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味方

    「じゃあ、お父さんが男手ひず぀でお父さんに感謝だね〜」

    私が䞭孊2幎生の時に、母は病気で亡くなった。
    圓時私は14歳だった。
    あれから20幎以䞊経ったが、䞭孊時代に母が亡くなっおいるず話すずたいおいこのように返される。
    男手ひず぀で仕事をしながら家事育児。
    私も芪になった今、本圓にその通りだなず思う。
    䜓力的にも粟神的にも、父の忍耐力の凄さには芪になっおようやく気が付いた。
    でも。
    私だっお頑匵っおきたよね ず、14歳の私が顔を出す。
    呚りに気を遣わせないように、これたでず倉わらぬように。
    お通倜には近所の同玚生も来おくれたし、お葬匏の日は普通に平日であるにも関わらずクラス担任が孊玚委員を䌎っお来おくれたが、泣いおみんなを困惑させるようなこずはなかった気がする。
    先生や呚りの倧人に「倧䞈倫」ず聞かれれば、「倧䞈倫。」ず蚀えるくらいには気䞈に振る舞えた。
    数日孊校を欠垭したが、お葬匏が終わるずたた日垞ぞず戻っおいく。
    たった1人だけ、䞭1の時の担任の先生が「ご飯は食べおる倜は眠れおる」ず聞いおくれた。
    それに察しおも「食べおたす。」「眠れおたす。」ず返した。
    実際食欲が萜ちたり眠れなかったりするこずはなかった。
    その先生は同䞖代のお子さんを持぀お母さんでもあったのであのような心遣いのある聞き方をしおくれたのだなず、今でも時々思い出す。
    母が亡くなっお最初の半幎くらいは、よくクックドゥで肉ず野菜の炒め物を䜜っおいた。
    父は料理ができないし、効は幎䞋なのでい぀も私が頌たれた。
    しょっちゅう同じようなメニュヌにみんな飜きおくる䞭、私も郚掻に宿題に忙しい。
    䞭孊校が遠く、登䞋校に時間がかかるのも蟛かった。
    い぀からか倕飯䜜りを攟棄するようになったが、この圓時は䜕を食べおいたか芚えおいない。
    äž­3の時、なにかのタむミングでお匁圓の日があった蚘憶がうっすらある。
    父は優しい人だが、料理は党くできない昭和の男だったのでお匁圓を䜜っおもらったこずは䞀床もなかった。
    生前に母が詰めおくれたお匁圓を思い出しながら、冷凍食品をチンしお、卵焌きくらいは朝から䜜っお そうしお完成したお匁圓を孊校ぞ持っおいったのだず思う。
    äž­3女子ずもなれば、お母さんず䞀緒にお匁圓を䜜っおくる子もいたし、たった1回のお匁圓を自分で䜜るくらいは特に䞍幞なこずだずも感じおいなかった。

    高校に入るず絊食がないので、父からお昌代をもらい賌買でパンを買ったり、孊校ぞ行く前にコンビニでおにぎりを買ったりしおいた。
    みんなが持っおくるような綺麗なお匁圓を毎日自分で甚意する気力はなかったが、時々タッパヌにおかずずごはんを詰めお持っおいくこずはあった。
    高校で最初にできた友人がなかなか自立心の匷い子で、郚掻の朝緎の為早い時間に家を出なければならないけれど、お母様も働いおいお朝はゆっくり寝おいたいず。
    そこで友人は、冷凍のお奜み焌きをチンしおドヌンずタッパヌに入れお持っおきたのだ。
    最高な友人のおかげで、綺麗に詰められたお匁圓じゃなくおいいんだず思えた瞬間だった。
    別の友人のお母様は、私の誕生日に私の奜きなオムラむスのお匁圓を䜜っおくださったり、倧孊時代の友人たちはお誕生日䌚をしおくれた時にドリアなどの手料理を振る舞っおくれた。
    母が亡くなっおから、誰かの䜜ったごはんを食べるずいうこずがなかったので、自分のために䜜っおくれたごはんが嬉しくおおいしくお、心に沁みた出来事である。

    男芪では気が回りにくい、成人匏の振袖は1人で自転車に乗っおお店たで借りに行った。
    友人たちは家にあるものだったり、レンタルならば1幎くらい前から予玄しおいるようだったが、父にはそういった情報は分からなかったのではないかず思う。
    出遅れたが残っおいるものの䞭から気に入った振袖を借りられた。
    お母様が成人匏で着た振袖を着るずいう友人や、お母様ず振袖を遞びに行ったずいう友人たち。
    レンタルショップぞ1人で行ったので店員さんにも驚かれたりしお、自分には母がいないずいうこずを実感したむベントでもあった。
    早朝の着付けは効が送迎しおくれお、無事成人匏に参加するこずができた。
    翌幎の効の成人匏の日は、私が同じように送迎した。
    振袖を着た状態では少し窮屈な車内で、姉効で歌ったりたわいもない話をしたりしお、それはそれでいい思い出ずなっおいる。

    時は過ぎ、珟圚私は結婚しお2人の子どものお母さんである。
    7月7日、䞃倕。
    登校前に子どもたちが絊食の献立衚を芋ながら、䞃倕れリヌが出ないずがっかりしおいる。
    絊食無償化の圱響か ず思い぀぀、それっぜいものを䜜っお倕飯のデザヌトに出すこずにする。
    オクラず春雚の倩の川スヌプず、ベランダで育おおいる倧葉が収穫できそうなので、メむンはしそ逃子にしよう。
    朝䞀で買い出しに行き、自宅で仕事をしたあず䞋準備に取り掛かる。
    䞃倕れリヌは、䞋段にカルピス味のれリヌ、䞊段にブルヌハワむで色付けしたクラッシュれリヌを倜空に芋立おたレシピを参考にしお䜜っおみた。
    孊校から垰っおきた子どもたちに盛り付けをお願いしたら、倧喜びでこちらたで嬉しくなる。
    逃子も焌き䞊がり、「ごはんできたよ〜」ず声をかけるず、子どもたちが配膳などを手䌝っおくれる。
    倫は軜く参戊しおくれるが、い぀の間にか自分だけ着垭しおいる。
    昔䞀緒にバむトしおいた時から、さもやっおいるフリが䞊手な人だった。
    意倖ず呚りは気が付いおいるのになず思うけれど。
    䞃倕れリヌを芋お、「䜕この色」ず蚀い、しそ逃子を食べお「党然倧葉の味しない」ず蚀い、心のこもっおいない「いただきたす」ず「ごちそうさた」を蚀う。
    私は私で、心のこもっおいない「いっおらっしゃい」ず「おかえり」を蚀うので、同じなのだず思う。
    時々子どもたちに、なんでお母さんはお父さんず結婚したのず聞かれる。
    いちばんは流れずいうかタむミングだが、この人に぀いおいけば人生倉えられるかもずいう期埅があった気がする。
    今思うずなんお他人たかせなんだず思うけれど、この䞃倕の倕飯が着火剀ずなっおこの゚ッセむを曞いおいるのであながち間違いではないのかもしれない。
    急に人生の䌏線回収がきたようだ。

    翌日知り合いのマダムたちず雑談をしおいるず、ボヌナスの話題になった。
    「ボヌナス入ったでしょう、旊那さんに感謝だね〜」
    私は圚宅パヌト䞻婊で、自分のお小遣いを皌ぐ皋床の劎働しかしおいないので、本圓にその通りである。
    でも、ず思う。
    母を亡くした14歳の頃、子どもでも倧人でもなかった私は、未だに倧人になりきれず、結局䜕者にもなれおいないんだず突き぀けられる。
    普段は寝おも寝おも眠たい私だが、平日は誰よりも早く起きお、自分の成長の為にもず现々ずパヌトもしお、倕飯の逃子は焌くだけのや぀ではなくおなるべく手䜜りで包む。
    だけどそんな些现な頑匵りは、倫からすればフルタむムで働き家事育児たでこなしおしたうママたちず比べたら党然なんだろう。
    自分でもそう思う。
    呚りのママたちず比べたら党然頑匵りが足りないず。
    「お父さんに感謝だね〜」
    「旊那さんに感謝だね〜」
    ああ、私は14歳の頃ず䜕も倉わっおいないんだな。

    私が䞭孊を卒業する頃には、母がお䞖話をしおいたサボテンや芳葉怍物も枯れおしたっおいた。
    私が倫の求めるレベルで働いたずしお、きっず同じこずになるんだず思う。
    ベランダの倧葉は枯れお、家の䞭は荒れお。
    今のパヌトは保険䌚瀟のバックオフィス業務だが、FPでもなんでもないただの䞻婊の私が金融コラムを䜜成したりしおいる。
    それをさもFPさんが曞いたコラムかのようにUPする。
    そんな、ないものをあるように芋せる仕事。
    信甚ならないな、ず思う。
    だけど、子䟛が朝起きおお腹が痛いずなれば、「ずりあえず今日は䌑む」ず蚀えるし、病院の受蚺が必芁そうならば仕事の時間を調敎しお連れお行くこずができる。
    孊校からお迎え芁請の電話があればすぐに向かうこずもできるし、倕方の旗圓番もこなせる。
    孊生アルバむトよりも䜎時絊だけれど、このバランスでないず私のキャパではマルチタスクを乗り切るこずが難しい。

    「お父さんに感謝だね〜」
    「旊那さんに感謝だね〜」
    分かっおる。
    だけど。
    なんで私の頑匵りはい぀も圢にならないんだろうな 。

    毎幎子どもの誕生日は盎近の䌑日に倖食をするのだけれど、圓日も子どものリク゚ストでピザを䜜ったり、デザヌトにフルヌツ盛りを準備したり、母はちょっず匵り切る。
    でもふず思う。
    子どもの誕生日は私が人生でいちばん䜓を匵った日でもあるんだよな。
    倫は私のこずを頭が悪いず思っおいるだろうが、私は倫が思うほど自分のこずを頭が悪いずは思っおいない。
    ただちょっず勉匷も運動もできた14歳の私が、今の私に根拠のない自信を䞎えおくれおいる。
    自分も母芪なった今、母ほど自分の絶察的味方でいおくれる存圚はいないのだず感じる。
    でも、母ずいう絶察的な味方を倱った私だからこそ、今床は自分が自分の絶察的味方でいおあげないずいけない。
    母芪を倱うずいうず、かわいそうに思われたり同情されたり 倧倉なこずはいろいろあったし自分の子どもたちに同じ経隓はさせたくない。
    でも、私はこの経隓があっお良かったずいう蚀い方は倉だしそれはちょっず違うけれど、この経隓があっおこその自分であり、この゚ッセむも誰かの圹に立぀ならばそれこそこんなに嬉しいこずはない。
    自分のルヌツみたいなものだ。
    䞍思議なもので、効もそうらしい。誰にでも起こるこずではないこずを経隓したからこそ、この経隓が誰かの助けになるこずを願っお、圢にしお届くものにしおみたいず挠然ず思っおいた。
    人生はい぀からでも螏み出せる。
    䜕者でもない普通の䞻婊だけど、私にもできたから。

    今幎の子どもの誕生日は、“私が人生でいちばん䜓を匵った蚘念すべき日だ”ずいうこずで、こっそりスタバでケヌキを味わっおきた。
    い぀だっお自分だけは自分の味方であれ

    #創䜜倧賞2026
    #゚ッセむ郚門

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