
優しすぎるカッコウの子
私は親に厳しく育てられました。
真面目に学校のルールを守り、勉強をしないと「不良」になるよ。
行儀良く、マナーを守って、言葉遣いもちゃんとして。
そうしないと愛されないと思ってきました。
「美大に行きたい」と言った時も、「そんなので食べていけるわけない」
そう言われた私はすぐに諦めました。年子の弟がいるのに、確かに無理か、とも思いました。
でも、そうやって過ごしている間にいつしか、親の望む「正しさ」と、自分が望む「幸せ」のあいだで板挟みになり、自分の生きたい道を求めることにさえ罪悪感を覚えてしまう子になっていました。
そんな若い頃の私が、心の中でずっと大切に温めていた、私なりの「ある想像のお話」があります。
優しすぎるカッコウの子
それはあの、他の鳥の巣に卵を産み落とす「カッコウ」の物語です。
もしも、その巣で生まれたカッコウが、ものすごく心の優しい子だったらどうなるだろう?
本当のカッコウのヒナは卵から孵ってすぐ、他の卵を巣から蹴り落とすというひどいことをしますが、優しいこの子はそんなことはしません。
「お前のせいで巣がぎゅうぎゅうじゃないか!」と他のヒナたちに文句を言われて、すまなそうに身を縮めています。
それに、自分の体が他のヒナよりずっと大きいから、親鳥が運んでくる食べ物は全然足りないし、そもそも自分の口には合いません。
けれど、その優しすぎるカッコウは「足りない」なんて文句は絶対に言わないのです。
なぜなら、口に合わなくて少なすぎるその食べ物も、目の前の親たちが命がけで運んできてくれたものだっていうことが、ちゃんと分かっているから。
そうして遠慮しながらも命を繋いだカッコウは、ある日ついに、バサバサと大きな翼を広げて大空へ飛び立っていきます。
その姿を見上げて、育ての親鳥はきっとこう思うのです。
「お前、カッコウだったのか。お前がそんなに大きくなるとは知らなかったよ。色々心配したけど大きくなれてよかった。ずっと元気に暮らすんだよ」
大人になったカッコウは、もう誰に遠慮する必要もありません。自分が好きなものを食べて、自分に合うものを探し、自分の生き方を幸せに生きていく。そしてそれを見た親鳥たちも、きっと大きな安心に包まれるのだろう。。
私はこの概念を頭の隅にいつも持ちながら、若い時代を過ごしていました。親が思う私の幸せと、私が感じる本当の幸せのギャップに苦しみながらも、いつかあのカッコウのように飛び立つ日を夢見ていたのです。
鳥かごの扉は、すでに開いていた
その後私は、普通の4年制の大学へ進学し、一般企業の総合職に就職。
「絵は趣味で続けたらいいのよ」と言われてきた私はその通りに過ごしていましたが、どこか自分の居場所がない感じを味わっていました。
転機が訪れたのは、就職してまもなくの頃に発生した、阪神淡路大震災でした。
幸い家族全員、命に別条はなかったものの、「明日は必ず来るとは限らないんだ」ということを強く悟りました。
ありがたいことに、会社では神戸から離れた場所で働かせてもらえていたので、私は一人暮らしをしながら、初めて自分自身とじっくり向き合ったとき、気づいたのです。
「なんだ、鳥かごの扉は、とっくに開いていたんだ」
親の言う通りにしながら心の中で親を恨み続けるくらいなら、私は大空を羽ばたく姿を見せて、結果で分かってもらおう。そう思うようになりました。
そして、しばらくは会社で働きながらお金を貯めて、そのお金でイラストの学校に行ったのです。
長い遠回りをしましたが、結局、私はイラストレーターになれました。
「絵なんかで食べていけないよ」と言っていた親でしたが、私のイラストが掲載された雑誌を、発売日当日に買いに行ってくれていました。
いざ自分が腹をくくってチャレンジしてみたら、気づけば誰よりも応援してくれるようになっていたのです。
私が、自分たちの知らない道に行ってしまって困ることがないように、親は全力で反対していたのです。未熟ではありつつも、愛されていたからこその行動でした。
「当たり前の優しさ」という、不器用な愛
その後、私自身も親という立場になってみて、初めて気づいたことがあります。
子供というものは、親が「自分の欲しい形の優しさ」をくれたときだけ、心から感謝するものです。その反面、毎日そこにある「当たり前の優しさ」は、空気のように当たり前だと思ってしまいがちです。
けれど親は、どれだけ自分がしんどくても、我が子にムカついても、毎日ちゃんと衣食住を与えて育て続けます。
自分とは受け入れられない考え方を持っていて、ケンカをしようと、反抗的な態度を取られようと、ちゃんとご飯を食べさせ、雨風をしのげる場所を用意し続ける。
受け入れ難くても与え続ける。これって、根底に「愛情」がなければ、絶対にできないことなのだと、今なら分かります。
恥ずかしながら、自分が親になるまで私はそのことに気づけませんでした。
言う通りにしないと愛されないんだと本気で思い込んでいました。
思い返せば母は、私とどんなにケンカをした次の日でも、ちゃんとお弁当を持たせてくれました。
こんなに気づくのが遅くてごめんね、ということ。そして、私が気づくまで生きていてくれてありがとう、という気持ちでいっぱいです。
自分らしく大空を生きていく
親と自分は、違う種類の鳥だったのかもしれない。だからこそ、お互いに見えている景色も、心地いい生き方も違って当然だったのだと、今では思っています。
かつての私のように、親との関係に息苦しさを抱え、「分かってほしい」と心が擦り切れている人がいるかもしれません。
でも私は、まずは家から出て、自分の足で立った上で、好きな道を進んでみて本当によかったと思っています。私が私らしく大空を羽ばたくことこそが、結果として、不器用ながらも育ててくれた親への一番の恩返しであり、自分自身を救う唯一の方法だったのだと感じています。