
大人になるということ
人は、いつ大人になるのだろうか。
18歳の誕生日
20歳の誕生日
社会人になった日
結婚した日
子どもが生まれた日
⋯⋯⋯
人間が生きていく上で、様々な節目の日というものが存在するが、具体的に大人になった日を特定するのは難しいものである。
かく言う私も、いつ大人になったかは覚えていない。
しかし、いつからいつまでの間に大人になったかという範囲だけは、はっきりと特定できるのだ。
私の場合、24歳から30歳までの「いつか」である。
24歳のあの日、成人もしていたし、社会人でもあったが、私はまだ子どもであった。
あの日は、婚約者である彼女(現・妻)と、私と彼女それぞれの母親と4人で結婚式場の下見に来ていたのだ。
私たちの結婚式場選びは、事前の綿密なリサーチを経て、三つの式場が最終候補となっていた。この日は、そのうちの一つの式場を見学するとともに、披露宴で出されるお料理を試食することになっていたのである。
その式場は、いわゆるガーデンタイプとよばれる式場であった。披露宴会場は一面ガラス張りとなっており、白を基調とした美しい空間に、外からは燦々と光が降りそそいでいた。
そして、そのガラスの向こうには、丁寧に手入れされた庭園が広がっており、青々とした芝生のカーペットが贅沢に敷きつめられていたのである。
披露宴での食事のあとは、その庭園で記念撮影やイベントができるのだという。
私たちは、こんな素敵な場所で挙式できることを想像して、大いに夢を膨らませていたのである。
しかし、式場のスタッフが慣れた口調で式場の魅力を語るなか、一人だけ浮かない表情で油汗をかきながら、腹に手を当てている者がいたのである。
新郎の私である。
私は、子供の頃からお腹が弱く、時折、お腹を下してしまうのである。この日も調子が悪く、腹痛を我慢しながら見学をしていたのだ。
ようやく見学が終わり、次の試食会に備えて場所を移ることとなった。さすがに、この広々とした披露宴会場で試食するわけではなく、小さなスタッフルームのような場所で試食をするらしい。
安堵の表情で、私はその部屋に一つだけあった小さなトイレへと駆け込んだのである。
無事トイレを終えて、水を流したところまでは良かったのだ。しかし、トイレットペーパーを多く使っていたためか、完全にはトイレットペーパーが流れきらなかったのである。
幸い私の腹の中で暴れていた猛獣は流れ去っていたが、何度水を流しても、トイレットペーパーは流れなかった。それどころか、私がレバーを大の方向に捻るたび、トイレの水位は増す一方であったのである。
⋯このままでは、決壊する。
眼前に広がるナイルの猛りに、私は大いに焦った。
一方、この個室の外では、私以外の三人がとっくに試食会の準備を終え、今か今かと私の帰りを待っていたのだ。
あまりに遅い私の帰りに、彼女から「今どこ?」という催促のLINEがきたのである。
⋯ごめん、試食会には行けません。
いま、トイレにいます。
である。
CMの彼女はシンガポールで立派に地下鉄を作っていたが、私は今にも下水道を壊しそうな状況であった。
そして、このときの私が選んだ行動こそが、当時の私がまだ子どもだったことの証明である。
私は、自分の母親にこっそりLINEで連絡を取るという行動に出たのであった。さすがに、婚約者にもバレたくなかったのである。
私の母親は、式場のスタッフに小声で事情を話し、すぐに清掃スタッフが駆けつけてくれた。
清掃スタッフは、慣れた様子でスッポンを使ってトイレのつまりを解消したのである。私は、赤面しながら、その後の試食会での食事を済ませたのであった。
結局、その式場は選ばなかった。
ガーデンタイプは、雨が降ると大幅に予定が狂ってしまうという不確実性があるのだ。それに、その式場は、交通の便もあまりよくなかったのである。
本当は、私の便が悪かったせいもあるけれど…。
今はもう少しだけ、知らないふりをします。
⋯中途半端に、昔のCMに乗っかって申し訳ない。
とにかく、このときの私は子どもだったというわけである。
それから、月日は流れて6年後のことである。
その日、私は3歳の娘と二人で水族館へと出かけていた。このように、私と娘二人だけで出かけるのは中馬家では珍しいことではなかった。私は、背中にオムツやおしり拭きを収納したリュック、体の前に抱っこ紐という重装備で出かけていたのである。
しかし、この日も事件は起きたのである。
やはり突然の腹痛に襲われた私は、途中の駅で降車し、駅の中のトイレへと駆け込んだのだった。
預けられる妻も側にいない以上、当然娘も一緒である。
なんとか、魔物を腹から追い出し一息ついたのも束の間、私は6年前と同じ光景を見たのである。
⋯トイレがつまっている。
私は慌てた。
あの時と違って、今回は、近くに頼れる人もいないのである。おそらく状況を理解していない娘であるが、私の焦りが伝わったのか、不安げな表情を浮かべている。
そして、私は迷った。
ここで恥を忍んで駅員さんを呼ぶか、このまま逃げるか。
しかし、トイレをつまらせたまま、知らん顔で逃げるなんて大人のやることではないのだ。
さりとて、駅員さんに言うのも…。
私は、苦悶しつつも、6年前の悪夢がいかに解決されたかを思い出したのだ。
そうだ、スッポンだ!
私は、トイレの中の掃除道具入れをそっと開いた。幸い鍵もついておらず、私が切望したスッポンは、そこにあったのである。
私は、そのスッポンでトイレの詰まりを見事に解消した。そして、何事もなかったかのように、娘を連れて水族館への旅を再開したのである。
もう私は、あの時の子どもではなかった。
この6年間のうちに、立派な大人へと成長していたのである。
大人とは何か。
大人とは、自分のしたことに責任を取れる者を言うのである。