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「倧人のピアノ」ず「子育お」 の、いい関係

    ふり返っおみるず、アマチュア・ピアニスト歎も早や十数幎。倕飯の埌片づけを枈たせおから午埌時迄自らが決めた、ご近所ぞの隒音迷惑防止ルヌルの緎習も、今やすっかり歯磚きみたいな日課になっおいる。

    「倧人のピアノ」を始めた圓初は、仕事でもないのに、これほど「熱心」に続けられようずは自分でも想像しおいなかった。

    始めた ヌヌ  いや、厳密に蚀うず、高校時代にやめたピアノを四半䞖玀ぶりに再開した ヌヌ きっかけは、ただ幌かった嚘のレッスンぞの付添いだった。そこで、ピアノに無関係な進路を遞び、ピアノずきっぱり「おさらば」した玄半䞖玀前にはたったく目にしたこずも無かった䞖界 ヌヌ 「アマチュア・ピアニスト」の舞台 ヌヌ が、「癜昌堂々」今の䞖には存圚しおいるずいうこずを知ったのだった。

    ピアノ教宀の゜ファの前のテヌブルに無造䜜に䞊べられたコンサヌトのチラシに混じっお、「それ」はあった。某ピアノ・コンクヌルのパンフだ。思わず開いおみるず、䞋は幌児から幎霢ごずに䜕郚門にも分かれた、子どもが力詊しに参加するこずができる党囜芏暡のコンクヌルだず芋おずれた。そしお、なんず「ピアノの専門教育を受けず音楜を生業にしない成人」 を察象ずする郚門たで、あるではないか。しかも、子どもの郚門は詳现に課題曲芏定が蚘茉されおいる䞀方、倧人のアマチュア郚門は ヌヌ これたた、なんず「自由曲」ずなっおいるのだ。

    先生から、発衚䌚で匟きたい憧れの曲は決しお匟かせおもらえなかった昔の「シュン」ずした気持ちがよみがえった。えっ奜きな曲を匟いおもいいの   䞀瞬にしお、私の䞭に「ピアノを匟きたい」ずいう気持ちが芜生えお膚らんだ。あれよあれよずいう間に、わが家の日垞生掻の䞀角に、「母のピアノ」なるものが誕生した。



    そんな「母のピアノ」が今たで続いお来た蚳は  、考えおみるずいろいろ思い浮かぶ。

    自信を倱う床に䜕かしら良い所を芋぀けおは耒めお背䞭を抌しおくれる、そしお、忙しい倧人の事情を鑑み、無理のないペヌスを尊重しおくれる垫匠の存圚。コンクヌルや緎習䌚などで同じような仲間ず繋がり、無邪気に楜しい亀流が出来るこず、そんな機䌚を通し、どんどん新しい発芋や孊びが埗られるこず ヌヌ 等々。

    こうやっお「子育お」がきっかけで生たれた「母のピアノ」は、い぀の間にかわが家に溶け蟌み、やがお揺るぎない根を匵ったのだった。



    子ども達は、母が来る日も来る日も、短い時間ながらも愚盎にピアノ緎習に励むのを芋おいた。嚘ず同じ先生のレッスンや、コンクヌル等に出向いおは、もらった評䟡やアドバむスを真摯に受け止め、糧にし、少しでも良い音楜を奏でられるようにずひたすら願い、悪戊苊闘しおいる姿を芋おいた。

    子ども達はそんな母を、応揎しおくれた。本番に向かう母に、たるで郚掻動の先茩のように、゚ヌルやアドバむスを莈っおくれた。

    母ず子ども達は、「母のピアノ」によっお、応揎し応揎される関係 ヌヌ 同等の仲間・ラむバルになっおいた。

    「母のピアノ」から「子育お」ぞ、さらに双方向に・・・い぀の間にか、䜕らかの還流が起こっおいた。

    それは、子ども達が成長しおから実感したこずなのだが  。



    「家庭教育」ずいう蚀葉があるけれど、「芪から子どもに」教えるずいう䞀方通行のように、しばしば語られる。でも、い぀だっお私はそのこずに䜕ずなく違和感を芚えおしたう。

    家族党員それぞれが日々やっおいるこず ヌヌ それは圓然ながら、ばらばらだ。だけど皆んなが日々、䜕かしらを頑匵っおいる。孊んでいる。前向きにやっおいる  。そしお、互いのそんな姿勢を芋せ合う日垞生掻を、自然に共有する。少なくずもそんな雰囲気を醞す空間や時間を創る 。

    逆に蚀えば、 芪ができるこずっお、それくらいだろうず、私は思っおいる。そしお、それさえ出来れば自然ず、もしくは勝手に、子どもは育぀んじゃないかな・・・。

    そんなこずを考えながら、ずうの昔に子ども達が巣立った家で、今日もピアノの緎習をする母である。

     
     
    『息子が起業家になるなんお?!〜幞せに生きおいく力を育む゚ッセンス』著者米銀東京支店に勀務埌、ベンチャヌ/皎理士法人/倧孊(事務)等に勀め぀぀、䞀男👊䞀女👧の子育お卒業趣味:ピアノ🎹-25幎ぶりに再開、コンクヌルやコンサヌトに奮闘䞭🎵ラむフ・ワヌク:孊び🖊&成長🌱京郜圚䜏