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Photo bykazehukaba

恋愛を書いていたら、生き方の話になっていた

    最近、恋愛の会話劇ばかり書いている。
    恋愛相談から人生の意味の話になったり。
    終電を見ながら後悔について話したり。
    花火を見ながら、思い出は景色ではなく人を覚えているのだと気づいたり。
    家具屋では、ソファを見ながら未来の生活を想像していた。
    書いているのは恋愛のはずなのに、出来上がるのはいつも人生の話だった。
    最初は不思議だった。
    私は恋愛を書きたいのか。
    人生を書きたいのか。
    でも最近、ようやく分かった。
    私は恋愛を書いていたんじゃない。
    「誰かと生きること」を書いていたのだ。

    昔の私は、「誰を好きになるか」が恋愛だと思っていた。
    でも今は少し違う。
    「誰とスーパーへ行くか」
    「誰と夕食を考えるか」
    「誰と何でもない火曜日を過ごしたいか」
    そんなことばかり考えている。
    恋愛は、イベントではなかった。
    生活の入口だった。

    家具屋が好きだ。
    ソファそのものに興味があるわけではない。
    そのソファに座る休日を想像してしまう。
    ダイニングテーブルそのものではなく、その前で交わされる会話を想像してしまう。
    私は家具を見ていたんじゃない。
    生活を見ていた。
    恋愛も同じだった。
    好きという感情より先に、「この人とならどんな生活になるんだろう」と想像してしまう。
    その想像が始まる相手を、好きになるのかもしれない。

    ここ数ヶ月、自分は恋愛で何を探しているのかを考え続けてきた。
    ドキドキだろうか。
    運命だろうか。
    特別な誰かだろうか。
    違った。
    私が探していたのは、
    「一緒に普通の日を育てられる人」
    だった。
    だから私は、パン屋やホームセンター、家具屋、スーパーに惹かれる。
    そこには生活がある。
    生活は、派手なイベントではない。
    買い忘れた牛乳や、座り心地のいいソファや、今日の夕食を考える時間でできている。
    私は昔、恋愛は人生の特別な章だと思っていた。
    でも今は、恋愛も生活の一部だと思っている。

    創作も同じだった。
    笑いを書こうと思っても、人間を書いてしまう。
    恋愛を書こうと思っても、生き方を書いてしまう。
    だから私は、これからも恋愛だけを書くことはできないのだと思う。
    恋愛は、人がどう生きるかを一番濃く映す場所だから。
    結局私が書きたいのは、「好き」という感情ではない。
    誰かと暮らし、
    誰かと食卓を囲み、
    誰かと普通の日を積み重ねていくこと。
    その静かな営みの中で、人がどんなふうに変わっていくのか。
    恋愛を書いていたら、生き方の話になっていた。
    たぶんこれからも、私はそんな話しか書けない。

     
     
    恋愛・仕事・生活の違和感を「なんでそう感じたんだろう?」から整理しています。 手土産と回復導線が好き。

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