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持続可能なタンポポ飛ばし

     小さい頃、タンポポを飛ばすのが好きであった。綿毛をふーっとする少年を思い浮かべたかもしれないが、そうではない。つぼみの状態のタンポポを飛ばす遊びが好きだったのである。

     やり方はこうである。まずは、つぼみの状態のタンポポを探し、片手で握りしめるようにもつ。そして、親指をつぼみの根元に潜らせ、コイントスと同じ要領でつぼみを弾くのである。これにより、つぼみは、ポーンっと数メートルも飛んでいくのである。

     何とも残酷な遊びをやっていたものである。

     綿毛を飛ばす遊びは、結果的に綿毛があちこちに飛んでいき、そこで新たな生命が芽吹くこともあるであろう。

     しかし、このつぼみ飛ばしは、ただただ無惨なタンポポのみが残されるのである。まだ種子は実っておらず、新たな生命など芽吹く余地はない。

     幼き私も、この点は理解していたらしい。つまり、こうして大好きなつぼみ飛ばしを続けていけば、いつしか公園のタンポポは絶滅するであろうことを恐れていたのだ。

     そこで、私は私なりに持続可能なタンポポのつぼみ飛ばしを行うべく、考えたのである。SDGsなる言葉が生まれる20年も前のことであった。私の先見の明には驚かされるばかりである。

     さて、その解決策であるが、まずは飛ばしたつぼみを拾い上げ、中にある種をむしり、地面にばら撒くという方法を思いついた。こうすることにより、志半ばにして散ることとなったタンポポの種子を未来に残そうとしたのである。

     しかし、先述の通り、つぼみの中の種子は実ってないのである。結果的に、この行為は意味がなかったと言えよう。

     続いて行ったのが、綿毛のタンポポをできる限り早めに飛ばしてあげようというものである。いずれは風に吹かれて飛ぶわけだから、おせっかい以外の何ものでもない。幼き私は、そうすることで、より確実な種まきを支援したつもりでいたのだ。

     しかも、冒頭のイメージ少年のようにふーっとでもやれば、まだ可愛げがあるのであるが、そんな面倒なやり方は数回で飽きるのである。あとは、ひたすらキックで綿毛を撒き散らしていた。

     こうした私という悪魔の襲来にもかかわらず、公園のタンポポは尽きることなく、その後も元気に咲いてくれた。

     自然の強さを知るとともに、タンポポには今でも申し訳ない気持ちでいっぱいである。

     

     

     
     
     
    40歳前後の国家公務員。小役人の日常や子どもの頃の出来事など、実話をもとにしたエッセイを書いています。

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