メインコンテンツへスキップ
見出し画像

サチとマチ

    第一章  感覚

    三賀祥(さんがさち)は物心ついた時から
    理由のない喪失感を抱えていた。

    幼い頃は、この正体が知りたくて
    親や先生や友達に聞いてみたが
    それらしい答えは見つからなかった。

    胸の奥が静かに渦を巻く。

    あえて表現をするとすれば " 哀しい "。

    なぜ自分はここにいるのか
    という問いが、漠然と全身を覆う。

    この感覚に名前があるのなら知りたい。

    生活に不自由はない。
    気持ちも安定している。

    それでもふと
    この感覚を思い出すことがあるのだ。

    祥はそれを誰にも話さない。

    ただ、一つだけ。
    子どもの頃から繰り返し見る夢があった。

    夢ぎ中き
    “おなじみの存在” がいる。

    誰なのかは、わからない。

    移動も食事も
    何をするにも一緒の存在。

    兄弟ではない。
    友達でもない。

    けれど
    とてつもなく近い存在。

    毎度ではないが、よくみる夢。

    起きるといつも
    「またいつものやつがいたな」
    そんな感覚だけが残る。

    その日
    祥は目覚めた。

    その、“ おなじみの存在 ”を失う夢。

    まるで自分の一部を無理やり
    剥がされてしまったような痛み。

    夢とは思えないほど鮮明だった。

    だが

    それが「誰」であり「何」だったのか。

    思い出そうと思っても
    思い出せない。

    ふと頬に触れる。

    濡れていた。

    泣いていたのか…

    夢の出来事が、現実へ影響するのは
    初めてだった。

    胸の奥に、確かに何かを
    失った感覚だけが残っていた。


    第二章  マチ

    数日後。

    祥は夢から覚めた。

    本を読んでいるうちに
    いつの間にか眠っていたようだ。

    夢の記憶がだんだんと薄れていく中
    はっきり覚えていることがあった。

    "おなじみの存在"のことを
    名前で呼んでいた。

    「マチ。」

    ...マチ。

    知らない。
    そんな名前の知り合いはいない。

    さらに記憶を辿る。

    その名を呼ぶ時の印象は
    鞄や服に使われる「マチ」だった。

    ゆとりを持たせて使いやすくするためのもの。

    人の名前というには無機質で。

    気になってスマホを手に取る。

    「襠」。

    初めて見る漢字だった。

    試しに
    「人名」と付け加えて検索してみた。

    いくつか調べてみたが、
    人の名前として使われる字ではないようだった。

    ここで祥は思う。

    「マチ」は人のような
    独立した存在ではないのかもしれない。

    そういえば、
    どんな顔か、とか、
    どんな外見なのか、とか
    聞かれたとして
    全く見当がつかない。

    色も形も表す術がない。

    自分のすぐそばにいるはずなのに
    姿だけが思い浮かばない。

    確かに会話はしていた。
    行動も役割も違うのに。

    思い返せば、マチは
    いつも道を譲るように
    動きやすい場所を
    当たり前のように作ってくれていた。

    まるで本当に「襠」であるかのように。

    「マチ」

    偶然なのかもしれない。
    考えすぎなのかもしれない。

    ただ、この考えだけは
    頭から離れなかった。


    第三章  事実

    カーテン越しの光が、
    部屋をやわらかく照らしている。

    祥は静かに目を覚ました。

    また夢でマチが出てきた。

    夢の記憶はやはり断片的で
    内容はほぼ覚えていない。

    けれど
    一つだけはっきりと頭に残った言葉があった。

    「ぼくは最初から生まれるつもりはなかったよ。」

    確かに、マチはそう言った。

    夢の中での僕は「ふーん」と言った感じで
    特に気にも留めていなかったのだが。

    目が覚めてから
    何度もその言葉をなぞる。

    次第にそれは現実味を帯びていく。

    ただの夢では済まない気がした。

    「何か意味があるのではないか」
    そう思いたくなるほど、強烈な言葉。

    「生まれるつもり……?」

    生まれる時の話だろうか。
    母は何か知っているだろうか。

    鼓動が静かに胸の内へ響く。

    時計を見る。
    六時前。

    起きたばかりの母に尋ねるような話ではないのかも知れない。
    それでも、今を逃せば聞けない気がした。

    祥は静かに階段を降りる。

    リビングでは、母がいつものように朝食の支度をしていた。

    「祥、おはよ」

    「おはよう」

    祥はテーブルに座る。

    「あのさ」
    声にすると思ってたより小さかった。

    「んー?」
    母は朝食の支度を続けたまま
    こちらへ耳を傾ける。

    「聞きたいことがあって」

    「ごめん、ちょっと聞こえないかも」
    水の音が言葉をさらっていく。

    祥は静かに席を立った。

    キッチンへは入らず、その手前で足を止める。

    「......」

    母は手を拭き、こちらを見た。
    言葉を待っている。

    祥は息を吸った。

    「僕に兄弟っていた?」

    ストレートに尋ねた。

    口にした瞬間、
    引き返せない問いだった、と思った。

    聞いて良かったのだろうか…

    息を呑む。

    母が口を開く。
    「あれ、話したっけ?」

    それはあまりにも早く
    そして自然な返事だった。

    祥の覚悟を、簡単に吹き消してしまうほど。

    「あなたと一緒におなかに来た子がいたよ」
    まるで緊張感がない。

    祥は一瞬、言葉の意味を飲み込めなかった。

    「それは」
    「双子だったってこと?」

    「そうよ」

    母はいつもの調子で答える。

    「でも初期だったわ。
    その子は育たなかったの。」

    「でもどうして急に?」
    手は止めずに、声だけを祥に向けた。

    「夢で……」
    一瞬、言葉を選ぶ。

    「なんとなく聞いただけなんだけど」
    本当に、それだけだった。

    「あら、不思議ね。」
    母は笑った。

    「隠してたわけじゃないのよ」
    「なんていうのかしら」

    「言うタイミングが、来なかったのね」

    母は味噌汁の火を弱める。

    「でも」
    「聞いてくれて良かったわ」

    「祥に隠し事してるみたいで、
    お母さん、少し負い目があったみたい。」

    穏やかに笑った。

    母はよく喋った。
    まるでまた何か隠し事をするように。

    祥はそこには触れなかった。



    「そこに小さなお地蔵さんがいるでしょう。」
    「それがその子のお仏壇」

    祥は隣の部屋に目を向けた。
    幼い頃から見慣れていた小さな仏像。

    お茶を供えたこともある。
    ご飯を添えたこともある。

    そこに誰がいるのか、
    考えたこともなかった。

    仏様に抱かれた赤子、その足元にも3人。
    今日まで何度も見てきたはずなのに

    「手を合わせる」という行為は急に意味を持った。

    画像

    何気ない夢のはずだった。
    また現実とリンクしてしまった。

    不思議なこともあるんだな。

    祥は静かに食卓へ戻った。


    第四章  カノン

    祥はピアノの前に座った。

    目を閉じる。
    息を吐く。
    軽く吸って、また吐く。

    音を鳴らす前の静けさは
    心をスッと立たせてくれる。

    今朝、また一つ
    自分のことを知った。

    こんなにも長く生きてきたのに
    まだ知らない自分がいる。

    胸の奥が
    静かに震えていた。

    自分のことのはずなのに
    誰かの記憶に触れたようでもあった。

    空はまだ青く
    光だけが夕方の色を帯び始めていた。

    柔らかな空気。

    女子たちの談笑する声や運動部の掛け声。
    吹奏楽部の音合わせ。

    木々を渡る風。
    静かに目を開ける。

    息をゆっくり吸う。
    吐く。

    指先が鍵盤に触れる。
    わずかな重みを預ける。

    鍵盤は静かに抵抗し
    この境界を越えた時
    最初の一音が音楽室に広がった。

    D  。

    その音は広い空間に漂う。

    その余韻を追うように指先は
    次の音へ移る。

    やがて旋律は
    呼吸のように流れ始める。

    自分という境界が
    次第に曖昧になっていく。

    その溶けていくような感覚が
    怖くもあり美しく
    身を委ねてしまいたくなるのだ。

    この曲を初めて聴いた時
    なぜだかわからないまま涙が出た。

    感動という言葉を知らなかった頃。

    世界にあるもの全てが
    そのまま旋律に馴染んでいく。

    喜びも
    悲しみも
    風も
    光も

    何一つ否定せず
    音の渦に飲み込まれていく。

    世界はただ存在していて
    それでこそ美しい。

    旋律は静かに表情を変える。

    画像



    マチ...

    やっぱり君は
    僕とは切り離せない存在だった。

    僕であり別の存在。
    別の存在であり僕でもある。

    君がいなければ
    僕は僕を知り得なかった。

    僕が僕だと認識するには
    君が必要だった。

    この世界にマチがいないのではない。
    最初からずっと一緒にいたんだね。

    地球でも
    夢の中でも
    意識の外でも

    どこにいても
    僕が僕でいられるように。
    君はいつも寄り添ってくれていた。





    「サチ」

    声がした。

    祥は演奏の手を止めて
    顔を上げる。


    「風羽...」

    画像



    知和風羽(ちよりかずは)。
    祥の二つ下のいとこで、中等部に通っている。

    「やっぱりサチだ。」
    「ピアノの音で、そうかなって。」

    「久しぶり」
    祥はいつものように穏やかに笑う。

    「うん」


    風羽が口を開く。
    「高校生、慣れた?」

    「中学とあまり変わらないよ」

    「ふうん」

    風羽は祥の隣へやってくると
    何も言わずに長椅子に腰を下ろした。

    祥は端へ寄る。

    ポーン。
    風羽は鍵盤を押す。

    「悲しい?」

    祥は風羽を見る。
    「え?」

    画像



    風羽は構わず隣の鍵盤を押す。
    ポーン

    「カノン、淋しそうだった」

    「そう聞こえた?」
    祥は優しく笑った。




    「弾ける?」

    「弾けない」
    風羽は即答する。

    「ふふ」

    祥は簡単な旋律を弾いてみせる。

    D - A - B - F♯ - G - D - G - A

    「繰り返すだけ」

    風羽は言われた通りに鍵盤へ指を置いた。

    祥はそれに合わせて演奏する。

    「おぉ...」
    風羽は小さく息をもらす。



    あぁ、
    なんていい時間なのだろう。

    1人でも十分満たされていたはずなのに。

    誰かと音を重ねるだけで
    こんなにも心は満ちていく。

    心地いい。

    画像



    マチ...

    聴いてる?
    この音色を感じる?



    返事はない。



    ねぇ、マチ。

    世界はこんなにも美しいよ。

    君はまだ、音楽を知らない。
    なんてもったいないんだろう。

    今日は特別に
    君のために弾いてあげる。

    今度は生まれてきてみなよ。



    音色は静かに
    初夏の空へ溶けていった。




    この作品は、創作タロットプロジェクト「OHATARO」の世界を舞台にした物語です。
    キャラクターやカードの紹介は、こちらの記事をご覧ください。

     
     

    ちわ

     
     
    創作好きのちわです。 漫画・イラスト・楽曲・小説・エッセイ・動画…気分に合わせて、いろんな表現を行き来しています。 noteは創作日記がメイン。 不思議なことも結構書きます。 タロットカードをモチーフにしたキャラクタープロジェクトを制作中。

    あなたへのおすすめ