
『AIによるアンケート調査のシミュレーション』《ショートショート》
「AIを使ってねぇとな、クライアントから信用されなくなるぞ。広告代理店はもちろん、メーカーとか事業会社のリサーチャーは、どんどんAIを試してるんだからな!」
目白駅西口のある海鮮系創作居酒屋で、50代のマーケティング・リサーチャーの飯田に対し、60代の私はこう言い放った。
今はフリーランスのマーケティング・リサーチャーの私も、かつては複数のマーケティング・リサーチ会社の社員だった。そのうちA社の現役社員の2人の合計3人でこの居酒屋で日本酒と海の幸を嗜んでいる。飯田の他は40代の森田さんだ。森田さんは私にこう問うた。
「日下さんは、AI使ってますか?」
「もちろんです。調査設計時には欠かせません。1日がかりだった工程が1時間に圧縮できますし。もちろん、会話を重ねた末のAIのアウトプットは精査して修正しますけどね。結構、時間がかかりますけど、精査は必須です」
数十年の付き合いの飯田には、ぞんざいなため口をきく私だが、付き合いの浅い森田さんは、飯田より若いのにも関わらず、私は距離を置き敬語を使っている。
「俺はフリーランスだから、面倒臭いセキュリティでがんじがらめの御社とは違うけどね。いや、逆に御社の経営層の顔ぶれを想像すると、社内独自の生成AIの利用が推奨されてると思うけど、中高年のリサーチャーには抵抗感のある人が多いんじゃないか? 飯田もそうだろ?」
一瞬、左側の口元を歪めて、聞きたくないこと言われたな、という表情を見せた飯田は、ためらいがちにこう私に返してきた。
「……リサーチャーの業務での生成AIの利用は、上層部に把握されてましてね、人事評価にも反映されてるんですよ」
「ああ、成程! エンジニア系の連中が幹部社員でデカイツラしてる御社らしいね!」
「それよりも日下さん、近い将来、マーケティング・リサーチ、そうですね、定量調査は生成AIに置き換わる、つまり、生身の人間にアンケート調査を行う必要がなくなると思いますか?」
まだ40代で、会社員生活があと20年以上残っている森田さんにとって、それはリアリティのある未来予測だろう。
「そうですね、10年先のことはわかりませんけど。人間の左脳は代替できても、右脳は代替できない現状の生成AIでは、生身の人間へのアンケート調査を代替するのは不可能です」
「やはり、そう、ですよね……」
「私、実際のアンケート結果の結果、手持ちのデータとですね、そのアンケート調査の結果を生成AIに推測させてみたんです。5つの生成AI、Genspark、ChatGPT、Google Gemini、Copilot、Perplexity。5つとも無料版。だからClaudeは使いませんでした」
「え! それでどうでした?」
「結論から言うと、現在の生成AIは、生活者の回答傾向をそれらしく描く能力はかなり高いものの、実際の定量調査で得られる回答率を再現する能力は極めて限定的である、ということです。それから私は、全ての生成AIの予測結果を、5つの生成AIに分析までさせてみました」
「どうでしたか?」と森田さんは興味深げだ。
「実調査結果をほぼ正確に予測できたのは3割程度で、残り7割は実調査結果との乖離が著しかったです。順位の予測もですね、実調査結果の順位と、生成AI予測の順位が一致した確率はほぼ6割。言うまでもないことですが、バイアスがありますからね」
話がここまで進むと、飯田は蚊帳の外だった。延長を含めた定年を逃げ切ればいいからと考えてるのだろうか?
「バイアスは想像つきますね」
私の体験に興味を示した森田さんは、私に話の続きを促した。
「まず、現在の生成AIの情報ソースは、生活者のリアルな本音ではなく、インターネット上に流通している支配的な言説、つまり、パブリック・ナラティブに過ぎないということ。生活者の回答ではなく、もっともらしい生活者像を推定しちゃうから、教科書的な正解となるのは当然でしょう。特に、ネット空間に散らばっているメディアの論調、有識者の見解、政府機関のガイドラインの影響が大きいのはわかりますよね? これは一般論の影響バイアスです」
「はい」
「次は推定バイアス。生活者は自分の感覚で回答しますが、 AIが推定するのは意味ということ。他には、社会的に妥当で、説明しやすく、批判されにくい回答を生成する社会的望ましさバイアス、必ずしも論理的に整理されていない生活者の感覚がわからない合理的選択モデルのバイアスもあります」
「そういったバイアスはよくわかります。日下さん、では、実調査結果と生成AIによる推測値の乖離が少ない、つまり当たっていたのはどんな設問でしたか?」
「いい質問ですね。すでに合意形成された評価の再現ということができます。具体的には、官公庁などの統計データとの乖離が少ない、そうですね、スーパーやコンビニなど小売店の利用頻度や、株式投資でのNISAの利用率などですね」
「成程、意識との乖離の少ない実態ベースですね。もちろん全ての実態ベースではないでしょうけど……」
さすが、森田さんは飲み込みが速い。
「森田さん、それでもね。実調査結果と生成AIによる推測結果を比較することで、生活者の本音を推測することもできるんですよ。これはGoogle Geminiさんに示唆されたんですけどね」
すると、今まで蚊帳の外だった飯田が、急に興味を持ったのだろう、私に問いかけてきた。
「どんな示唆ですか、日下さん」
「投資を行う目的を聞いた調査結果ですが、生成AIの予測値が、実調査結果の値を大幅に上回ってしまったのは、『資産形成・将来への備え』『老後の生活資金の準備』『税制優遇制度の活用』『物価上昇対策』の4項目だったんです。こういうのって、金融機関の広告で真っ先に前面に出てきますよね。これは広告の有効なメッセージと考えられているものの、実際、生活者にとってはタテマエと言えます。それで、生成AIの予測値が、実調査結果の値をほぼ当てていたのは、『預貯金より効率的にお金を増やすため』『配当金を得るため』、つまり、人間としてより原初的な動機、つまりホンネと言えるでしょう」
そこで、今度は森田さんが、何かを思いついたような表情でこう答えた。
「となると、その調査結果そのままではなくとも、金融機関の広告(クリエイティブ)・営業施策の示唆にはなりますよね?」
飯田も話に乗ってきた。
「たとえ仮説でも、インサイト(洞察)を得ることはできますね」
「うん。俺もフリーランスなんで、クラウドソーシング向けのサービスメニューは創ってみたけどね……」
話がここまで進んだが、日本酒の地酒と刺身盛り合わせを追加注文したタイミングで、私は話題を変えてみた。
「数か月前、プロ野球監督が、自宅でいざこざを起こした娘さんのAIによるアドバイスがもとで、逮捕された事件があったよね」
「何とも言いようのない事件でしたね……」
こう呟いた森田さんと、横で頷いていた飯田に私はこう言った。
「生成AIがまだ人間の左脳の優れた代替機能を備えた存在、ということを前提にするとね、かつて家庭内で親が行っていた子供への情操教育がAIに代行される流れになると思う。すると、AIに示唆されるままに育つ子供がいれば、AIに反抗する子供もいることになる。そうなるとさ、リアルな人間の家庭生活ってどう変わっていくのか想像すると面白いよね。AIに反抗した子供が人間の親との信頼関係を深めるとか。これはポジティブな予測、いや、妄想だけど」
了
