
トライアル① 『罪人A』
十二月の校舎は鉄の箱のようだ。
雨風を防ぐ代わりに、それ自体が保冷材のように冷気を帯びている。
足元から、壁の芯から、僕の真ん中の熱まで奪おうと手を伸ばしてくる。
無数の冷たい手から逃れるため、僕はできるだけ廊下の中心を歩いて部室へ向かう。
この季節、入口の扉が閉まっていると身構えてしまう。
部室の金属製のドアノブは、人の手による干渉を火花と破裂音で拒む。
誰か来やしないかと振り返るが、灰色に染まった通路には猫さえ見当たらない。
意を決して火花を喰らおうとしていたときだった。
「川島くん」
背中から、鈴森春子の声がした。
……が、冷たい廊下には、僕と、僕を呼ぶ声しか存在していない。
首を傾げる僕に、その声は続ける。
「あ、ごめん。私、朝起きたら透明になってて」
その声は確かに鈴森さんのものだった。
密かに恋している女の子を声を間違えるわけがない。
恋心のなせる業か、不思議と怖くなかった。
「いったい何があったの、鈴森さん。透明人間なんて」
「分かんない。今朝、お母さんが私を起こしに来てさ、一人でパニックになってるの。私がいないって。私は目の前で寝てるのに」
そりゃパニックにもなるだろう。
こんな寒い朝に、娘が何も言わずにいなくなっていたら、不穏な想像しか浮かばない。
「と、とりあえずさ、部室に入って話そうか。……このドア、開けられる?僕、静電気が強くてさ。この季節のドアノブは凶器でしかないんだ」
「ああ、川島くん、よくドアの前で躊躇してるよね。弱りきった顔して」
彼女が笑う。
笑顔は見えないが、何となく目の前に、大好きな彼女の笑顔が思い浮かんだ。
僕のこと、結構見てくれてるんだな。
たとえ弱りきった姿でも。
「じゃあ、ドア開けるね」
鈴森さんの髪からであろうシャンプーの香りが鼻先を漂って、ドアノブがカチャリと鳴った。
彼女の指先がノブに触れたと思われた瞬間、まるで目に見えるような電撃が、彼女の腕から全身に光のシルエットを作り上げた。
「見えた……」
「えっ?」
気付けば、そこに彼女はいた。
いつものままの彼女。
僕の恋する鈴森さん。
「見えるの?」
「うん、見える。透明じゃなくなったみたい」
「マジか。もう少し透明のままで、川島くんを見てたかったんだけどな」
「……ん?」
「ほら、堂々と見てられるしね」
彼女が透明になった理由なんて分からない。
それは、冒頭を書いた人に考えてもらうとして、そのおかげで鈴森さんと二人だけの部室トーク。
今回のことがなかったら、きっと緊張して、何を話したらいいのか分からないまま固まってた。
こんなシチュエーションを作ってくれたあの人に感謝しなくちゃ。
「透明になるってさ、ある意味、自分の外見を気にせずに誰かと話せるってことだよね。自分に自信が持てるっていうか、本音が言えるっていうか」
「まあ、スマホで話す場合も同じだけど、目の前に相手がいるのにそれが出来るのは、確かに違うよね。きっと、緊張してる自分を見られないのがイイのかも」
「なるほどね。川島くん、私と話すとき緊張してるんだ。お互い様だね」
「お互い様なんだ……同じ気持ちってこと?」
もう、透明になる必要なんてない。
ちゃんと想いを伝えられるから。
僕達は、廊下の真ん中を歩いて部室を後にした。
もはや、どんなに冷たい鉄の箱だって、僕達の熱を奪えそうにない。
こちらの企画に参加させていただきました。
よろしくお願いいたします。