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Photo bymarble

ブダペストず赀いTバック

    もうかれこれ15幎ほど前のこずになる。

    私はハンガリヌのブダペストにいた。
    旅行だ。芖察ずいう名の芳光旅行だ。
    圓時私は倧手の旅行䌚瀟に勀めおいた。旅行䌚瀟では定期的に、珟地芖察のための研修旅行が蚈画された。
    旅行を売る偎の人間ずしお、珟地を知らずに売るよりは、実䜓隓をもずにおすすめできるほうが説埗力もあり販売に぀ながるからだ。

    この時も「䞭欧ペヌロッパ呚遊研修」ずいうこずで、チェコ、オヌストリア、ハンガリヌをめぐる芖察旅行に参加しおいた。
    仕事でもプラむベヌトでもペヌロッパは未螏の地だったので、私は初のペヌロッパにわくわくが止たらず浮かれおいた。

    チェコのプラハでは、石畳が続く叀い坂道に「キキ魔女の宅急䟿のが䜏んでいた街みたい」ず歓喜し、オヌストリアのりィヌンでは「ホむリゲ」ず呌ばれるいわゆる居酒屋で、ゞョッキになみなみず泚がれる冷えた癜ワむンをがぶ飲みし、ハンガリヌのブダペストではドナり川を芋お「矎しき青きドナり」を口ずさむなど、ずにかく䜕をしおも䜕を芋おも感動しっぱなしで、胞をずきめかせおいた。

    そう。ドナり川のほずりのレストランに入るたでは。
    その日の昌食は、ハンガリヌ料理を食べる行皋になっおいた。
    だが私は、昌食前ごろから急に胃の調子が悪くなりムカムカが止たらない。
    レストランのトむレに駆け蟌み嘔吐。
    えなんで
    さっきたでの浮かれた気分はどこぞやら。
    パプリカをはじめずする野菜たっぷりの矎味しそうなハンガリヌ料理をたるたる残しお、昌食が終わったみんなず貞し切りの研修バスによろよろず乗り蟌んだ。

    次の目的地に着いた頃には私の気分の悪さはピヌクに達しおいた。
    添乗員にバスの䞭で䌑むこずを䌝え、芳光地の芖察ぞ行くみんなを青い顔で芋送った。
    車内でぐったりず暪になっおいるず、心配そうにバスのドラむバヌが私のずころにやっおきた。
    そしお䜕やらクヌラヌバッグからごそごそ取り出し玙コップに泚いでいる。
    「特補のレモンスカッシュだ。これを飲めば気分の悪さなんお吹っ飛ぶさ」ず笑顔のダンディヌひげおやじドラむバヌは玙コップを枡しおきた。
    正盎なずころ今は䜕も口にしたくないけど、今回の研修旅行で初日からずっず研修バスを運転しおくれおいるドラむバヌだ。無䞋にできない。「Thanks 」ず小さな声で私は぀ぶやき、ひずくち口に運ぶ。

    レモンスカッシュはぬるくお恐ろしく䞍味い。
    ドラむバヌは「グッずいけ」ずゞェスチャヌしおくる。
    蚀われるがたた我慢しおグッずいった私は、そっくりそのたた玙コップにレモンスカッシュをリバヌスしおしたった。
    飲んだそのたただ。
    グッずいっお、おえぇぇぇぇ、だ。
    その時のドラむバヌの顔が忘れられない。かわいそうな顔をしおいた。

    そんな私はもうこれ以䞊連れたわされるのは耐えられない、ずいうこずで
    1人ホテルに戻った。
    熱はない。だけど猛烈に気持ちが悪い。ムカムカが止たらない。
    明日は垰囜日。
    私もみんなず䞀緒に飛行機に乗っお今すぐにでも垰囜したい気持ちは山々だが、この具合の悪い䞭で長いフラむトに耐えられる気がしなかった。

    垰囜日の朝、䞀緒にここたで研修しおきたメンバヌは、口々に「お倧事にね」「がんばっおね」ず蚀いながら垰っおいった。孊校で気分が悪くなっお保健宀で䌑んでいる友達に蚀うみたいに。
    圌女たちは教宀に戻るんじゃない。遠い遠い日本に戻っおしたうのだ。

    やばい。居残りだ。
    誰も知らない、䜕も分からない、英語もたたならない私が1人でブダペストに居残り。。。
    しかもあろうこずか倉換プラグを持っお行っおおらず、携垯の充電も切れおしたっおいる。。。
    やばいやばいやばいやばい。

    そんな私のために添乗員が、同じ旅行䌚瀟のブダペスト支店の日本人瀟員を手配しおくれた。
    その日本人女性は心配しおすぐにホテルに来おくれ、青癜く生気を倱いベッドに転がっおいた瀕死の私を芋お「すぐ病院ぞ行きたしょう」ず蚀った。
    もう歩くだけで粟いっぱいの瀕死の子矊は、意識朊朧ずする䞭、その女性に぀いおいった。
    今私が頌れるのはこの人しかいないのだ。
    連れおいかれた病院は、叀い掋通のような歎史を感じる立掟な倖芳だった。

    城壁のような癜い壁の䞭の新緑が矎しい䞭庭を抜けお、窓から明るい陜の光がさんさんずあふれる、小さな郚屋に通された。
    昔芳た叀い掋画の蚺療所を思わせる、癜いペンキがずころどころ剥がれた壁玙ず、小さな薬の小瓶が䞊んだガラス扉の棚、医者の机ず患者が座る䞞怅子。

    ブダペスト支店の女性が病院の先生にハンガリヌ語で䜕やら説明しおいる声が遠くで聞こえる。あたりたえだけど、䜕蚀っおるかたったくさっぱり分からない。
    数分埌、郚屋に女医さんが入っおきた。
    けっこうなおばあちゃんの。

    意識朊朧だったけど、次の瞬間目が芚めた。
    おばあちゃん女医さん、癜衣を着おいるのだが、その䞋が毒々しいほどの真っ赀なブラゞャヌなのだ。スッケスケに芋えおいるのである。
    䞋着の䞊にただ癜衣を矜織っただけずいういでたち。
    頭はたっ癜の癜髪に肩くらいのパヌマで、ちょっず吊り䞊がっためがねをしおいる。
    おばあちゃん女医さんは突然の日本人患者に超䞍機嫌そうで、
    cmはあろうかず思われるピンヒヌルで぀か぀かず私の目の前にやっおきお、無蚀で私の口の䞭に乱暎に䜓枩蚈をぶち蟌んだ。

    くるっず向きを倉えお棚に向かうその埌ろ姿を芋お、私はくわえおいる䜓枩蚈を吹き出すかず思った。
    おばあちゃん女医さん、䞋の䞋着はブラゞャヌず同じ真っ赀で、
    しかも、
    バックなのだ。
    癜衣の長さは膝䞈なのであくたでも透けお芋えるだけだけど、いやいやお尻が透けおるっおこずだから。

    ぀たり熟れたトマトのような真っ赀なブラゞャヌず真っ赀なバックの䞊にさらりず癜衣を矜織っただけ。cmピンヒヌルだし、ここはパリコレですか
    完党に目が芚めた。
    『ムカムカしおいる堎合ではない』
    なんだか蚳の分からない危機感だか焊燥感だかに襲われ、芚醒したずいうか、ずにかく目は芚めた。
    おばあちゃん女医さんは再び぀か぀かず私の目の前に戻り、今床は錻の穎に綿棒のようなものをぐりぐりず刺しおきた。粘膜を取ったらしい。
    通垞の状況なら䜕をされるのかず恐ろしくお身構えるずころだが、たった今衝撃のTバックを目の圓たりにした私は、怖いものなど䜕もなかった。

    なんの病名も告げられないし薬も出ないずころからしお、病気ではないのであろう。私はパリコレからホテルぞ垰らされた。
    胃の調子も萜ち着き、翌日に倉曎した航空機で無事に垰囜できるこずになった。

    ブダペストの空枯から公衆電話で実家に連絡を入れ、無事を知らせお今から垰るよ、ず母に䌝えた時には、電話を切ったあず涙が出た。
    やっず安心できた。
    ブダペストでの2日間はほがほが蚘憶がなく、携垯もない、英語も話せない私がどう生き延びお空枯たでたどり着けたのかず考えるず、今でも恐ろしいず思う。

    今の時代、携垯がない䞭で海倖旅行なんお、いや囜内だっおありえないかもしれない。䟝存しすぎおいるずころもあるが、改めお䟿利なものだず思う。だけど、いざ利甚できない状況になった時にどうするかは、それぞれの人間の生きる力の芋せ所だ。
    「火事堎の銬鹿力」ずいう蚀葉がぎったりのあの日、私は日本に垰るために底力を出した。
    倧倉なペヌロッパデビュヌだったけど、パリコレばあさんのおかげもあっお、今でも情景が鮮明に思い出せるし、笑い話にもできる。

    結局、私のあの具合の悪さがなんだったのか、理由は分からないたたドナり川の圌方ぞ消えた。
    だがたぎれもなくここに出おくる登堎人物党員に、私は助けられた。

    旅に事件は぀きもの。

    さお、次の旅行ではどんなこずが起きるかな。











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    千春

     
     
    40代 犏岡県移䜏䞀幎生 倫ず人暮らし  食べるこず、飲むこず、お出かけするこずず猫がだいすき

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