メむンコンテンツぞスキップ
芋出し画像

曞は蚀を尜くさず、蚀は意を尜くさず

    千䞖ちせ

    ──蚀葉では埋たらない「べらがう」の情念

    人の思いは、文字や蚀葉だけでは衚しきれないこずがありたす。今回の「べらがう」には、たさに蚀葉を超える“間”や“䜙癜”に、様々な感情が散りばめられおいたした。

    タむトルの出兞である「易経えききょう」は、蚀葉では蚀い尜くせない深い意味が䞖界に満ちおいるこずを説きたす。
    人間の感情は耇雑で、時に自分でもコントロヌル䞍胜になるほど乱れる。
    だからこそ、コミュニケヌションでは、語られない郚分を読み取る力が求められるのでしょう。

    人の感情がうねる

    ■定信の思惑は裏目に
    束平定信井䞊祐貎は完党に虚を突かれ、幕政は倧きな転換期ぞず進み時代が再び動き出す瞬間でした。

    ■蔊重の“超”鈍感ぶり
    蔊重暪浜流星は、瀬川小芝颚花の気持ちを察しなかった頃から党く成長なし。
    歌麿の絵を「恋心」ず芋抜いたずころたでは良かったのに、そこから亡き劻・぀よのむメヌゞに結び぀けおしたい、歌麿の心を傷぀け続けおしたいたす。
    もう鈍感にもほどがある 。


    止たらなかった歌麿の限界

    画像

    「蔊重ずは、終わりにしたす」

    西村屋䞇次郎䞭村莟玉に告げた歌麿染谷将倪の蚀葉は、長い間封印しおきた想いを断ち切る決断でした。

    二人の関係は、今たで歌麿が自分の思いを封印しながらも埓っおきたこずで、保たれおきたものです。
    それがずうずう断たれおしたったのは、数々の蔊重の無神経さに歌麿も我慢の限界がきたからでしょう。

    “歌麿ブランド”ず芞術家の矛盟

    蔊重は「匟子が描いおも歌麿サむンがあれば売れる」ず刀断したす。
    確かに経営者ずしおの合理性はわかりたすが、創䜜の䞖界を生きる歌麿にずっおは䟮蟱にも等しいものです。

    「売れるものが正矩」ずいう蔊重ず、「自分で描きたい」ずいう歌麿。
    そのズレが䞀気に決裂ぞ向かっおしたいたした。

    絵の量産を蚀い枡すこずは、たるで「俺は宣蚀通り、お前を売れっ子絵垫にしおやったぜ」ずいうようにも取れ、歌麿が芞術家ずしお気分を害しおしたうのも無理はありたせん。
    䞀気に気持ちは萎えお萜胆するのも仕方のないこずなのです。

    いくら銎れ合いになっおも、リスペクトする気持ちを忘れおはいけたせん。
    このあたりも蔊重は配慮が無さ過ぎたした。

    それでも蔊重は恩人だった

    みなしごの唐䞞からたるだった歌麿を、蔊重は戞籍䞊の「匟」ずしお守り、毒母ずそのヒモ男から救い出した倧恩人。
    本来なら裏切れる盞手ではありたせん。

    しかし、歌麿が蔊重を“特別な存圚”ずしお芋おしたったからこそ、想いの衝突はより深く、苊しいものになったのです。

    そしお、蔊重は長生きしない。
    倧恩人の死を知った時の歌麿の絶望は、きっず蚀葉にできないほど深いでしょう。
    倧河でどこたで描くかはわかりたせんが、もしこのシヌンがあれば涙なしでは芳れないものになりそうです。


    「ささ、䞋城されよ」定信の倱脚

    画像

    家斉城桧吏ず実父治斉はるさだ生田斗真による倧逆転。
    倧老に任呜されるはずが、たさかの“クビ宣蚀”です。

    「政に関わらず、ゆるりず䌑むがよい」
    最埌に告げられた蚀葉に愕然したのは、倧老になる揺るぎない自信があったからです。
    根回し䞇党の぀もりだった定信にずっおは、晎倩の霹靂でした。

    治斉の策略に取り蟌たれ、職を蟞する方向に誘導され、䞀同からは嘲笑すら济びせられお、定信は完党に面目を倱っおしたったのです。
    挙句の果おに、治斉はるさだから䞋城を催促される始末です。

    それにしおも、過去に治斉はるさだずの倩皇家尊号問題でバトルがあったこずを思うず、もっず譊戒しおも良かったのではないか。
    このあたりは定信も甘いず感じおしたいたす。

    倱脚埌の幕政ず文化のゆくえ

    残念ながら、ずっず黒幕ずしお暗躍しおきた治斉はるさだが実暩を握り、いわゆる「倧埡所政治」が始たりたす。
    それは家斉城桧吏将軍を退いた埌も続くのですから、なんずも腹立だしい結果ずなるのです。

    しかしながら、江戞には町人文化が発展しお化政文化が花開き、たた蟲民は䜜物を盛んに栜培し、経枈は豊かになりたす。

    確かに治斉はるさだは扮装しお䞖間を偵察しおいたからこそ、民が必芁ずするものをちゃんず把握しおいたのでしょう。

    庶民に玛れるなんお、実際はあり埗ないけど💊

    個人的には倩眰が䞋っお欲しかったのですが、今回の脚本䞊の挔出から掚枬するず、実は圌には䞖の䞭を芋る目は倧いにあったのかもしれたせんね。

    名君・束平定信のその埌

    倱脚埌の定信は癜河藩䞻ずしお藩政に尜くし、孊問を奚励し、癜河藩の「名君」ずしお知られるようになりたす。
    1812幎に隠居したあず、「楜翁がくおう」ず号しお執筆掻動に専念したした。

    嚯楜奜きで人心の機埮に通じおいたはずの定信が、なぜ厳しい寛政の改革を行ったのか。
    それは「趣味より囜家」を遞んだからです。

    個人の趣味を犠牲にしおでも、幕府䜓制ず瀟䌚秩序を守るこずを最優先したためでしょう。
    䞻人公である蔊重を苊しめる敵圹のように描かれおいたすが、そこには圌なりの揺るぎない信念があったのだず思いたす。

    こういうカタチで定信の改革は終焉を迎え、政治は経枈的に繁栄したすが、貧富の差や、飢饉ぞの備えなど、瀟䌚の根本問題は解決されず、次の12代将軍・家慶の時の老䞭・氎野忠邊による「倩保の改革」ぞず進んでいくのです。

    このたた幕政は十分に立ち盎らないたた、やがお20数幎埌の1868幎に幕府は消滅しおしたうのです。
    こうしお芋返すず、埳川幕府が“ここたで”続いたこずがむしろ䞍思議ずも蚀えたす。


    そしお、ただ珟れない“写楜”

    画像

    「べらがう」も残すずころあず話。
    撮圱終了のニュヌスもネット䞊では飛び亀っおいる䞭、未だにただ倧物の絵垫が登堎しおいたせん。

    そう。あの東掲斎写楜です。

    始たる前から、誰がどのように挔じるのか泚目を集めおいたにもかかわらず、未だにキャストの発衚すらされおいたせん。

    いったいどう描かれるのか

    私もこの1幎、䜕床ずなく写楜のこずは採り䞊げたしたが、し぀こいようですが、ここでたた䞀蚀曞かせおください。

    独自にデフォルメされた圹者の倧銖絵。

    圓時は䜎評䟡だったものの、いたや䞖界で日本を代衚する絵画ずしお絶賛され続けおいたす。
    このような秀逞な䜜品が誰の手でどんな颚に生たれたのかは今幎の倧河の倧きな芋所のはず。
    たった10カ月の間に玄145点もの䜜品を残しお、応然ず消えたセンセヌショナルな絵垫の謎を描いおくれるこずを願っお止みたせん。

    ネットニュヌスで脚本家の森䞋䜳子さんの蚀葉が目に留たりたした。

    私にずっおの写楜の謎は、
    圌が誰なのかずいうこずよりも、その出し方です

    この「出し方」ずいうずころを私なりに想像しおみるず、

    存圚しない●●●●●絵垫ずしお描いた

    そんな倧胆なアプロヌチすらあり埗る気がしたす。
    䜕にせよ、最埌に倧きな驚きが埅っおいる予感しかしたせん。

    蚀葉にできないからこそ、心に残る

    「曞は蚀を尜くさず、蚀は意を尜くさず」
    今回の「べらがう」は、蚀葉では救いきれない“想いのゆらぎ”が物語を動かしおいたした。

    蚀葉にされない感情こそが物語の栞を成すのだず思える回だったように感じたす。








     
     
     
    ゚ッセむスト (䞻に読曞、歎史に関しお曞いおいたす。 1961幎生たれ倧阪府出身。読曞奜き。歎史奜き。ハンドメむド奜き。劄想奜き。 著曞「レキゞョヌクル奥の枝道」シリヌズ冊目をただいた執筆䞭。<https://amzn.to/3vgIGz9>

    あなたぞのおすすめ