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校歌に出てくる山に行った話

     小学校の校歌には、地元の山や川が登場しがちである。おそらく静岡県の学校の校歌では、富士山の出現率は相当なものではないかと思料する。

     これは、私が小学校六年生の頃の話である。少しずつ成長して、世界が広がっていったあの時代、私は友人と一緒に自らの町を越えて活動するようになっていった。

     最初は実にくだらないもので、地元の知っている地名ではないところまで行ってみようというものであった。適当に歩いてたどり着いた町では、自分の知らない番地名が掲げられており、さながら異世界に来たようであった。そして翌日、クラスで武勇伝として、「俺達は、〇〇町というところまで行ってきた。」と語るわけである。

     さて、ここで重要なのが自転車を使わないことである。自転車を使ってしまっては、未知の世界が一気に広がりすぎ、かえって楽しめないのである。自転車での移動は、目的地までの単なる移動になってしまう。小学生にとって、それは点と点の移動なのだ(不思議なことに、大人になると、自転車で知らない道を走っているだけで満足できるようになる。)。

     さて、こうした探検を続けていたある日のこと、休日の朝から本格的な探検をしようではないかということになった。お弁当や水筒持参の上で、旅にでようというものである。旅である。私たちは、この言葉の響きにうっとりした。

     こうして、小学六年生4人ほどによる、壮大な旅が始まった。分かれ道があれば、より知らなさそうな方へと進路をとり、大きな道路を外れて当てもなくただ歩き続ける。

     途中、河原にたどり着くと、猫の死体を見つけた。私たちは、何故なのかはわからないが、河原の泥濘んだ地面を掘り、そこで丁寧に弔った。

     その後も、お弁当休憩を挟みながら、我々は旅を続けた。そして、よく知る地名の標識を見つけたのである。校歌に出てくる山の名であった。後からみれば、その山の最も裾野に当たる場所にすぎないのであるが、我々は大喜びであった。

    「校歌の山だ!」

     と、大歓声をあげて、意気揚々と家路へとつくのであった。誰も登ろうとは言わなかったあたり、もういい加減疲れていたのであろう。

     さて、次の月曜日はこの話題でもちきりであった。校歌の山にたどり着きし者現る、である。多くの者が、「次は俺も連れて行ってくれ!」と発言したため、メンバーを追加した上で、次の休日に第二回の旅が開催されることとなったのである。

     このとき、既に場所は特定してあるのだから、地図を見ながら最短距離で行こうと提案する無粋者がいた。例によって私である。

     私が言うには、前回、相当な時間をかけて歩いた道のりも、主要な道路を使えば一時間程度で行けるはずだという。周りの友達も、「まあ、近いに越したことはないしな。」ということで、これに同意したのである。

     二回目の旅は、実につまらないものであった。ひたすら、アスファルトを歩くだけだからである。前回通った河原はおろか、曲がり道すらほとんどなく、目的地までの距離を消化していった。

     そして、あっけなく校歌の山(の場所を示す標識)は現れた。私たちは、「着いたな。」と思った。が、そこで特にやることはなかった。

     せっかくなのでお弁当を食べようとはなったが、ここは山の裾野の平地であって、山頂などではない。たまたま目についた小さな公園でお弁当を食べたが、ひどく虫が飛んでいたことだけ覚えている。

     今、適当に思いついたが、人生という旅もこういうものかもしれない。

     
     
     
    40歳前後の国家公務員。小役人の日常や子どもの頃の出来事など、実話をもとにしたエッセイを書いています。

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