『ひとり芝居 村上春樹「夏帆」の解釈』《掌編小説》
令和8年熊本地震、千葉県や北陸各県での豪雨に驚かされた夏も終わり、9月に入るとともに秋雨前線が居座った土曜日の午後1時過ぎ。
吉祥寺・井の頭公園内のイタリア料理店のカウンター。紅い弁財天が右側に見える池を眺めながら、僕と男性の友人の交野さんは、イタリア産生ビールとワイン、マルゲリータを嗜んでいた。
梅雨入り前の6月も、同じく土曜日の午後1時過ぎだった。あのときは、湊かなえの『暁星(あけぼし)』の感想から、「集合的無意識のエントロピー」という僕の独特の社会観を披露させてもらった。
そのときの話の繰り返しにはなるが、交野さんと私は渋谷のある企業で開催されたマーケティング・リサーチ業界団体セミナーの懇親会で知り合った。前期高齢者の仲間入りした僕より二回り年下の41歳。
僕はフリーランスになってから10年以上経っていたが、交野さんは会社員。2年前、立食パーティ形式の懇親会で、たまたま小説の話になって意気投合して以来の付き合いだ。
「冴島さんだったら、村上春樹の『夏帆』、雑誌の『新潮』で読んでたんでしょ?」
「いや、去年の夏に出た『文芸 ブルータス2025夏』に掲載されていた、『新潮』2024年6月号『夏帆』の加筆改訂版で初めて知ったんだ。僕が『新潮』を定期的に読み始めたのは2026年1月号だったから、最終回までの間が抜けていてね、単行本を買ったんだよ」
「そうだったんですか。冒頭で夏帆がいきなり男から『醜い』と言われたのは、『一人称単数』を思い出しましたよね?」
「うん、さりげない日常生活に鋭く斬りつけられた一刀のようなコトバ。でも『夏帆』のほうは、冒頭の〝暴言〟も見事な伏線だったわけだし、その後のストーリー展開にはグイグイと惹き込まれてしまった……」
「それで、冴島さんにとって『夏帆』はどんな小説でしたか? ワンワードで言うと」
「そりゃ、世界でたった一人の僕にとって固有な独特の作品、ってとことかな?」
「ほう、なぜですか?」
「20代の中頃にね、武蔵境の女性を口説いたら、あっけなく撃沈。それから間もなく、浦和の女性と付き合い始めたからだよ」
交野さんは、(また始まったよ……)という呆れた表情でピザを口に入れた。
「ハッハッハ、この話は事実だけどね、そんなことより僕は、この小説、主人公の夏帆の〝ひとり芝居〟という解釈ができるんじゃないかな? と。もちろん、僕独りだけの解釈だけど」
少しは気を取り直した交野さんは、ワインをオーダーしてから、興味深そうに僕に問うた。
「面白そうですね。僕はこの小説のキーワードでもある〝原因と結果の等価性〟について深く考えさせられたのですが、夏帆と母親の〝和解〟についても、夏帆が創作していた『ミソラの物語』の結末にしても、村上春樹は相変わらず、問題の根底に横たわる本質を、読者にはぼかすんですよね、今度もか、というのが僕の読後感ですが、冴島さんのおっしゃる〝ひとり芝居〟とは?」
「物理的には母親の心臓に刃を刺すという、平常な精神状態だったら絶対にできない行為の背中を押した猫の〝スカーレット・ヨハンソン〟は、夏帆自身だったということに尽きるね。そうなると夏帆の〝守護的存在〟の佐原だって、現実世界の人間とはいっても、やはり夏帆の深層にいる夏帆自身と言えるんじゃないか? ありくいの夫婦だってそうだし、物語の中では〝敵〟、つまり〝悪〟であるジャガーとシロアリの女王だって、夏帆の深層に巣くったダークサイドの存在なんじゃないかな? 母親への深い猜疑心のメタファーだったのかもしれない」
了
《参考文献》
『夏帆』(村上春樹著、新潮社、2026年7月第一刷)
ドイルの星屑ブックカフェ📚 〜ブレイクタイムに読みたい記事〜
ドイルさま、掲載いただき、誠にありがとうございます!
