
記録する320:日記「最適な記録する生活のために」
何年か前に自撮り棒を購入した。自分ひとりでどこかにいったときに、写真を撮ってるくれる人がいないと、自身の写真が残らないからだ。その自撮り棒にはボタン電池がついている。(もしかしてコイン電池?)
Bluetoothでスマホにつなげて自撮りができるようにするための電池だ。これがないと自撮り棒としてあまり機能をなさない。自撮りしようと思い、スイッチを押すも電池がつかなかったことで、先日自撮りを断念した。それくらい、電池の有無が自撮り棒に大切なのである。
つくづく腕が長く生まれたかったと思うけれど、腕が長くなくとも自撮りができるような道具ができたので、くよくよすることでもないなと同時に思う。もしかすると、圧倒的な自撮りのしにくさに腹を立てた人がつくった産物なのかもしれない。そんなに自撮りがしたいのか、と思うけれど、こうして買っている我々もいるので、ある程度きれいな自撮りがしたい人はいるのだろうと思う。
電池なんてコンビニにも売っているじゃないか、コンビニで買えよ。なんて自分でもわかっているけれど、コンビニに行くときにはすでに必要性が頭から離れている。そもそも仕事をしていると、外に出た時というのは仕事をしているときか通勤、退勤しているときくらいだ。退勤しているときなんて家に帰りたい以外の気持ちがわかない。家が好きすぎるのかもしれない。