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明治新政府の無分別行為は蚱されるのか

    千䞖ちせ

    「廃城什」に物申す

    著曞・「奥の枝道 山口・萩線」では、
    石垣しか残らない「萩城跡」の倩守台や長櫓の跡をみた時の怒りの思いをぶ぀けおいたす。

    これは明治に発什された「廃城什」により、「城」を単なる領䞻である歊士の䜏たいだず䜍眮づけで、明治維新により䞭倮集暩囜家ずなっお廃藩眮県も斜行された時点では䞍芁だずいう考えの政策です。

    長州藩も倒幕新政府暹立の䞭心的存圚だったため、率先しお城を壊したそうなのです。

    この愛郷心に欠ける極端な行為はどういう事でしょう。

    きれいサッパリ前向きなのはいい事かも知れたせん。
    しかし、私にはすごく心にわだかたりが残りたす。

    これは単に「城」を機胜的な面からしか芋ず、その建築矎や技法の倀打ちなど埮塵も念頭にない行為だからです。

    元々は日本各地には千もの城がありたしたが、埳川幕府による「䞀囜䞀城什」によりにたでに枛りたした。

    党郚を残す事は、なかなか難しいずは思いたすが、
    自ら壊す必芁はあったかず思うのです。

    日本人であるなら、先人たちが培っおきた「文化的䟡倀」を城に芋出す事がどうしおできなかったのでしょうか



    法隆寺の瀎石が豪邞の庭石になっおいる事実


    「廃城什」だけではありたせん。
    「廃仏毀釈はいぶ぀きしゃく」も、日本人にずっお恥ずべき明治維新の政策だず思っおいたす。

    今回♭のぶさんの蚘事を芋お、
    たた新たな怒りが沞いおきたので、ここに意芋を述べたいず思いたす。

    法隆寺の瀎石が、遠く離れた兵庫県神戞垂の䜏吉川沿いに建぀豪邞の庭石ずしお発芋されたずいうのです。

    これは䜕を意味するか

    明治初めの政策のひず぀である「廃仏毀釈」が原因なのです。

    それは、明治維新ずいう革呜動乱の䞭で、薩長による新政暩が実行した西掋かぶれ政策による無分別な砎壊掻動のこずを指したす。

    日本叀来から残るおびただしい数の貎重な仏像や寺院が砎壊されたあげく、僧䟶たちは激しい匟圧を受け、ほずんどが神官に倉わるか、還俗げんぞくを匷芁されたした。



    明治維新の汚点


    日本が誇る矎術画の「浮䞖絵」もそうだったように、貎重な仏教経兞も包装玙ずしお䜿われた埌、ゎミず扱われ、塔頭たっちゅうや五重塔ごじゅうのずうは薪たきぎにするため砎栌の安倀で売り捌かれたした。(十円だったずいう話もある。)

     
    これらの政策のどさくさに玛れお、䟡倀の高い宝物も略奪され、二束䞉文で庶民たちの手に枡りたした。

    日本における四倧寺に数えられる奈良の「興犏寺」の寺地は、元々は珟圚の奈良公園から奈良ホテル䞀垯に及び、圓時は東倧寺よりも広倧だったず、䜕かの本で読んだ事がありたす。


    同じく四倧寺の䞀぀で、か぀おはその栌匏ず芏暡を誇った内山氞久寺に至っおは培底的に砎壊されお、その痕跡さえありたせん。


    日本民族に浞透しお独自に進化し、誇るべきはずの䌝統文化や䌝統芞術の生みの芪でもある仏教は、宗教的にも文化的にも培底的に匟圧されたのです。

    これらは薩長らによる明治維新が恥ずべき汚点ではないのか

    千幎以䞊もの間、倧切に創り䞊げられた自囜固有の䌝統文化を自ら吊定し、砎壊したずいう、品性に欠ける䞋劣な行為だず蚀わざるを埗たせん。



    神仏習合にみる日本人の倧らかさ


    以前も蚘事にしたしたが、
    歎史的には宗教が戊争の火皮ずなりはしたしたが、本来の日本人の宗教の取り入れ方は、倧雑把なものなのです。

    ▜関連蚘事▜

    千幎以䞊の長い時間をかけお穏やかに神仏習合ずいう信仰のカタチを維持し続けおきたした。

    日本叀来の神道ず
    むンド䌝来の仏教ず

    私たち日本民族は、それら双方を認めお融合できる倧らかな倚様性を持ち、政治的な圱響による混乱期を経隓しながらも、
    長期的にはそれぞれの生存空間を守っおきたした。


    䜕床か曞いおいたすが、
    私には宗教に関しお、匷い信仰心はありたせん。

    しかしこれらの明治政府が犯した所業は、民族ずしおの過ちです。

    歎史的や文化的な芳点では、日本人が持぀匷制的な「䟡倀芳の逆転」を意味し、自ら民族ずしおの存圚を吊定した行為であるずいう自芚はなかったのではないでしょうか。



    岡倉倩心の粟魂こめた努力

    ずはいえ、
    芏暡は瞮小されたものの、興犏寺は残り、私たちは仏像を今も目にする事ができたす。

    それは、これらの仏像修埩に粟魂蟌めお尜力した、
    官僚・思想家・矎術史家である岡倉倩心のおかげなのです。
    圌の献身的な掻動努力がなかったら、珟代、興犏寺での仏像鑑賞は実珟できおいなかったのです。

    興犏寺の「宝物殿」に行かれた方はわかっおいただけるずは思いたすが、
    たくさんの貎重な仏像の䞭に、ひずきわ異圩を攟぀、あの「阿修矅像」ず初察面した時、身䜓の奥から震えるような感動がありたした。

    決しお私は、宗教にも仏像にも特に興味や執着のない人間ですが、
    なにかこう、魂に盎接䜜甚するものを感じずにはいられなかったのです。

    この感芚こそが、私の䞭の民族ずしおの倧らかさではなかったかず、思えるのです

     
    民族の魂を吊定するようなこれらの行為は明らかに倱策であり、
    たた、これらを残しおくれた岡倉倩心ぞの感謝の気持ちは忘れおはいけないのです。


    画像
    「阿修矅像」出兞興犏寺HP








     
     
     
    ゚ッセむスト (䞻に読曞、歎史に関しお曞いおいたす。 1961幎生たれ倧阪府出身。読曞奜き。歎史奜き。ハンドメむド奜き。劄想奜き。 著曞「レキゞョヌクル奥の枝道」シリヌズ冊目をただいた執筆䞭。<https://amzn.to/3vgIGz9>

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