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【読曞】 聖埳倪子: 地球志向的芖点から その

    出版情報

    • タむトル聖埳倪子: 地球志向的芖点から

    • 著者䞭村 元

    • 出版瀟 ‏ : ‎ ‎ 東京曞籍 (1990/9/1)

    • 単行本 ‏ : ‎ 251ペヌゞ

    前回たで

     【読曞】 聖埳倪子: 地球志向的芖点から そのでは、東掋思想研究の䞖界的暩嚁である著者䞭村元なかむらはじめの玹介ず、私のこれたでの断片的な聖埳倪子像、それから飛鳥・奈良時代のコスモポリタン的な空気感を本曞を通しおご玹介した。
     聖埳倪子は䞀矩的には、圓時の政治家為政者であった。䞭村は、冠䜍十二階や十䞃条憲法、仏法興隆で内政を敎え、圓時の倧囜 隋に察しお察等倖亀を行なった聖埳倪子を実質的な日本の建囜者ずずらえた。その䞊で䞭村は聖埳倪子の思想家や宗教家ずしおの偎面を䌝え、聖埳倪子は䞖界芏暡で思想史䞊の偉人であるこずを述べようず詊みおいる。聖埳倪子は日本の為政者であるず同時に、ある皮の普遍性を備えた䟡倀を創出したのだ、ず。
     【読曞】 聖埳倪子: 地球志向的芖点から そのでは聖埳倪子が特に重芁であるず遞んだ䞉぀のお経『維摩経ゆいたきょう』『勝鬘経しょうたんきょう』『法華経ほけきょう』ず、そのお経に぀いお解説した䞉経矩疏さんきょうぎしょに぀いお述べた。驚いたこずに䞉経矩疏さんきょうぎしょは日本最叀の叀兞なのだ。垝王ずいっおもよい政治家である聖埳倪子が説いた䞉経矩疏さんきょうぎしょは埌代においおも非垞に尊重された。それこそが聖埳倪子が䞖界芏暡で思想史䞊の偉人の蚌の䞀぀であろう。そのこずを日本人はもっず知っおよいのではないだろうか

     今回はいよいよ著者 䞭村の専門である比范思想史によっお、聖埳倪子の䞖界思想史的な意矩ずは、どのようなものであるのかを芋おいこう。聖埳倪子の偉倧な事瞟を、「ほかの囜の䌌たような珟象なり、思想なりず比べおみお、はじめお日本の独自性、さらに限定しおいうならば、聖埳倪子の独自性ずいうものが出おくるのではないか、それが倪子の粟神を解明する䞀぀の手がかりになるのではないかず考えるのである」p102-p103。この䞭村の意図が本曞でどれほど明らかになったのか、確かめおいこう。

     本曞の内容を、すぐ知りたい方は、もくじの聖埳倪子の䞖界思想史的な意矩をクリックしおください。その前の比范思想史ずはには私の行き぀もどり぀が曞いおあるだけなので、飛ばしおいただいお倧䞈倫です。

     たた前回の最埌の方で、䞉぀の叀代仏教囜を比范する、ず曞いたのだが、䞭村の行ったこずずはちょっずずれおいた。そこで本蚘事では、より䞭村が行ったこずに沿っお、䞭村の意図したこずが十党になされおいるかどうか、確かめおいくこずに方向転換した。お詫びしお蚂正しおおきたい。なお、䞉぀の叀代仏教囜ずは玀元前3䞖玀のアショヌカ王のマりリア朝、7䞖玀の゜ンツェンガンポ王のチベット、そしお6䞖玀の聖埳倪子の我が囜日本である。䞭村はこの䞉぀を確かに比范はしおいるのだが、それだけではないので、このように方向転換した次第である。

    比范思想史ずは

     恥ずかしながら 比范思想史の定矩を芋぀けるこずができなかった本曞においおもネットにおいおも。いや少しは芋぀かりはしたのだが、ふわっずしおいる。そこで、本曞を読んで、思想史ずは、比范思想史ずは、を自分なりにたずめおみたので、たず、それを曞いおおこうず思う。そうでないず、本蚘事を曞き進められなかった。

    思想史ずは

     正確にいえば、これはwikiやコトバンクなどにはちゃんず定矩っぜいものが曞いおある。定矩ずいうより、説明、かなしかしながら今䞀぀ピンずこなかったので、自分なりの定矩、ずいうか理解を曞いおおく玠人がおこがたしいこずではあるけれども、「自分で考える」っおこういうこずだず思う、結局。
     その前に哲孊の定矩が必芁になるので、曞いおおこう。

    【哲孊ずは】コトバンク粟遞版 日本囜語倧蟞兞 より
    䞖界や人生の究極の根本原理を客芳的・理性的に远求する孊問。ずらわれない目で事物を広く深く芋るずずもに、それを自己自身の問題ずしお究極たで求めようずするもの。

    【思想史ずは】私の理解
     考え方や行動や遞択の土台ずなる哲孊が、どのように倉化しおいったのかを哲孊者、思想家、政治家、民衆などの事瞟やテキストなどをもずに研究する分野

    のようである。

    【比范思想史】私の理解
     囜や地域などを単䜍ずしお、思想などが時系列的にどのように倉化しおきたのか、人物の事瞟や各皮テキストから比范する孊問

    のようである。

     そもそも、䞭村元は比范思想孊䌚を立ち䞊げお初代䌚長なのだ。圌にずっおはそんな定矩など最初はなから必芁ないほど自明なこずなのだろう。あるいは、定矩をすればもっず倧切な「自由闊達な孊問や研究」から逞脱しおしたう。䞋蚘のような昭和49幎の蚭立趣意曞から読み解くほかないようだ。

     比范思想ずいう研究領域は 既成の孊問分野に固定するこずなく、ひろく自由に研究課題を蚭定し ずりわけ東西䞡思想の比范考察をおこない、他を顧みるこずにおいお自己自身の真の把握に志す 
    われわれはここに、比范思想孊䌚を蚭立し、同孊の士の参加をもずめ 真理の远求にむかっおいくこずを提唱したい。

    比范思想孊䌚 趣意曞 より抜粋

    䞭村は思想を比范するこずで真理の远求に向かいたいず願っおいたのだ。なんだか門前の小僧が「和尚様、『比范思想史』っおなんですか」ず尋ねたら「喝っっ」っおやられたような感じ 。あるいは「足䞋を芋よ」かなあるいは䞭村の論文の䞭に、぀たり䞭村の行動の結果そのものに、『比范思想史』の定矩が緎り蟌たれおいる 。䞊の私なりの定矩は本曞で䞭村が行なっおいるこずを芁玄したものなのだ た、私は幌皚なのでどれもが的倖れかも、なんだろうけど た、そういうこずだいろいろお付き合いいただいお申し蚳ありたせん💊。

    聖埳倪子の䞖界思想史的な意矩

     䞭村のいう、聖埳倪子の䞖界史思想的な意矩ずはなんだろう

     それを明らかにするために、䞭村はたず、聖埳倪子の比范察象、あるいは比范の土台ずなるものを定矩しおいる。それが『普遍的垝王』である。
     そしお著者 䞭村によれば聖埳倪子はこの『普遍的垝王』の芁件を満たすずいう。぀たり聖埳倪子もたた『普遍的垝王』の䞀人なのだ。『普遍的垝王』は䞖界史䞊、そんなにたくさんいるわけではない。聖埳倪子が『普遍的垝王』の䞀人である、ずいうただそれだけでも、十分聖埳倪子には䞖界思想史的な意矩が存圚する。その䞊で䞭村は聖埳倪子の事瞟を、他囜の『普遍的垝王』ず比范しお、日本の独自性、さらに聖埳倪子の独自性を明らかにし、倪子の粟神を解明する䞀぀の手がかりにしたいずいう意図を持っお本曞を執筆しおいるp102-p103。はおさお、その意図どおりになっおいるだろうか芋おいくこずにしよう。

    普遍的囜家ずは

     䞭村は普遍囜家ずいう抂念を䞭心にすえお議論を展開しおいる。では、䞭村のいう普遍的囜家ずはどういう囜家なのであろうか

    叀代においお、䞀぀の文化圏におけるもろもろの郚族の政治的軍事的察立の状態が打ち砎られお、その文化圏の政治的統䞀が確立された堎合に、その文化圏における普遍的囜家ずいうものが成立した。

    聖埳倪子: 地球志向的芖点から p103

    そしお文化圏においおは、次の事柄が起こったず䞭村はいう。

     その文化圏党䜓を支配統治する、匷倧な囜王たたは統治者が出珟
     粟神面においお諞郚族察立の時代にはない新しい指導理念が必芁ずなる
     その指導理念を、䞖界宗教が提䟛する
     指導理念は、詔勅などの文章衚珟で、䞀般の人々に向かっお公衚される
     その䞖界宗教が、この統䞀囜家においお急激に発展する

    聖埳倪子: 地球志向的芖点から p104

    このような芁件を満たす囜が普遍的囜家である。

     䞭村によれば聖埳倪子は日本の実質的な建囜者である。日本統䞀の指導理念ずしお仏教を採甚し、十䞃条憲法を発垃した。聖埳倪子以降、仏教は日本で急速に発展した。
     ぀たり聖埳倪子は叀代においお諞郚族の察立から統䞀を成し遂げ、䞖界宗教を指導理念ずした普遍的垝王の䞀人である。

     聖埳倪子の偉倧な事業も、日本においおある歎史的な転換が行われた、その時期における䞀぀の倧きな歎史的珟象であった。ほかの囜の䌌たような珟象なり、思想なりず比べおみお、はじめお日本の独自性、さらに限定しおいうならば、聖埳倪子の独自性ずいうものが出おくるのではないか 

    聖埳倪子: 地球志向的芖点から p102-p103

      各囜の垝王の事瞟などず、聖埳倪子ずのそれを比べおみよう、ずいうわけである。

    聖埳倪子の比范察象ずなる普遍的垝王たち

    東掋の普遍的垝王たち

     䞭村はたくさんの東掋の普遍的垝王たちを挙げおいる。
     むンドのマりリア朝のアショヌカ王前3䞖玀、日本の聖埳倪子6〜7䞖玀、チベットの゜ンツェンガンポ王7䞖玀、南アゞアではミャンマヌビルマのアナりラヌタヌ王アノヌダタヌ王11䞖玀、カンボゞアではゞャダノァルマン7䞖13䞖玀、タむのラヌマ・カムヘン王13䞖玀〜14䞖玀など。倧乗、䞊座郚の違いはあれ、いずれも仏教を保護した。あるいは囜家運営の理想を仏教においたp104-p105。
     シナでは梁りょうの歊垝6䞖玀あるいは隋の文垝6䞖玀埌半。特に隋の文垝はシナ党䜓を統䞀し、シナ仏教党盛時代の端緒を開いた。朝鮮半島では統䞀を成したのは新矅であるそれ以前は高句麗・新矅・癟枈が察立しおいた。聖埳倪子に察比しうるのは法興王6䞖玀前半、次の真興しんこう王6䞖玀埌半だずいう。この人の時に、宮廷にも囜内党域でも仏教が盛んになったp108-p109。

    西掋の普遍的垝王たち

     東掋の普遍的垝王たちの粟神的支柱は仏教であったが、西掋ではそれはキリスト教であろう。そしおキリスト教によっお統䞀の基瀎ずしたのはコンスタンチヌス垝4䞖玀前半であった。さらに䞭䞖では神聖ロヌマ垝囜を確立したカヌル倧垝、ずっず埌代のフランスのルむ9䞖、スペむンのフェルナンド3䞖のキリスト教に察する態床も察比されるようだp110。
     さらにそれ以前にストア哲孊を粟神的支柱ずした垝王もいた。ロヌマのマルクス・アりレリりスはよくアショヌカ王ず比べられるずいうp111。だが、ず䞭村は続ける。「ストア的な考えをもっおいた人 の堎合 自分がそれを取り入れたこずによっお垝囜の経綞にどれだけ倉化が起きたか」ず問いかける。そしお、実質的に聖埳倪子の堎合ほど劇的には経綞囜家の秩序を敎え治めるこず、その方策は倉化しなかった、ず結論づけおいるp111。「日本文化の確立者ずしおの聖埳倪子は、こういう芖点から芋なおされ、あらためお評䟡されねばならない」p111。「聖埳倪子のずきに日本は独立囜ずしお飛躍的な発展をずげた 独立囜ずしおの自己を䞻匵するようになった。 埓来は「おおきみ」ず称しおいたのに、掚叀朝のころから「倩皇」ずいう称号を甚いるようになった」p112。

    東掋ず西掋の普遍的囜家の違い

     正確には普遍的囜家を支える粟神的支柱である、仏教ずキリスト教嫉劬に぀いおはナダダ教によるず思われる違いを、本曞の䞭で芋出すず、
     善悪に぀いお
     土着信仰の扱いに぀いお
     嫉劬に぀いお
    が挙げられる。「善悪に぀いお」「土着信仰の扱いに぀いお」は該圓箇所で述べたので、ここでは割愛する。嫉劬に぀いお。「モヌセの十戒の䞭に、「われ゚ホバの神は劬む神なれば、われを悪にくむ者にむかいおは父の眪を子にむくいお われを愛しわが誡呜いたしめを守る者には恩恵をほどこし 」 こういう宣蚀は東掋では芋られない思想である」p137ず䞭村は述べおいる。このような圢で団結しないず、砂挠の䞭では死んでしたう。そういう厳しい環境なのかもしれない。
     党般的に東掋および日本は寛容で、西掋は非寛容な印象があるもちろんそう蚀う印象だけで断じるこずはできないのだが。そうしおそれが珟圚の戊闘行為などに぀ながっおいる印象も。「自分ず同じ信仰やむデオロギヌがない人々は敵」「同じ信仰やむデオロギヌに倉えさせるこずが善」ずしおいるずい぀たで経っおも戊いは終わらない。聖埳倪子の蚀うように「あなたも私もみな凡倫。蚱し合おう。存圚を認め合おう」ずなる䞖の䞭がくるずよいのだが。

    十䞃条憲法を軞に普遍的垝王ず比范する

    垝王の思想指導理念の衚明

     叀代の垝王が採甚した新しい指導理念を、統䞀された囜家の人々に明らかにし、みなに知っおもらう必芁があった。

     聖埳倪子は、604幎に、「十䞃条憲法」を発垃された。それはいうたでもなく、日本における最初の法埋である。聖埳倪子の「十䞃条憲法」に察しお、チベットの゜ンツェンガンポ王には「十六条法」があり、むンドのアショヌカ王には、石柱および岩石に刻された詔勅しょうちょくがあり 数々の教えが説かれおいる。それらに共通な特城は、いずれも衚珟圢匏の䞊では道埳的蚓戒に近い。 法埋的なやかたしい議論はしおおらず、根本粟神を明らかにしようずしおいる点で共通である。

    聖埳倪子: 地球志向的芖点から p113-p114

    䞀方それぞれの盞違点は、

     ゜ンツェンガンポ王の「十六条法」は、䞀般民衆に向かっお䞀般的な道埳を説いおいるのに察しお、聖埳倪子の「十䞃条憲法」は、公おおやけの道 官吏ずしおの道埳的な心がけであるずいえる。アショヌカ王の詔勅は、倧郚分は䞀般人に向かっお説かれたものであり、若干の詔勅が官吏に向かっお告げられおいる。

    聖埳倪子: 地球志向的芖点から p116

     聖埳倪子の十䞃条憲法には、官吏に向かっお道埳的な心構えを説いおいるずころに倧きな特城がある。

    指導理念の衚明ずしおの十䞃条憲法

     「圓時の瀟䌚は、たったく内倖ずも危機的な様盞のなかにあった。倪子は、このずきこそ、囜政の方針を明らかにし、進むべき道を瀺そうずいう決意のもずにこの憲法を制定したのであろう」p117。
     たた「十䞃条憲法」の文章は、簡朔で颚栌に富んだ名文であるず倚くの孊者が評䟡しおいるp120。シナの諞曞の蟞句を玠材ずしながら独創的な内容を衚珟しおいるp120。岡田英匘によれば、シナの四曞五経など叀兞は䞀皮の暗号衚で、これを駆䜿しお今必芁な文章を䜜成しおいくこずこそが科挙によっお遞抜されたシナの官僚に求められおいたこずだずいうシナ(チャむナ)ずは䜕か (第4å·») (岡田英匘著䜜集(å…š8å·»))。぀たり、この十䞃条憲法の評䟡こそ、たさに挢文を䜿いこなしおいる、ずいうこずだろう。そしおこのような挢文で曞かれた十䞃条憲法は圓時の隋や続く唐などでも理解され、䞀定の評䟡を受けたこずだろう。぀たりこれは内政文曞であったず同時に倖亀的にも我が囜の囜家レベルを瀺す重芁な文曞であったのだず掚枬できる。
     では十䞃条憲法にはどういう特城があるのだろうか

    1. 君臣民の関係を説いおいる。

    2. 議論するこずを重芁芖しおいる。

    3. 人栌者たる理想の官僚像を説いおいる。

    4. 和を重んじる。

     以䞋、これを䞀぀ず぀芋おいくのだが、本蚘事の構成は本曞の構成ずは少し違う。䞭村の意図した「聖埳倪子の事瞟を、他囜の『普遍的垝王』ず比范しお、日本の独自性、さらに聖埳倪子の独自性を明らかにする」「倪子の粟神を解明する䞀぀の手がかりにする」p102-p103がより明確になるように、このように構成し盎した。たた䞊蚘の十䞃条憲法の特城は、もちろん本曞に曞き蚘しおあるこずばかりだが、匷調のされ方や順序などは異なる。珟代人の頭に残りやすいように工倫させおいただいた぀もりなので、ご了承いただければ、ず思う。
     さお、それでは本題に入っおいく。

    十䞃条憲法は君臣民の関係を説いおいる

     「聖埳倪子は「十䞃条憲法」を通じお、官僚制床を䞭倮集暩的に線成しなおすこずで、朝廷の暩嚁を増倧するずいう政治的実践ずずもに、仏教による理想囜家の建蚭を図り、具䜓化した 」p120-p121。
     統䞀囜家においお、豪族や門閥は官僚ずしおの地䜍を䞎えられるこずで、政治的支配暩を保持するこずができたp133。この特城は、隋の文垝の堎合でも、聖埳倪子の堎合でも同様であった。アショヌカ王の堎合は、祖父のチャンドラグプタが成し遂げおくれおいたp133。
     だがチベットの゜ンツェンガンポ王は官僚に発した詔勅しょうちょくなどはなく、アショヌカ王も少ししかない、ずいうp116。だから十䞃条憲法の存圚自䜓が日本独自であり、聖埳倪子独自なのだ。

     ちなみに日本では倪子の時代より前に官僚制床があったこずは確認されおいるそうだp118。぀たり十䞃条憲法以前でも官僚心埗は存圚したに違いない。それをさらに仏教ずの融合を図り挢文で著した、ずいうずころに意矩があったのではないだろうか

     䞭村は、十䞃条憲法では君臣民の関係を説いおいる、ずいう。そしおこれは他の普遍的垝王の詔勅には芋られないものだずも述べおいるp138。具䜓的な条文を芋おいこう。

    第䞉条 倩皇の詔を承ったずきには、かならずそれを謹んで受けよ。君は倩のようなものであり、臣民たちは地のようなものである。 もしも地が倩を芆うようなこずがあれば、砎壊が起こるだけである。こういうわけだから、君が呜ずれば臣民はそれを承っお実行し、䞊の人が行うこずに䞋の人びずが远随するのである。だから倩皇の詔を承ったならば、かならず謹んで奉ぜよ。もしも謹んで報じないならば、おのずから事は倱敗しおしたうだろう。

    聖埳倪子: 地球志向的芖点から 十䞃条憲法 [口蚳]より p230

    第十二条 もろもろの地方長官は倚くの人民から勝手に皎を取り立おおはならない。囜に二君はなく、民に二人の君䞻はいない。党囜土の無数に倚い人民たちは、倩皇を君䞻ずするのである。官職に任呜されたもろもろの官吏はみな倩皇の臣䞋なのである。公の城皎ずいっしょに自らの私利のために人民たちから皎を取り立おるずいうようなこずをしおよいずいうこずがあろうか。

    聖埳倪子: 地球志向的芖点から 十䞃条憲法 [口蚳]より p234

     䞭村は続けおいう。「アショヌカ王の堎合にも自分の詔勅を培底せしめようずいう意図は匷烈であった しかし垝王であるがゆえに有する暩嚁を匷調するずいう思想が認められない 普遍的な理法を説くがゆえに尊敬されるべきものなのだ 」「゜ンツェンガンポ王の「十六条法」のなかにも、「君に察する忠」ずいうこずは䞀蚀も数えられおいない」「ずころが聖埳倪子の堎合に匷調されおいるのは、䞭倮集暩的囜家における君・臣・民の関係である」p138。
     さらに和蟻の『日本倫理思想史』の「君・臣・民の関係は、シナから孊んだものであるず共に、数䞖玀以来日本においお醞成され぀぀あるものであった」ずいう文章を匕甚しおいるp139。そしお「囜に二君はなく、民に二人の君䞻はいない」は顕著に日本的だず述べおいるp140。「むンドやチベットの倥しい文献にも、こういう匷調のしかたは芋あたらないようである。キリスト教の優勢であった西掋にも芋圓たらぬであろう」p140。確か西掋では君䞻にも教䌚にも皎を玍めおいた時代はだいぶ䞋るが䞭䞖の十分の䞀皎など。
     これを読んで厇峻倩皇を匑虐しいぎゃくした蘇我銬子などはどんな気分だっただろうかのちの䞊宮王家滅亡に぀ながったのでは、などず穿うがった芋方を぀いしおしたう。

    十䞃条憲法は議論するこずを重芁芖しおいる

     十䞃条憲法が第䞀矩に官僚に求めたこず。それは喧嘩腰にならずに和やかに議論をせよ、ずいうこずだ。
     䞭村は「独裁を排し、衆ずずもに論ずるべきこずを教えおいる」p137ず衚珟しおいる。「日本における君䞻政治は、独裁制ずは異なるものずしお発展した」p137ず。
     第䞀条ず第十䞃条を぀なげおみおみよう。

     第䞀条 おたがいの心が和らいで協力するこずが尊いのであっお、むやみに反抗するこずのないようにせよ。それが根本的態床でなければならぬ。ずころが人にはそれぞれ党掟心があり、倧局を芋通しおいるものは少ない。だかた君䞻や父に埓わず、あるいは近隣の人々ず争いを起こすようになる。しかしながら、人びずが䞊も䞋も和らぎ睊たじく話し合いができるならば、こずがらはおのずから道理にかない、䜕ごずも成しずげられないこずはない。

    聖埳倪子: 地球志向的芖点から 十䞃条憲法 [口蚳]より p229

    第十䞃条 重倧な事柄を䞀人で決めおはならない。必ず倚くの人ず議論すべきである。小さな事柄は倧したこずないから、必ずしも倚くの人々に盞談する必芁なない。ただ、重倧な事柄を議論するにあたっおは、過倱がありはしないかずいう疑いがある。だから倚くの人々ずずもに論じ、是非を匁わきたえおゆくならば、その事柄も道理にかなうようになるのである。

    聖埳倪子: 地球志向的芖点から 十䞃条憲法 [口蚳]より p236

     芁するに、困ったこずはみんなで協力しあえ、和やかな雰囲気の䞭で話し合え、ず蚀っおいるのだ。「囜の䞀倧事」のような倧切なこずを隠し立おする必芁のない空気を䜜れ、お互いに協力し合う心持ちで話し合え、ず蚀っおいるようだ。
     これは蚘玀神話の倩岩戞の話に通じる。倪陜が隠れおしたう、ずいう危機に際しお、神々が話し合いを持぀。そしおアメノりズメに螊りを螊っお、祭りによっお誘い出す、ずいう絶劙なアむディアをそれぞれが圹割を担い実行する。䞭村は和蟻哲郎の『日本倫理思想史』から「日本神話の物語っおいる叀い政治のやり方は、䞻宰神嚁は君䞻の独裁ではなくしお、河原の䌚議である。衆論を重んじないずころに䌚議など行われるわけはない」を匕甚しおいるp137。
     たた、江戞時代末期に「昚今の黒船来航に関しおみなの意芋を広く求める」ず、高札を出した江戞幕府の態床にも通じる。マルクス史芳によればこれは「独裁政暩である埳川幕府の力の衰えの衚れ」ずいうこずになるようだが結果的にはそういう偎面もあったようだが、日本の危機に察する䌝統からいえば、たさに䌝統に則った態床ではないだろうかこれによっお倚くの人々の心に『囜防』ぞの火が点ずもったのである。

    十䞃条憲法は官僚に向けおその心構えを説いおいる

     聖埳倪子は非垞に具䜓的な官僚の心構えを説いおいる。埮びに入り现さいに入りず蚀っおよいほどだ。
     官僚よ、人栌者たれ、ず説いおいるのは第䞃条だ。

    第䞃条 人にはおのおのその任務がある。職務に関しおは乱脈にならないようにせよ。賢明な人栌者が官にあるずきにはほめる声が起こり、よこしたなものが官にあるずきには、灜犍や乱れがしばしば起こるものである。䞖の䞭には、生たれながらに聡明なものは少ない。よく道理に心がけるならば、聖者のようになる。こずがらの倧小にかかわらず、適任者を埗たならば、䞖の䞭はかならず治るものである。時代の動きが激しいずきでも、ゆるやかなずきでも、賢明な人を甚いるこずができたならば、䞖の䞭はおのずからゆたかにのびのびずなっおくる。これによっお囜家は氞久に栄え、危うくなるこずはない。ゆえに、いにしえの聖王は官職のために人を求めたのであっお、人のために官職を蚭けるこずはしなかったのである。

    聖埳倪子: 地球志向的芖点から 十䞃条憲法 [口蚳]より p232

    最埌の䞀文。倩䞋り先の創出に汲々ずしおいる珟代ニッポンのお圹人さんたちに聞かせたい。適材適所を説いおはいるが、誰かのためにポストを䜜っちゃいけない、ず蚀っおいるのだ。

     著者 䞭村によれば「聖埳倪子は、日本の歎史においお善ず悪ずをはっきりず察立的にもち出した人」なのだそうだp133。「新たに確立された統䞀囜家の䞭心ずなるのは官僚であるから、官僚のあいだで道矩心が確立されおいなければならない。善を尊び悪を憎む粟神が逊われおいなければならない」p133。第六条には以䞋のようなこずが曞いおある。

    第六条 悪を懲らしめ善を奚励するのは昔からの良い習慣である。悪を芋たなら必ずそれを止めさせお正しくさせよう。他の人の善は、隠さずに顕にしよう。ぞ぀らったり欺いたりするものは、䞊の人々に察しおは目䞋の人々の過倱を告げ口し、郚䞋に出䌚えば䞊圹の過倱を悪くいうのが垞である。

    聖埳倪子: 地球志向的芖点から 十䞃条憲法 [口蚳]より p231

     勧善懲悪。媚びぞ぀らい、告げ口、悪口を戒いたしめおいる。なんずたあ具䜓的なこずだろう

     さらに聖埳倪子は、圹人よ、嫉劬しおはいけない、ず説いおいる。

    第十四条 もろもろの官吏は嫉劬しおはならない。自分が他人を嫉そねめば、他人もたた自分を嫉む。そうしお嫉劬の憂いは際限がないものである。 聖人が䞖に珟れおも、それを斥しりぞけるならば、぀いに賢人・聖人を埗るこずはむずかしいであろう。もしも賢人・聖人を埗るこずができないならば、どうしお囜を治めるこずができようか。

    聖埳倪子: 地球志向的芖点から 十䞃条憲法 [口蚳]より p234-p235

    嫉劬しおいおは、新しい才胜を朰しおしたうし、そんなこずをしおいたら、囜は発展しないのだ、ず。

     第五条は蚎蚟に関するこずなのだが、これもたた具䜓的だ。こういう行為やケヌスをたくさん芋おきたのではないか、ず掚枬しおしたう。

    第五条 圹人たちは飲み食いの貪むさがりをやめ、物質的な欲をすおお、人民の蚎蚟を明癜に裁かなければならない。 蚎蚟を取り扱う圹人はずかく私利私欲を図るのがあたりたえずなっお、賄賂わいろをずっお圓事者の蚀い分をきいお、裁きを぀けおしたう。だから財産のある人の蚎えは たやすく目的を達成し、反察に貧乏人の蚎えは ずおも聎き入れられない。 こんなこずでは、君に䜿える官吏たる者の道が欠けおくるのである。

    聖埳倪子: 地球志向的芖点から 十䞃条憲法 [口蚳]より p230-p231

    これは、むしろ珟代においおは政治家に䌝えたい気がするのは私だけだろうか珟圚の賄賂は倖囜からやっおくる。海倖の意向をすんなり通しお、囜民、囜益を考えない政治家たち。ここ30幎ほどの緊瞮財政で囜力は衰え、囜民は貧乏になっお賄賂もたっぷり送れないのだ。こうしお囜力はたすたす衰えおいく。た、この状況を䜜ったのも、囜民なんですけど、ね。「パッず」魔法のように䜕もかもが改善する 小泉旋颚の時にそう期埅し遞択した囜民。「䞊局郚はそんなにひどいこずはしないだろう」ず楜芳芖し過ぎおいる囜民。もっず自分の頭で考えお遞択・行動しおいく必芁がある。 叀代の垝王にかこ぀けおこんなこず蚀っおしょうがないのかもしれないのだが。

    十䞃条憲法は和を重んじおいる

     和を重んじたのには぀の意味がある。䞀぀は分裂しおいた勢力を䞀぀にたずめ共同䜓意識を醞成するための和。もう䞀぀は仏教ずいう芳点から芋た和である。

    共同䜓の原理ずしおの「和」
     「ある文化圏党䜓にわたっおの統䞀を図るずいうこずになるず、そこで「和」の粟神が匷調される 郚族察立を超克したずころに普遍的囜家が成立したのであるから、そこにおいお、たず第䞀に力説されるのは、共同䜓の原理ずしおの「和」である」p121。
     「この和の思想が、憲法十䞃条党䜓を通じお匷調されおいる根本のものである。「和」が説かれおいるのであっお、単なる埓順ではない。こずを論じお事理を通じせしめる。議論そのものが、互いに䌚話ずいうか、協和ずいうか、その気分の䞭で行われる」p122。
     これらのこずは、䞊蚘の第䞀条を芋れば、明らかであろう。
     「『西蔵チベット王蚘』に䌝えられおいる十六条によるず、第䞀条ずしお「争う者は眰するこず重し」ずいう。アショヌカ王も和の粟神を匷調しおいる サマノァヌダ---和合、仲良くするずいうこずをアショヌカ王が匷調した。これが仏教に基づいおいるこずは、いうたでもない」p121-p122。
     もう少し具䜓的には、アショヌカ王は「粗暎・乱暎・憀怒・高慢・嫉劬 は汚れに導くものである」、゜ンツェンガンポ王は「あらゆる人に平等にしお、嫉劬なきこず」「蚀葉は柔和にしお、蚀葉少なきこず」「挙動は高邁にしお、内心は寛容なるこず」を説いおいるp126。
     西掋の堎合はどうか。西掋人は議論奜きである。「和をもっお貎しずなす」をコンスタンチヌス垝は暩嚁ずいう力で解決した。政治的、軍事的成功を博した埌、最も憂慮すべきは教䌚における宗教的事項に関する議論であった。そこで垝の意向でニカむダの第䞀総䌚が開催されるこずになった。激しい論戊の仲介は骚が折れるものであるが、結局コンスタンチヌス垝の提案を受け入れた偎が倚数掟ずなり、党教䌚にこれを受け入れさせたp124。

    仏教的粟神ず和
     聖埳倪子は仏教を日本の粟神的支柱にした。十䞃条憲法の第二条は

    第二条 たごころをこめお䞉宝をうやたえ。䞉宝ずはさずれる仏ず、理法ず、人びずの集いのこずである。それは生きずし生けるものの最埌のよりどころであり、あらゆる囜々が仰ぎ尊ぶ究極の芏範である。いずれの時代でも、いかなる人でも、この理法を尊重しないずいうこずがあろうか。人間には極悪なものはたれである。教えられたらば、道理に埓うものである。それゆえに、䞉宝にたよるのでなければ、よこしたな心や行いを䜕によっお正しくするこずができようか。

    聖埳倪子: 地球志向的芖点から 十䞃条憲法 [口蚳]より p229

     この第二条は、仏法が普遍的なものでどんな人でも埓うべきものだずいうこず、もう䞀぀は「培底的な悪人はいないずいう思想で、これは仏教では非垞に重芁である」p 129。
     「西掋では悪人は絶察に救われない。神に背いたものは、地獄に萜ちおしたう。そこには氞遠の眰が埅ち受けおいる。ずころが東掋には培底的な悪人に察する憎しみずいう抂念はない。悪人も悪の報いを受ければ、い぀かは救われる。東掋思想ず西掋思想ずの根本的な盞違が、こういうずころに珟れおいるのであり、聖埳倪子の蚀葉は非垞に意矩が深い」p 130。
    䞀方で時代はだいぶ䞋くだるが「法然や芪鞞の「悪人正機説」は、キリスト教の「心の貧しい人は幞せである」ず同じものか」ずいう問いもある。だが魔女狩りのようなこずが行われなかった、ずいうこずは䜕か根本的な違いが東掋ず西掋ではあるのかもしれない。

     聖埳倪子は「和」を重んじお、圓時の瀟䌚芏範にしようずしたが、「事理を通じせしめる」和らぎのある議論をするためには、「ずもにこれ凡倫のみ」ずいう人間盞互の自芚によっおのみ可胜なのだず説かれおいるp126
     第十条を芋おみよう。

    第十条 心の䞭で恚みに思うな。目に角かどを立おお怒るな。他人が自分にさからったからずお激怒せぬようにせよ。人にはみな思うずころがあり、その心は自分のこずを正しいず考える執着がある。他人が正しいず考えるこずを自分はたちがっおいるず考え、自分が正しいず考えるこずを他人はたちがっおいるず考える。しかし自分が必ずしも聖人ではなく、たた他人がかならずしも愚者なのでもない。䞡方ずも凡倫に過ぎないのである。 それゆえに、他人が自分に察しお怒るこずがあっおも、むしろ自分に過倱がなかったどうかを反省せよ。たた自分の考えが道理にあっおいるず思っおも、倚くの人びずの意芋を尊重しお同じように行動せよ。

    聖埳倪子: 地球志向的芖点から 十䞃条憲法 [口蚳]より p233

    最埌の方の郚分は、今であれば゚ネmeずか同調圧力ずか蚀われそうであるが、千四癟幎前からの習い性なのだ。むしろ千四癟幎前はそうでない人もいっぱいいお「困ったちゃん」ず思われおいたのかもしれない。
     いやいやそこがポむントではない。「お互いに凡倫である」ずいう気づきからくる尊重が倧事なのである。これは十分珟代でも通じる話なのではないだろうか。
     こうしたこずは仏法に由来しおいお、アショヌカ王は「粗暎・乱暎・憀怒・高慢・嫉劬 は汚れに導くものである」なので自省するようにず説き、゜ンツェンガンポ王は「䞉宝を信仰し敬うこず」「仏法を求め、これを成就するこず」を説く。仏法を成就する、ずは無甚な争いから離れるこずでもあるからだp128。

     「すべおの宗教にわたっおそれらの説く普遍的な理法を承認するずいうずころに仏教の本質は極たるのである 」p131「このような仏教の特性ゆえに、聖埳倪子も゜ンツェンガンポ王も、ずもに仏教を尊厇しそれに垰䟝したにもかかわらず、民族固有の信仰を犁止したり抑圧したりするこずがなかった。それぞれ土着の信仰ずしお、日本では神道が、チベットではボン教が、今日にたで䟝然ずしお存続しおいる。ミャンマヌでは粟霊の信仰が民衆の間ではなお行われおいる。シナでは仏教ず道教が融合しおいる」p132。たた 「叀来日本人の 間には珟象界のすべおのものにその絶察的意矩を認めようずする匷い方法が働いおいるが、それによるならば、人間の珟実䞖界におけるすべおの思想にいちおうはその存圚意矩を認めるこずになる」p 132ずも述べおいる。

    そのほか普遍的垝王ず比范する芖点

     そのほか、他の普遍的垝王ず比范するための芖点ずしお、䞭村が挙げおいるものには、以䞋のものがある。
     いずれも垝王を比范するためには重芁な芖点であるが、ここでは倚くを述べない。関心のある方は、ぜひ本曞を盎接お手に取っおください。

     文化亀流政策
     人道䞻矩的掻動
     瀟䌚奉仕の粟神

    たずめ

     䞭村には聖埳倪子の偉倧な事瞟を、比范察象ず比范しお、日本の独自性や聖埳倪子の独自性、たた聖埳倪子の粟神を明らかにしたいずいう意図があった。
     そのために䞭村はたず比范察象ずしお叀代に掻躍した『普遍的垝王』を定矩した。『普遍的垝王』にはむンドのマりリダ朝アショヌカ王、チベットの゜ンツェンガンポ王、ロヌマ垝囜のコンスタンチヌス垝などがいる。
     聖埳倪子の独自性の䞀぀は官僚を察象にした十䞃条憲法を発垃したこずにある。そこで十䞃条憲法を軞に『普遍的垝王』ず比范したずころ、十䞃条憲法、すなわち日本の独自性ずしお

    1. 君臣民の関係を説いおいる。

    2. 議論するこずを重芁芖しおいる。

    3. 人栌者たる理想の官僚像を説いおいる。

    4. 和を重んじる。

    などが挙げられるこずを確認した。特に1, 2が独自であり、君倩皇の暩嚁を絶察的なものずしながらも、こずにあたっおは議論で決めるずいう、独裁䞻矩ではない我が囜の䌝統を十䞃条憲法は反映しおいる。和を重んじるこずに関しおは、共同䜓を統䞀維持するためには、どの垝囜においおも必芁なこずであり、たた仏教囜においおは無甚な争いから離れるこず、などはどの垝王もある皋床重芁芖しおいた。日本の独自性を担保しながら埋什囜家に盞応しい官僚像を説いたこずに聖埳倪子の独自性を芋るこずができる。
     たた内容もさるこずながら十䞃条憲法は、簡朔で颚栌に富んだ名文であるず倚くの孊者が評䟡しおいる。挢文で曞かれた十䞃条憲法は圓時の隋や続く唐などでも理解され、䞀定の評䟡を受けたこずだろう。぀たりこれは内政文曞であったず同時に倖亀的にも我が囜の囜家レベルを瀺す重芁な文曞であった。こういう点でも聖埳倪子の独自性が珟れおいるずいえよう。

    長い蚘事を読んでいただいお、ありがずうございたす。

     

    匕甚内、匕甚倖に関わらず、倪字、䞊字の区別は、本皿䜜者が぀けたした。
    文䞭数字に぀いおは、匕甚内、匕甚倖に関わらず、挢数字、ロヌマ数字は、その時々で読みやすいず刀断した方を本皿䜜者の刀断で䜿甚しおいたす。


    おたけさらに芋識を広げたり知識を深めたい方のために

    ちょっず怜玢しお気持ちに匕っかかったものを茉せおみたす。
    私もただ読んでいない本もありたすが、もしお圹に立぀ようであればご参考たでに。

    䞭村元東方研究所  https://www.toho.or.jp/

    仏教ず倩皇、䞊皇の関係

    お劃を唐ずネパヌルから迎える王子さた。それぞれが自分の地の仏教をチベットにもたらした。

    https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/209096/1/Himalayan-17-146.pdf

    和蟻哲郎 日本倫理思想史



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