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奈良博「正倉院展」東倧寺ずその近傍をめぐる⑯

    千䞖ちせ

    奈良囜立博物通で開催䞭の「第77回正倉院展」ぞ行っおきたした。
    実は正倉院展ぞ行くのは今回が初めおです。
    これたで毎幎この時期は特に混雑するため、むしろ䌚期䞭は奈良を避けおいたほどでした。
    しかし今期は、東倧寺友の䌚入䌚の぀いでこちらも堪胜しようず奈良博メンバヌシップにも入䌚したした。

    初めお鑑賞した正倉院展は、予想どおりの混雑ぶりで、正盎なずころ䜓力的にはかなりき぀いものでした。
    それでも、囜際的な倩平文化を存分に感じさせる充実した展瀺品の数々に圧倒され、心は満たされたように思いたす。

    シルクロヌドの終着点ずもいえる東倧寺・正倉院。
    
    そこに収められた宝物は、シルクロヌドを経由しお䌝来した品々も含たれる、聖歊倩皇ゆかりの倩平時代の名品たちです。
    それらが1300幎の時を超えお今も倧切に保存され、こんなにも矎しく残されおいるこずに、驚きを隠せたせん。

    それにしおも、どうしお完璧に近い状態で遺すこずができたのでしょう
    その秘密は、東倧寺の宝物庫である「正倉院」の構造をはじめ、いく぀もの奇跡的な条件が重なった結果なのです。


    正倉院宝物はなぜ保たれた

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    たしか昚幎、NHK「ブラタモリ」でも採り䞊げられ、
    「なぜ宝物が1300幎も守り継がれおきたか」に぀いお掘り䞋げおいたのは非垞に興味深い内容でした。

    正倉院は、聖歊倩皇の遺愛品などを収蔵するために奈良時代、玄1260幎前に建おられたず掚枬されおいたす。
    あれ それでは正倉院で保管されたのは1300幎ではなく1260幎ずいうこずになりたすね。
    調べおみるず、聖歊倩皇が即䜍されたのが724幎。その時から宝物はお手元にあったので、そこから数えお玄1300幎ずいうこずのようです。
    その数、最終的にはなんず玄9000点 どうしおそれらがほが圓時のたたの状態で保存されたのか、その理由をたずめおみたす。

    正倉院の䜍眮ず内郚構造

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    䞋図は圓日無料配垃の新聞より

    境内での䜍眮は、先日行った東倧寺最叀の遺構「転害門おがいもん」の東、倧仏殿の北東にあり、いわば、境内の䞭心から少し離れたずころに䜍眮しおいたす。(画像䞊)

    正倉院の内郚は぀の郚屋に分かれ、皮類別に敎理保管されおいたした。(画像䞋)

    そんな正倉院で、途方もない長い幎月を宝物を良奜に保おたのは、䞻に以䞋の3぀の芁因が考えられおいたす。 

    ①建築技術の卓越性

    ・校倉造あぜくらづくり
    断面が䞉角圢や五角圢の朚材を井桁状に積み重ねお壁を䜜る䌝統的な建築様匏。
     倏は朚材が膚匵しお湿気を遮断し、冬は収瞮しお颚を通し、幎間を通しお庫内の湿床を適床に保ち、カビや虫害の発生を防ぎたした。

    ・高床匏構造
    床が地面から玄2.5〜2.7メヌトルの高さにあるため、床䞋の通気性が確保され、地面からの湿気を防ぎたした。。

    ・䞉重の入れ子構造
    宝物は「正倉院ずいう建物」「唐櫃からび぀」「櫃ひ぀」などの朚補容噚ずいう厳重な䞉重構造で保管。
    この倚重構造が枩湿床の急激な倉化に察応し、宝物を保護したした。

    ②厳栌な管理䜓制

    倩皇の蚱可がなければ開封できない「勅封ちょくふう」ずいう厳重な管理䞋に眮かれおいたため、䞍甚意な開封が避けられ、庫内環境が維持されたした。
    たた、劣化が確認された宝物や容噚は、その郜床䞁寧に修埩・敎理が継続されたした。

    ③戊灜・灜害を免れた幞運

    東倧寺は歎史䞊、倚くの戊乱や灜害に芋舞われたしたが、正倉院の宝物は奇跡的にそれらを免れたした。
    そもそも聖歊倩皇の遺愛品ずしお倧仏ぞの奉玍品ずいう意識が匷く、圓初から特別な存圚ずしお䞁重に扱われたこずも倧きかったのでしょう。

    これらの芁因が耇合的に䜜甚し、1300幎もの間、貎重な宝物を守り抜くこずができたのです。
    1997幎に囜宝、翌1998幎には「叀郜奈良の文化財」の䞀郚ずしおナネスコ䞖界遺産に登録されたした。
    ただし珟圚、宝物は同じ敷地内の東宝庫ず西宝庫に保管されおいたす。


    正倉院展は熱気が充満

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    お埅たせしたした。
    正倉院の予備知識を埗たずころで、展芧䌚の感想に入りたす。

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    ネットで混雑状況を確認するず、15時以降が比范的空いおいるようだったので、午埌に出発し、先に仏像通を蚪れおから本展ぞず進みたした。
      が、以前の「超囜宝展」ず同じくらいの混雑ぶり。
    結論から蚀えば、2か月ほど前に倧阪歎史博物通で開催された「正倉院 THE SHOW」を鑑賞しおいたこずが、非垞に参考になり、良い予習ずなりたした。
    いや、むしろそちらの方が玠人の私にはわかりやすかったこずを癜状しおおきたす。

    たずえば有名な銙朚「蘭奢埅らんじゃたい」は、密閉されたガラスケヌスの䞭に展瀺されおおり、今回は銙りを嗅ぐこずはできたせんでした。
    しかし倧阪で銙りを䜓隓しおいたため、あの時の銙りが鮮やかによみがえり、よりリアルに鑑賞できた気がしたす。

    ※もちろん䜜品は党お撮圱犁止。
    以䞋の画像は、無料配垃の資料や賌入した「目録」からのものです。

    職人の技が光る「朚画玫檀双六曲もくがしたんのすごろくきょくヌ北倉」

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    䞊段案内リヌフレット
    䞋段目録より

    これはたったく損傷がないように芋えたした。
    双六すごろく台をここたで矎しく仕䞊げるずは、ある意味「無駄なほどの矎」ですが、それぐらい芞術性は高く、今でもむンテリアずしお通甚するほどの完成床。
    朚・竹・象牙を組み合わせ、花唐草や鳥の文様を緻密に衚珟しおおり、その技術力には脱垜です。

    双六の備品であるサむコロ双六頭すごろくずうや駒六子ろくしも高玚玠材を䜿甚。
    特に駒は色鮮やかで、いたなお茝きを攟っおいたした。

    特別な意味を秘めた「鳥毛篆曞屏颚ずりげおんしょのびょうぶ」ヌ北倉

    聖歊倩皇の身近に眮かれた六曲䞀隻の屏颚です。

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    目録より

    なぜ鳥毛が貌られおいるのか
    きっずこれには装食以倖の䜕か重芁な意味があるはずだず思い、調べおみるず次のような意味があるこずがわかりたした。
    ・矜毛は倩界・浄土・霊性を象城する
    ・王暩の尊厳や倩子の嚁光瀺す
    ・文字に霊性を付䞎する
    ・異囜趣味・唐文化の受容を瀺す

    私にはむしろ悪趣味のように思えた鳥毛ですが、単なる装食ではなく、深い象城的意味を持っおいたのですね。

    君䞻ぞの蚓戒
    同じ挢字を篆曞おんしょず楷曞かいしょの皮で曞き、君䞻ずしおの戒めが蚘されおいたす。

    第䞀扇せん䞻無獚治 臣有賛明
    (䞻人が独裁しなければ、臣䞋はその明晰さを讃える)

    第二扇箎芏苛玍 咎悔䞍生
    (決たり事を仮にも守るなら、埌悔は生たれない)

    第䞉扇明王至化 務圚埗人
    (明晰な王が良い政治を行うには、努力しお良い人を埗るこずが必芁)

    第四扇任愚政乱 甚哲民芪
    (愚かな人に任せれば政治は乱れ、賢い人を䜿えば民が芪しむ)

    第五扇近賢無過 芪䜞倚惑
    (賢い人に近付けば過ちがなく、よこしたな人に芪しめば心の惑いが倚い)

    第六扇芋善則遷 終為聖埳
    (善を芋おすぐに孊ぶなら、぀いには聖なる埳を行うようになる)

    目録より

    篆曞おんしょずは象圢文字から発展した䞭囜叀代の曞䜓で、珟代の文字に繋がる源流です。
    (篆曞おんしょ→隷曞れいしょ→草曞→行曞→楷曞)

    聖歊倩皇がこの屏颚を日々眺めおおられたず思うず、珟代の私たちが同じものを目にしおいるこずに䞍思議な感慚を芚えたす。

    東倧寺が玍めた「桑朚阮咞くわのきのげんかん」ヌ南倉

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    阮咞げんかんずは「竹林の賢人」䞭囜・西普せいしん時代の文人の名です。
    圌がこの楜噚を愛したこずでこの名が぀いたずされおいたす。
    衚面には、3人の人物が山䞭で囲碁を楜しむ様子が描かれ、裏面には東倧寺からの䌝来品である蚌拠に「東倧寺」ずいう刻銘がありたす。

    絢爛豪華な「平螺鈿背円鏡ぞいらでんはいのえんきょう」ヌ北倉

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    案内リヌフレットより

    豪華の䞀蚀に尜きたす。
    数皮の貝や琥珀などで、花葉文や鳥をあしらった配眮は、䞭倮に向けお芏則正しいながらも、倧きさや向きを倉えお抑揚を぀けたリズムを感じるデザむンです。

    粟緻すぎる文様「花氈かせん」ヌ北倉

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    案内リヌフレットより

    フェルトのカヌペットですが、色鮮やかでした。
    しかも実に现かい文様がはっきりずわかる状態で遺っおいたした。
    よく芋るず巊右䞭倮の円圢は、花々が枝分かれしながら圢䜜られお、その呚囲にも花による波状の文様が取り巻き、実に现かく粟緻な技が芋お取れたす。
    これは䞭囜・唐のもの、あるいは䞭倮アゞアのものず目録にはありたすが、芋た感じはペルシャ絚毯のようでもあるので、やはり䞭倮アゞアっぜく感じたした。

    今回のラスボス「瑠璃杯るりの぀き」ヌ䞭倉

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    案内リヌフレットより

    今回の展芧䌚では倧トリを食り、薄暗い小郚屋でスポットラむト济びお、その魅力を存分に衚珟された展瀺をみるず、いかにも掚しの䞀点だずわかりたす。

    この原色の青は着色剀にコバルトを甚いたため、このような鮮やかに発色しおいるようです。
    衚面に芏則正しく付けられた䞞茪が可愛らしく、特に銀補鍍金ずきんの台脚に圫られた韍が、ずおもマンガっぜいあたりに職人の遊び心を感じたす。




    仏像通で出䌚ったもの

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    話は前埌したすが、冒頭で正倉院展を鑑賞する前に仏像通ぞ蚪問したのは、単に時間調敎●●●●ずいうだけでなく、芋おおきたい仏像が公開されおいたからなのです。

    法華寺・十䞀面芳音立像

    法華寺●●●ずありたすが、圓寺のご本尊ずは別物です。
    こちらは奈良博所蔵のもので、この床、修理完成を蚘念しお特別公開されおいたした。

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    案内リヌフレット

    法華寺のご本尊は本堂に安眮された囜宝ですが、こちらは指定されおおらず、もずもずは本尊ずは別に東南隅等に安眮されおいたそうです。
    法華寺のHPで確認するず、お顔や光背がたったく違い、すぐに別物だずわかりたす。

    今回の修理に䌎い、内郚に様々な玙片が発芋され、そこに曞かれた内容から新たにわかる事もありたした。

    たず、これは「䞀日造立芳音」だず確定されたした。
    すなわち、わずか䞀日で造立された仏像ずいうこずですが、確かに圫りは浅いものの、私にはずおも短時間で仕䞊げたようには芋えたせん。

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    案内リヌフレット

    たった日で仕䞊げねばならなかったのは、「速やかに功埳を埗る」「衆生救枈の願いを即日に成就させる」ずいう鎌倉南北朝期に盛んに行われた信仰的意味があったからです。
    きっず、藁をもすがる思いで、即効性の埳を求めたのでしょう。
    そのこずだけでも、圓時の民衆による祈りの匷さが想像できたす。

    ずはいえ、私は法華寺のご本尊はただ芋た事はないので詳现は刀りたせん。像高が玄100 cmほどの小さなものに察しお、奈良博のものは178.2 cmで存圚感はあり、埌付けされた光背もデザむン的には掗緎されたものでした。

    囜宝・ご本尊は倩平時代(8侖简)、察しおこちらは鎌倉時代(1314侖简)の䜜で、時代や様匏が倧きく異なるこずが、これら像の倧きなポむントになっおいるようで、芋比べおみる䟡倀はありそうです。


    坂本コレクション
    䞭囜叀代青銅噚

    なんずなく順路に沿っお拝芳しおいるず、ふず现い廊䞋を発芋したので立ち寄っおみたした。
    なんず、こんなずころにミニ矎術通が
    今たで気付かなかったのか、たたたた閉たっおいたのか。

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    平成14幎(2002)にオヌプンしたらしく、坂本コレクションの坂本さんずは叀矎術商「䞍蚀堂ふげんどう」の初代瀟長のこず。
    圌より寄莈された青銅噚380䜙点のコレクションを展瀺しおいるのです。

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    䞻に叀代䞭囜の商しょうや殷いん、挢かんの時代で玀元前17幎から玀元埌3幎にかけおの青銅噚が集められおいるそうです。
    日本はちょうど匥生時代にあたり、少なくずも珟圚より千幎前埌も前のものずいう事。

    それにしおも私は理解が远い぀かない。
    叀代史を知るには、あたりにも知識䞍足なので、今回はデザむン性に感心しながら芋ただけにずどたりたした。


    おたけ

    い぀もなるべく混雑を避けお目的地を目指すのですが、今回は興犏寺の境内を通りたした。
    囜宝展の時はここの「囜宝通」を鑑賞したので、今回は「東金堂」に寄ろうず思っおいたのですが、疲れおしたい断念したした。
    い぀でも寄れるず思いながらも、なかなか寄れたせん。

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    五重塔が芆われおいるのは、
    やっぱり味気ない💊



    ※トップ画像は圓日賌入の目録の衚玙より


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    ゚ッセむスト (䞻に読曞、歎史に関しお曞いおいたす。 1961幎生たれ倧阪府出身。読曞奜き。歎史奜き。ハンドメむド奜き。劄想奜き。 著曞「レキゞョヌクル奥の枝道」シリヌズ冊目をただいた執筆䞭。<https://amzn.to/3vgIGz9>

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