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ユングの性格4類型論で、アニメ巨匠4人を分類する作家論(第2版 追加説明増補) 第1回

    shogopinさんの分類に沿えば、私は「作家主義」でも、「観客主義」でもなく、かなり厳格な「作品主義」に属することになるかと思います。

    私は、作品を評価する時、まずは、その制作者の「フィルモグラフィ」というものを、むしろ意識的に括弧に入れるようにしています。

    つまり、その作品単独を切り離して、頭をまっさらにして、まずは見ようとします。

    そして、同じ作家でも、好きなものは好き、そうではないものはそうではないと、好き嫌いではっきり切り分けます。

    細田さん作品なんて、私の中での評価は、作品によって、極端に割れています。

    仮に「時をかける少女」に100点という数値を与えるならば、

    「サマーウォーズ」120点
    「おおかみ子供の雨と雪」85点
    「バケモノの子」70点
    「未来のミライ」250点
    「竜とそばかすの姫」450点
    「果てしなきスカーレット」1000点

    くらいの感覚かな?今は。

    これくらい作品ごとの自分の評価が割れる作家さんも私にとって異例です。

    ただ、私なりに一つの流れとして言えるのは、恐らく、

    1.描かんとするテーマそれ自体は着々と進展してきた気もする。

    2.でもそれに伴って「映像の力」が向上するとはいかなかった。

    3.「未来のミライ」で細田さんは大事な何かに手が届く。

    4.後は上昇カーブ一辺倒で、

    5.ついに「果てしなきスカーレット」、実写アニメ関係なく「世界映画史」上に残る記念碑的作品にまで尽き抜けてしまった。

    という流れを漠然とイメージしているところがあります。

    これをいうと、何だ、「作家性」も意識しているのではないか?と言われそうですが、私はシンプルな成長・進展や、どんどんダメになっていく、的な図式を好まないのですね。

    だから、ともかく、なぜ評価が上下するのか?という理由の解析はとりあえず括弧に入れ、意識的に各作品への評価を独立させて、ギザギザに上下してもいいから、敢えて頭を真っ新にして、一から観てみる、という姿勢を貫いています。

    そうしておく方が、「作家性」という名のストーリーは、いつか自ずから浮かび上がると思っています。

    敢えて言えば、データが増えれば増えるほど、「積分的に」浮かび上がって来る。

    この点、私の、宮崎駿監督の作品についての、個別の評価の流れは、恐らく個性的で、長らく、「ハウルの動く城」ピーク説でした。

    つまり、一見一番高いかにみえる「千と千尋の神隠し」を、総合的満足度で、敢えて「ハウル」より低く採点していました。

    私は「ハウル」を、宮崎監督の、

    「いちいち理屈を説明しないまま、意味深な画面を投げ込んできて、しかもそれを最後まで解き明かさない様式」

    の端緒とみています。

    その点では、「ハウル」は、その作風の最初の試みということもあってか、何かしら「潔い」のです。

    いい意味でシンプル。ごちゃつかない。迷いがない。

    これなら、その意味深なシーンの「象徴的意味」など意識的に分析せずに、ただ、そのままを受け止める、それが私のスタンスです。

    その点では、私は「千と千尋」に、宮崎さんの「頭ではなくて、感性だけで作りたい」という方向性と、「それでも何とかまとめたい」という葛藤の跡を感じてしまうのです。
    実は意外と散漫な、つじつま合わせに満ちた作品とすら感じています。

    もちろん、最終的にはうまくまとめているのですが。

    参考までに、宮崎さんが、企画書段階で「言葉で」この作品のテーマをどう語っていたかですが:

    それでも、不思議なバランスのいびつさと、「実はもっと上ができるよね?」と感じていたのです。

    「千と千尋」後、私は、宮崎監督は枯れ出した、やっぱり老い出したかな?という流れのモデルを立てていました。

    ところが、「君たちはどう生きるか」がそれを一気に覆しました。

    私が「千と千尋」に感じた「もっと上のことができる。完成度あげられる」という思いを見事に、私の思い描いていたとおりの、宮崎作品の理想の姿に到達、という逆転ホームランに感じました。

    私は、宮崎監督は、できるだけ「頭」では考えないで、「感性」とだけ対話して、

    「気がついたらなぜかこういうコンテ切ってました!」

    状態で制作していただけると、むしろ最高のまとまりが自ずから出てくるある作品になる、という仮説を立てていたのです。

    皆様ご存じのように、宮崎さんは、まずは膨大な量のイメージボードを書き溜めます。

    次に恐らく、作品設計を、ああしようこうしようと、色々メモに取りながら書き溜め、つまらないとなったら、そのメモをどんどんゴミ箱に放り込んで、どんどんどんどん煮詰まる時期来るんじゃないか?

    でも、それを放棄して、ぼやーっと過ごす時期が来ると思いますね。

    この時期はアニメのこと放り出して、他のことしてるんじゃないかと。

    しかし、ある日突如、むっくり起き上がると、絵コンテを切る、切る、切るモードに没頭しはじめる。

    ここまでくれば宮崎さん、心配ない。

    あとは「神の手」が絵コンテを切らせる。

    ・・・どうしてこんな、見てきたようなこと書けるの?って?

    重要資料あるよ。

    ほら、

    「魔女の宅急便」の、キキが落ち込んだ時に、ウルスラが延々と語る言葉。

    ・・・・あれ、宮崎さん自身の、自分のための処方箋ですよね?

    ********

    意外に思われるでしょうが、私は、宮崎監督に関しては、このシーンにはこういう象徴的な意味がある、というような深層心理的な分析を自分に「禁じて」いるのです。

    やろうと思えばできるはずだけど、無理して頭で考える癖を下手に宮崎作品でつけたら、他の作家の作品を見る時の自分の感性が損なわれるという恐怖を感じているのです。

    だから宮崎作品を理屈で考えることをタブーにしていますし、これからも求められても当面しないと思います。自分を「壊し」たくないから。

    これは、ひとつには、私が宮崎監督を、基本的に映像イマジネーションのクリエイティヴィティで作品作る人とみているといことでもあります。

    ・・・あ、やっと今、一つだけ言葉にしていい。
    一つだけ、非常に重要なことが、言葉に浮かびました!!!

    何てことはない!
    ユングの性格4類型論で、
    私は作家論、
    あっさり言葉で説明できるではないか!!

    Y軸:「思考」↑  ↓「感情」
    X軸:「感覚」← →「直観」

    こりゃあ、便利だ。今後も使える!!

    これなら、ユング自身の本まで読まなくても、河合隼雄先生の「ユング心理学入門」で、河合先生が、完全にユングに正確に、丁寧に解説しています。

    ・・・というか、河合先生のユング心理学入門に書いてあることの中で、一番ユング自身の本と代用していいのは、性格類型論の箇所であり、他は簡略化し過ぎというのが、私がユング自身の本と照らし合わせてみた上での、結論です。

    1番めに優位なのはどれか、2番めに優位なのはどれかを判断します。

    *******

    【第2版で追加 必読】:

    ユング心理学における性格類型論の最大の特徴は、「相補性」という概念に尽きます。

    ユングは「通常の意識的自己(Ich)」は、「自己(Selbst)」という巨大な恒星の周りを回る衛星に過ぎないと考えます。

    ここには万有引力の場があるわけです。
    つまり、実は劣等機能に対する補償作用が力学的に生じている「重力場」がある。

    例えば、「思考」機能が優勢ということは、実は180度反対側にある「感情」機能の無意識的バックアップによってはじめて成立しています。

    「感情」機能優勢の人は、それを適切に活用できれば、無意識的には「思考」にあたるものを実際には「感情」次元でやれてしまう。

    その人が「好き」と感じたものは、論理的思考の上での合理性を担保した
    「適格な」判断に「なぜか」なっているわけですね。

    【第2版追加部分 終わり】

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    「ユング心理学」の本のページの、河合先生の作成したオリジナルの、実に巧妙な図版。

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    河合隼雄「ユング心理学入門」より


    まるで水車が回転するかのように、X軸Y軸を斜めに傾けて表示しているのが、直感的にわかりやすいです。


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    宮崎さんは、徹底した「直観」優位型の人です。

    理屈は考えなくてもいい、というか、してくれるな、ろくなことにはならないから、と私は思っています。

    「思考」は、半ば「影」の領域であり、90度のY軸にあります。

    意識的「思考」はしなくても、「直観」さえ働かせていれば十分。それだけで、傍から見れば、非常に構築的な作品構造は創造できちゃいます。

    あと、Y軸の対極である、好き嫌い、つまり「感情」で動いたら、宮崎さん、失敗する。

    私がインタビュー記事とかで知る範囲でも、宮崎さんの好き嫌いの言い方って、ちょっと子供っぽくてほほえましい気がします。

    でもその、好き嫌いで世渡りなんかしたら、宮崎さん、失敗だらけの人でしょうね。

    細田さんは、実は基本的には「思考」型。2番目に優位なのが「感覚」ですね。

    だから、細田作品は、やろうと思えば、作品構造は、簡単に理屈で説明できるし、深層心理学的解釈も、無理せず自然と浮かんできます。

    これに対して、新海さんは、まずは「感覚」、次が「思考」の人でしょう

    だ・か・ら、私が「すずめの戸締り」で居眠りする羽目になったわけですね。
    「すずめの戸締り」はやはり失敗作ですよ。

    ああいう、現実の社会のテーマは、細田さんは描けても、新海さんは無理だったということになります。

    押井守さんは、アニメーター出身ではないけど、典型的に、頭で考えて考えて作品設計する人です。いわゆる「象徴表現」も、全部意識的に考えた上で「仕込んで」ますね。

    ただ、感覚性がひどく鋭敏な人だがら、素敵な、繊細な画面も、逆に「尖った」バイオレンスも作れることになります。

    その意味では、実は、かなり細田さんと似たスタイルですね。

    最後に、私は、と言いますと、やはり押井さんや細田さんと同じ、「思考」と「感覚」優位でしょうか。

    うーん、この辺はシンプルには言えなくて、やはり逆かな?

    私は結構「直観」「感情」次元で動きさえすれば、「思考」結果にあたるものは、文字通り、何も努力しなくても、「待って」さえいれば、「天から降って」きます、やはり。

    私は、脳の力でぐいぐい「考える」タイプではないです。

    理屈をうんうんうなりながら「考える」ことないです。


     
     
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