあまりなかった。
    北川さんとはほぼ6年間のブランクもあったし、日本酒というのも何となく新鮮な気分だった。

    お互いの消息を語り合った後、北川さんはこう切り出してきた。

    「私は仕事として戸田さんを診断したことはなかったけどね、長い付き合いの中で大体のことは把握したつもりだったのよ、戸田さんの」

    アジール ー自分軸の拠点ー【連載③】へ続く


     
     
     
    2021年、60歳から小説・エッセイを書き始めました。自らの経験に、現在形の人生観・死生観をまぶし、こんな生き様でも、呆れて笑って頂くことで、そんなに頑張らなくたっていいんだと心が軽くなる方がおられれば、この上なき幸いです。

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