
配信で十分?わざわざ劇場へ行く時間が、私を取り戻してくれた
「映画は配信で十分」そう思っていませんか?
映画は、もう家で観る時代なのかもしれません。
配信サービスを開けば、話題の新作もすぐに手元に届きます。
ソファに座ったまま、好きな時間に、好きなだけ観られる。
子育て中の身としては、それだけでも十分ありがたい環境です。
実際、周りのママ友に「最近映画館行った?」と聞いても、
返ってくるのは「配信で十分かな」という声がほとんどです。
忙しい毎日の中で、わざわざ時間を作って、移動して、劇場に足を運ぶ。
そのハードルは、年々高くなっているように感じます。
私自身も、以前はそう思っていた一人でした。
フリーランスだからこそ、後回しにしていたもの
フリーランスという働き方を選んでからは、映画館に行く時間を
作りやすくなりました。予定を調整すれば、
平日の空いている時間に足を運ぶこともできます。
それなのに、なぜか「今日はまず仕事を進めよう」
「その時間があるなら家事を片付けよう」と、後回しにしてしまう癖が
なかなか抜けませんでした。
時間の調整のしやすさと、その時間を自分のために使えることは、
まったく別の話だったのです。
それでも私は、月に何度か、思い切って劇場に足を運びます。
働き方を変えたからといって時間は有限。
満たす時間をあえて「作る」という選択をする。
そこに、私なりの理由がありました。
前すぎる席で気づいた、大きな誤解
その日は、朝から慌ただしい一日でした。
子どもを学校に送り出し、夜ご飯の下ごしらえを終わらせ、
顧客対応のメールにもざっと目を通して返信を済ませる。
やることを一通り片付けてから、身支度を整えて劇場に向かいました。
何事もメリハリが大事だと思っています。
やるべきことを先に終わらせておくからこそ、劇場に着くころには
「さあ、ここからは自分の時間」と、心を切り替えられる。
移動中も、少しずつ日常から離れていく感覚があり、
非日常の空間に浸れると思うと、それだけでワクワクしていました。
正直、映画は家のテレビでも観られます。
子どもが寝たあと、配信サービスを開けばいい。
そう思っていた時期が、私にもありました。
それでもこうして劇場に足を運ぶのは、
この「切り替えの時間」ごと味わいたかったからなのかもしれません。
だから、たまの「映画館DAY」も、席選びには
初めはこだわっていませんでした。空いていればどこでもいい。
そう思って、前方の端の席を選んだ日のことを、今でもよく覚えています。
スクリーンが近すぎて、視界いっぱいに広がる映像。
最初は迫力があっていいと思ったのに、10分もすると
首がじわじわと痛くなってきました。
見上げる角度がきつく、目線を上下に動かし続けるうちに、
肩まで凝ってきます。おまけに端の席だったせいで、音のバランスも悪く、片方のスピーカーの音だけが強く聞こえてくるような気さえしてきます。
気づけば、私は映画の内容よりも、自分の首の角度と
音の違和感ばかりが気になっていました。あれほど楽しみにしていた
「切り替えの2時間」のはずが、「いつ終わるかな」に
変わっていたのです。
「疲れた」の正体
家に帰ってから、ふと思いました。私が「疲れた」と感じたのは、
映画がつまらなかったからではありません。席という「観る条件」を、
完全に甘く見ていたからです。
家のテレビなら、観る位置も音量も、自分の好きなように整えられます。
だから「映画は家でも観られる」という考えは、
半分は正しいのかもしれません。
でも劇場は違います。席を間違えると、
その2時間の質そのものが変わってしまうのです。
裏を返せば、席さえ合っていれば、劇場にしかない没入感を
身体に負担なく味わえるということでもあります。
私はそれを、失敗して初めて理解しました。
逃げ場のない2時間が、私を静かにしてくれた
「後回しにしてしまう」のは、実は時間がないからではなく、
劇場に行くこと自体を、どこか贅沢だと感じていたからかもしれません。
子供も少しずつ成長し、調整しやすい状況になりながら、
なぜかその時間を、自分のために使うことにためらいがありました。
子どものそばにいる時間を増やしたくて、
在宅での仕事をメインに選びました。それ自体に後悔はありません。
けれど在宅だからこそ、家事や仕事の距離感が、
うまく保てない瞬間があります。
洗濯物が視界に入れば手を止めたくなるし、
仕事用のパソコンを閉じても、頭のどこかでまだタスクを数えている。
同じ空間にいる限り、母としての私と、
働く私は、きれいに切り離せませんでした。
けれど、実際に劇場に足を運んでみると、
その2時間が私に返してくれるものは、贅沢どころか、
暮らしを立て直すために必要な余白でした。
家で映画を観るとき、私はいつでも一時停止できます。
スマホが鳴れば手に取りますし、洗濯物が気になれば席を立ちます。
子どもの物音がすれば、意識はそちらに向かいます。
つまり家では、私はどこまでいっても「母」であり
「仕事に取り掛かる私」のままなのです。
けれど劇場では、その選択肢が奪われます。
スマホはしまうしかありませんし、途中で席を立つわけにもいきません。
スクリーンの大きさと暗闇が、否応なく私を映画だけに向き合わせます。
何も気にしなくていい世界に、強制的に没頭させられる。
その状態こそが、私にとって一番のリラックスなのだと気づきました。
この「逃げ場のなさ」こそが、私にとっての救いでした。
働く母は自分で時間をコントロールしにくい立場にいるからこそ、
逆に「コントロールできない2時間」が、
頭の中を強制的に静かにしてくれたのです。
仕事のこと、家庭のこと、次にやるべきことを考える隙間を、
劇場は与えてくれません。
没入するというのは
単に映像や音に圧倒されるということではなく、
自分の意思では手放せないものを
強制的に手放させてもらえる時間なのだと
私は劇場に通ってようやく気づきました。
劇場に行くときに、必ず確認する3つのこと
あの日の失敗以来、私は劇場に行くたびに、
次の3つを必ず確認するようになりました。
1つ目は、中央寄りの席かどうかです。
端の席で音のバランスが崩れた、あの日の失敗が忘れられません。
片方のスピーカーの音が強く聞こえ、違和感を感じる。
おまけに端すぎる席のせいで、
目線を左右に動かし続け、疲れてしまいました。
あれ以来、左右均等に音が届き、スクリーン全体が自然に視界へ収まる、
中央寄りの席を選ぶようにしています。
2つ目は、上映時間帯と混雑度です。
フリーランスという働き方だからこそ選べる、平日の空いている時間帯。
あえて人の少ない回を選ぶことで、隣や後ろの物音を気にせず、
より深く没入できます。
時間を自分で調整できる自由を
こうして「質の良い2時間」に変換できることも
この働き方を選んでよかったと思える瞬間のひとつです。
3つ目は、帰宅導線まで含めた劇場選びです。
上映後、すぐに電車に乗れるか、駐輪場からの動線はスムーズか。
劇場を選ぶ時点で、観たあとの自分の動きまで想像しておくと、
余韻に浸る間もなく現実に引き戻される、という事態を避けられます。
どれも些細なことに思えるかもしれません。
けれど、この3つを押さえるようになってから、
映画館での2時間は「疲れる時間」から「満たされる時間」に
変わりました。
あの日とは違う、満たされた2時間
先日、楽しみにしていた新作映画を観に、
グランドシネマサンシャイン池袋のIMAXシアターへ足を運びました。
今回選んだのは、後方の中央寄りの席です。
座った瞬間、まず感じたのは安心感でした。スクリーン全体が、
無理なく視界に収まっています。字幕の位置も自然に目に入り、
前の席の人の頭が気になることもありません。
「これなら2時間、疲れずにいられそうだ」。
座った瞬間に、そう思えたことが、あの日との一番の違いでした。
上映が始まると、映像の迫力はそのままに、
身体への負担だけがすっと消えていく感覚がありました。
目線を大きく動かす必要もなく、音も左右のバランスが取れていて、
ストーリーに集中できます。
以前は「疲れないように、内容以外のことばかり気にしていた」
自分がいたのに、この日は最後まで、物語の中に自分がいました。
観終わって席を立ったとき、身体が軽いことに気づきました。
首も肩も痛くない。
むしろ、頭の中がすっきりと静かになっている感覚がありました。
上映前まで抱えていた仕事のことも、家庭のことも、
いつの間にか意識の外にありました。
劇場を出たあと、少しだけカフェに立ち寄って、
映画の余韻に浸る時間を持ちました。慌てて帰る必要はない。
この「余韻ごと味わう時間」まで含めて、
劇場に来てよかったと思える瞬間でした。
席ひとつでこんなに体験が変わるのだと、
あらためて実感した一日でした。
「わざわざ」を選ぶということ
こうして書いてみると、
これはただの映画館の話ではないのかもしれません。
配信で十分なはずなのに、
わざわざ時間を作って、移動して、劇場に足を運ぶ。
それは一見、非効率な選択に見えます。
けれど、その「わざわざ」の中にこそ、
自分を取り戻すための余白があるのだと、私は気づきました。
時間の自由があっても
その時間を自分のために使うのは簡単ではありません。
だからこそ、あえて手間のかかる選択をしてみる。
逃げ場のない2時間に、自分を委ねてみる。
もし今、「映画は配信で十分」と思っている方がいたら、
一度だけ、劇場に足を運んでみてほしいと思います。
作品そのものよりも、きっと「わざわざ」を選んだ自分に、
何かを返してもらえるはずです。