
カップに描かれた小さな魔法
仕事帰りに駅へ向かう足をふと止めた。
今日はなんだか、コーヒーが飲みたい。
それも静かでゆっくりしていて
誰も急いでいない場所で、のんびりと──
そんな気分の日は、
駅から10分ほど外れた細い路地にある
古民家喫茶に寄り道する。
夕暮れの風が木の看板を揺らす。
ガラガラと引き戸を開けると、
ふわりと木の香りと
コーヒーの香ばしい匂いが混ざって迎えてくれる。
「ちさほさん、こんばんは〜!
今日もお疲れ様です!」
元気よく声をかけてくるのは
この店のアルバイトの女の子、サエちゃん。
小柄でくるくるよく笑う、
そして常連の顔を抜群に覚える天才だ。
「今日、なんかあったでしょ?」
とカウンター越しにニヤニヤしてくる。
この子はほんとに表情の変化に敏感だ。
「え、なんで分かるの?」
「顔がちょっと、甘いもの欲しい人の顔です!」
「そんな顔ある?」
「あります! ちなみに疲れた人の顔とも言います!」
軽やかに失礼、でもかわいい♡
席につく前に、
「今日はご褒美カフェラテにします?」と
メニューよりも先におすすめしてくる。
「じゃあ、それで」と言うと、
サエちゃんはすぐ笑顔になる。
「は〜い! ちさほさんのために、
フォーム多めで作りますね!」
「なんか特別扱い…」
「常連さんはみんな特別扱いなんですよ〜!」
そんな言葉に、ふっと肩の力が抜ける。
古民家の大きな梁や木枠の窓。
足音の吸い込まれそうな古い床。
ゆっくりと時間の流れる感覚がこの店にはある。
カフェラテが運ばれてくると、
ふわふわの泡に小さなハートが描いてあった。
「サエちゃんが ♡ 描いたの?」
描きました! 今日のハートは、
『ちゃんと休んでねハート』です!
「そんなに種類あるんだ…」
「ありますよ! 私、ハート職人なんで♡ 」
サエちゃんの明るさは、
どんな疲れも笑顔に変えてくれる。
「ねえねえ ちさほさんって、
なんでうちのお店に寄ってくれるんですか?」と
急に真面目な声で聞いてきた。
「うーん… たぶん。
ここだと素の自分に戻れるからかな」
それに、サエちゃんも居るからと話した。
サエちゃんはぽかんと目を丸くしたあとに、
静かにゆっくりと笑う───
「うわ、やばい… なんか泣きそう …!
そんなこと言われたの初めてです〜!」
「ぇ、ゎ、泣くの」
「泣きません! でも泣きそう、どうしよ!」
慌ててエプロンで顔を扇ぐ
サエちゃんにつられて、笑ってしまう。
「じゃあ、ステキな言葉を頂いたお礼に
クッキーひとつサービスします!」
「そんな … 悪いって」
「いいんです! ちさほさんは今日
『甘いものの顔』してるし」
「それ、さっきも聞いた」
「ほんとにしてるんですよ〜!」
差し出されたクッキーは外はさくっと、
中はほろっとして優しい味がした。
コーヒーを飲み終えて席を立つと、
サエちゃんが手を振って言った。
また来てくださいね!
いつでも『ちょっと甘い顔』で来てください!
「やだ、今度はほろ苦い顔で来るから」
「それでもハート描きます!」
夜の風が少し冷たかったけれど、
胸のあたりはほんのり温かい。
古民家喫茶の灯りは、
いつも私の時間を少しだけやわらかくしてくれた。
また、次の投稿でお会いしましょう。☕️✨