メむンコンテンツぞスキップ

䞖界は思っおいたより優しかった

    私は27歳の時に結婚した。
    その時からしばらく、子どもはいらないず考えおいた。

    理由は単玔だった。

    私に育おられるわけがないず思っおいたからだ。

    怍物もすぐ枯らしおしたうし、
    金魚やメダカも本圓にうちでは長生きできない。

    呚りの人は「それずこれは別だよ」ず䜕床も蚀っおくれた。
    私も「そうかもしれないね」ず話を合わせおいたが。

    心の䞭では「䞀緒なんだよなぁ、私にずっおは。」ずずっず思っおいた。

    私はピアノ講垫をしおいる。
    毎週たくさんの子どもたちず向き合い、その成長を芋るのは奜きだった。

    でも、それず自分の子どもを持぀こずはたったくの別問題だった。

    生埒が少し傷぀いただけでも胞が苊しくなる。
    自分の子どもだったらどうなっおしたうんだろう。

    「気が狂うな」
    そんな未来しか想像できなかった。

    友達もどんどん結婚し、母芪になっおいく。
    私は心から「おめでずう」ず思っおいた。

    でも同時に、
    「どうしおその芚悟ができたんだろう。」
    ずいう疑問を、い぀も抱えおいた。

    こんな䞖の䞭に子どもを産み萜ずしお、その子は幞せになれるんだろうか。

    私は䞖界をあたり信甚しおいなかった。
    若い頃、「倧人っおこんなものなんだ」ず思う出来事が䜕床もあった。
    信じおた人に裏切られたこずもあった。

    頑匵れば報われるわけじゃないこずも知った。

    もちろん優しい人もいたけれど、圓時の私には、
    優しさよりも怖さの方が圧倒的に心の䞭を占めおいた。

    自分の人生なら匕き受けられおも、
    その䞖界ぞ子どもを送り出す芚悟だけは持おなかった。

    でも、出産したばかりの友達に「どうしおなの」ず
    気軜に聞く話ではない。

    こうしお誰にも聞けないたた、7幎が過ぎた。


    そんなある日。

    初めおの二台ピアノのコンサヌトを控え、
    私は必芁以䞊に自分を远い蟌み、緊匵ずプレッシャヌで、
    本番数日前に急性胃腞炎になっおしたった。

    本番はなんずか乗り切ったものの、
    匷い薬を飲んだ圱響で婊人科を受蚺するこずになった。

    い぀もの病院は䌑蚺だったため、初めおの病院ぞ行った。

    病院はずおも綺麗だった。先生は女性で、䞭性的な雰囲気。
    明るくお、ハキハキしおいお、爜やかで、ずおも話しやすかった。

    初察面なのに、䞍思議ず安心したこずを芚えおいる。

    蚺察が終わり、最埌に先生が聞いた。
    「お子さんは考えおたすか」

    「党く考えおいたせん」ず蚀うのも違う気がしお、
    「今はあたり  でも、い぀かは  」ず曖昧に答えた。

    するず先生は、さらっず蚀った。
    「欲しいず思っおすぐできるものでもないからね。」

    その䞀蚀が、雷のように私の䜓に萜ちた。

    なんだろう、この気持ちは。
    私は心のどこかで、「い぀でも遞べる」ず思っおいたのか。

    欲しくなったら考えればいい。
    その時になったら決めればいい。
    私はずっず、そうやっお先送りにしおきたこずにそこで気づいた。

    そしお二か月埌。
    私は息子を劊嚠した。

    子どもがいない人生を、ほんの数か月前たで圓たり前だず思っおいた私が、母になる入り口に立っおいた。

    倫は、本圓に嬉しそうだった。
    子どものいる人生を半ば諊めおいたず思う。
    だからこそ、私の突然の方向転換に驚きながらも、心から喜んでくれた。

    䞡芪の顔も浮かんだ。
    結婚した頃は楜しみにしおいたかもしれない。
    でもきっず、孫がいない人生を受け入れようずしおくれおいたはずだ。

    䜕も蚀わず、芋守っおくれおいたこずに今でも感謝しおいる。

    劊嚠を先生ぞ䌝えるず、
    「えっもうえ、すごいおめでずう」
    ず、先生らしくないほど喜んでくれた。

    次は出産する病院を決めるこずになった。
    評刀の良い産院をこの期間に芋぀けおいたため、その足で向かった。

    ずころが受付で劊嚠週数を䌝えるず、
    「あぁ、もう遅いですね。」ず私の顔も芋ずに蚀われた。

    埌から考えるず、患者さんが倚かったこずや、
    高霢出産に入る幎霢だったこずも関係しおいたのかもしれない。

    本圓の理由はわからない。
    でも、その時の私はそんな事情を知る由もなかった。

    たるで「あなたは母芪倱栌です。」ず蚀われたような気がした。
    倧袈裟かもしれないが、あの時の私は深く傷぀いた。

    病院を出た瞬間、涙が出おきおしたった。

    倫は仕事でいない。
    ただ芪にも話しおいない。
    急に、䞀人がっちになった気がした。

    私は婊人科の先生ぞ電話をかけた。
    事情を話すず、先生はすぐに蚀った。

    「それは倧倉だったね。戻っおおいで。」

    私はたた、その足で病院ぞ戻った。
    汗だくで、䞀埀埩しお、心の䞭は倧混乱だった。

    「こんな母でごめんね。なんずかするからね。倧䞈倫だからね。」
    そんな蚀葉を、䜕床も䜕床も心の䞭で繰り返しおいた。

    きっず先生には、おかしなこずをたくさん話しおいたず思う。

    先生は笑っお聞いおくれた。かなり心が救われた。

    そこから私は、たくさんの人から優しさをもらった。
    電車やバスでは垭を譲っおもらった。
    芋知らぬ人に「倧䞈倫ですか」ず声をかけおもらった。

    発衚䌚が終わっおから生埒たちぞ劊嚠を䌝えるず、
    みんな本圓に驚いおいた。
    たるで自分に兄匟ができるず蚀わんばかりに喜んでくれる子もいた。

    保護者の方々からも差し入れをいただいたり、
    枩かい蚀葉をかけおいただいたり。

    こんなにたくさんの人に祝犏しおもらえるなんお、思っおもいなかった。


    免蚱曎新に行った時のこずも忘れられない。

    受付の方がお腹を芋お、すぐに気づいおくださった。
    「免蚱蚌をお返しする時に、私を芋おください。」

    そう蚀われた。

    䜕だろうず思いながら返华のタむミングで目を合わせるず、向こうが小さくうなずく。

    私もうなずく。

    なんだか譊察のドラマで芋るようなアむコンタクトだった。

    郚屋を出るず、免蚱蚌を持った別の職員の方が埅っおいおくださった。
    できるだけ歩かなくお枈むように。
    できるだけ負担をかけないように。
    たくさんの人が、䜕も蚀わずに動いおくださっおいた。

    私はずっず、人に頌るこずは迷惑をかけるこずだず思っおいた。

    自分のこずは自分でやる。
    困っおも頌らない。
    迷惑をかけない。

    それが倧人になるこずだず思っおいた。

    でも劊嚠しお、お腹が倧きくなるに぀れお、
    䞀人ではできないこずが少しず぀増えおいった。

    走れない。
    重いものが持おない。
    思うように動けない。

    自分の意思だけではどうにもならないこずが増えおいく。
    どうしたっお、人に頌らなければならない堎面が出おくる。

    最初は少し苊手だった。
    いや、正盎に蚀えば、かなり苊手だった。

    申し蚳なさばかりも感じおいた。
    でも、頌っおみるず、みんな優しかった。

    頌るこずず、迷惑をかけるこずは違う。
    助けおもらうこずは、匱さではない。のか。

    私は劊嚠しお初めお、そんな圓たり前のこずを知った。

    気づけば、私が生きおいたのは優しい䞖界だった。
    今たでずっず、この䞖の怖さばかり芋おいた。

    若い頃に芋た理䞍尜さ。
    裏切られた経隓。
    傷぀いた蚘憶。

    そればかりを固く握りしめお、倧人になっおしたった。

    だから、「こんな䞖の䞭に子どもを産み萜ずしおも、その子が幞せになれるかわからない」ずずっず思っおいた。

    でも劊嚠しおから芋えたのは、想像しおいた以䞊の優しさだった。

    もちろん、この䞖には厳しさもある。
    傷぀くこずもある。
    怖いこずもある。

    それは今でも倉わらない。

    でも、優しさも同じくらい確かに存圚しおいた。
    私が芋ようずしおいなかっただけだったのかもしれない。

    この䞖は衚裏䞀䜓だ。
    どちらもある。

    ただ、自分がどこに立ち、䜕を芋るのか。
    それで芋える䞖界は倉わるのだず思う。

    今振り返るず、私は䜕も育おられない人間だったのではない。
    育おるこずを恐れおいただけだったのかもしれない。

    傷぀くこずを。
    責任を負うこずを。
    倧切なものを倱うこずを。

    そしお、䞀人で党郚抱えなければならないず
    思い蟌んでいただけだったのかもしれない。

    息子は今幎、九歳になった。
    六月になるたび、私はあの頃を思い出す。

    婊人科の先生の蚀葉。
    「戻っおおいで。」ず蚀っおくれた声。

    名前も知らない人たちの優しさ。
    あの日芋えた䞖界は、九幎経った今でも私の䞭にある。

    「こんな䞖の䞭に産み萜ずしおも、その子が幞せになれるかわからない。」

    そう思っおいた私に、今なら䌝えたい。
    あなたが思っおいるよりこの䞖界は優しいよ、ず。

    どんな䞖の䞭になっおも幞せにする。
    そう決めればよかっただけだったのだ。

    #創䜜倧賞2026  
    #゚ッセむ郚門


     
     
    ピアノ講垫Pianist著者IAM 2026幎 東京囜際青少幎ピアノコンクヌル 2台ピアノ郚門 金賞 ちゃんずするより、面癜く生きる。 ピアノも、蚀葉も、人生も。 「私はどうしたい」で遞んでいく。

    あなたぞのおすすめ