
母子のお礼
朝の電車は憂鬱な揺りかごである。乗せられた者は、みな一様に目の輝きを失っており、学校や職場という地獄へと連行されているからである。
その時間を睡眠にあてる者、スマホでのゲームにあてる者など、過ごし方はまちまちであるが、楽しく過ごしている者など滅多にお目にかかれるものではない。
ところで、私は電車では座りたいほうである。「みんな、そうだろ」というツッコミがきそうであるが、私は、一時間弱の間、一本の電車に乗り続けているのだ。この長時間において、座れるか座れないかは大きな問題なのである。
このため、私は、最寄り駅で座れない見込みと判断した場合は、一つ電車を見送って次の電車に乗るのが常なのである。この日もそうして確保した我が席であった。
しかし、半分ほどの行程を消化したところで、この通勤電車には馴染まない、母子が乗り込んできたのである。子どもは、4歳くらいの女の子であった。
満員の中、当然席は空いておらず、母子は私の席から3人分ほど離れた位置に立つことになったのである。
正直、いくらこの憂鬱な揺りかごの住人たちとはいえ、誰か一人くらいは席を譲るものと思っていた。しかし、そのまま誰も立ち上がることはなく、電車は動き始めたのである。
電車は、母子を立たせたまま次の駅へと到着した。母子の隣に立っていた人たちは次々に降りていったが、やはり、席はあかなかった。
すると、ここでようやく一人のおじさんが文字どおり重い腰をあげたのである。
そう、私である。
さっさと譲ればよかったものを、このおじさんは
一駅の間、「ちょっと、離れてるしなあ」などと自分に言い訳をしながら、声をかけられなかったのである。
しかし、意を決したおじさんは、母親に「どうぞ」と言い、女の子に席を譲ったのだった。
母親は少し驚いた表情を見せたが、すぐさま笑顔でお礼を言って子どもを座席に座らせたのである。
普段なら、話はここで終わりなのである。あとは、憂鬱なおじさんがつり革につかまって、職場までドナドナされるだけなのだ。
しかし、この日は違ったのである。
母親の様子を見ていたためであろうか、なんと、小さな女の子まで満面の笑みで、「ありがとう!」と言ってきたのである。
今度は、おじさんが驚く番であった。子どもからお礼を言われるとは思ってもみなかったのだ。
そして、おじさんには、その無邪気な笑顔が眩しすぎて直視できなかったのである。
このおじさんは、日々、薄暗い世界で生きているのだ。
デスクワークで働く役人の仕事というものは、ほとんど感謝されることはないのである。いただくのは、非難、陳情、叱責そして時折の罵倒くらいのものである。その上、やることは尽きないときている。
家に帰れば愛しの妻子がいるものの、ここでも最近は怒られてばかりなのだ。「〇〇して、ごめんね」または「〇〇しなくて、ごめんね」が、おじさんの口癖なのである。
そんな中、おじさんは、久しぶりに温かい心に接したのだ。それは、暗い部屋のカーテンの隙間から差し込んだ春の日差しとでも言えるものだった。
さらに、この天にも登りつつあるおじさんの耳に追い打ちをかけるように、母子の会話が飛び込んできたのである。
「よかったね、優しいお兄さんに席を譲ってもらえて。」
「うん!」
オ……!?オ・ニ・イ・サ・ン??
オジサンでもオニサンでもなく、オニイサン??
自認おじさんになって久しい私は混乱した。
確かに、私は小学校高学年の娘に対して、
「パパって、まだお兄さんだよね?
パパが、M!LKの中に入っても違和感ないんじゃないかなあ?」
と、言いはする。
言いはするのであるが、このとき、私の脳内のキートン山田が、
「牛乳に墨汁を垂らすようなものである。」
と即座にツッコミをいれてくるのである。
何より、娘だって
「いや、普通におじさんだから。」
と、冷静に返事をして、おじさんの勘違いを抑止するのである。
しかしながら、今、この中年男性に対して、間違いなく「お兄さん」という代名詞が使用されたのである。
これは、人生でもらう最後の「お兄さん」になるかもしれない貴重なものであったのだ。
その日、電車の席の代わりに、女の子の笑顔と「お兄さん」という言葉を得た私は、幸福な気持ちで地獄へと連行されたのである。