
雪女 −巳之吉の嘘−
若い木こり、巳之吉(みのきち)は、年老いた親方とともに山へ入っていました。
帰り道、突然の猛吹雪に襲われ、二人は山小屋へ避難します。

凍えるような夜。
板壁の隙間から細かな雪が吹き込み、土間に白く積もる。
藁で編んだ外套(蓑)だけでは寒さは凌げそうもない。巳之吉は囲炉裏の灰を掻き出し、蓄えてあった僅かな薪に火を移した。
パチパチと火が爆ぜる音とともに、湿った煙が小屋に充満する。濡れた蓑を乾かしながら暖をとった。
巳之吉は、背負い籠(しょいかご)を解き、竹皮に包まれた猪の干し肉と、小さな壺に入った焼き味噌を取り出した。
親方はその横で、藁の蓑を身体に巻き付け、丸くなっている。歯の根も合わぬほどにガタガタと震え、その音だけが小屋に虚しく響いていた。
巳之吉は干し肉を小さく裂き、味噌を塗ってから火に翳した。脂の焼ける匂いが小屋に広がる。

巳之吉はそれを口に運び、時間をかけて咀嚼した。肉が喉を通り、五臓六腑に染みわたる。体の奥に熱が広がり、指先の感覚を僅かに呼び戻す。
親方は目を開け、巳之吉の手元を凝視していた。その目は、慈しみ育てた弟子を見る目ではなく、飢えた獣のそれだった。巳之吉は親方の視線に気づいたが、肉を差し出すことはしなかった。
この吹雪がいつ止むかも分からない。
巳之吉の予備の食料はまだあったが、自分が生き残るため、食料を親方に分けることはしなかった。
夜も更け、囲炉裏の火が消えかけた頃、親方の震えは止まっていた。
巳之吉が親方に触れると、親方の体は冷たくなっていた。
巳之吉は親方が着ていた蓑を剥ぎ取り、自分の身体の上に重ねた。二枚の蓑の重みで、巳之吉の体温は朝まで維持された。
翌朝、巳之吉は親方の蓑を着込んだまま山を下山した。
「巳之吉、生きてたかぁ……親方あどうしただ?」
「山小屋に雪女が現れて、親方を凍らせちまっただ」
「ゆ、雪女じゃと?」
「……あ、ああ。真っ白な肌をしたべっぴんだったけんど、肌あ冷たぐてえ、親方を凍らせただよ」
「巳之吉はなんで助かったんだ?」
「おらあ囲炉裏のとけにいたから、雪女近寄れなかったんじゃないべか?」
「そうかそうか、巳之吉だけでも生きてて良かったな」
それから一年後。
巳之吉の前に、隣の村から一人の美しい娘が嫁ぎました。
名を「お雪」という。

二人は仲睦まじい夫婦となり、数年後には二人の子宝に恵まれます。
お雪は働き者で、優しく、不思議なほど白い肌をしていました。
「おめえの肌あ、雪女みてえだな」
「雪女って、あの?」
「おんめえ、雪女のこと知ってるだか?」
「ええ、ずっと前に聞いた事があるの」
「そっかあ、おら本物の雪女に会ったことがあるだよ。おめえの方がぺっびんだけんどもよ」
巳之吉は幸せでした。
けれど『お雪』が口にした『雪女』の話。
あの夜の記憶だけは、胸の奥に凍ったまま残っていました。
ある冬の夜。
外はあの日と同じ、激しい吹雪だった。
囲炉裏の火を見つめていた巳之吉は、ふと、胸の奥に沈めていた氷のような塊が溶け出すのを感じた。
「お雪……。おらあ、おめえにだけは言わなきゃなんねえことがある。昔、今夜みてえな吹雪の夜に、人を見殺しにしたことがあるんだ……」
「その人どんな人だったの?」
「……名を喜平(きへい)という男だ。」
名前を聞いた瞬間、お雪の顔色が変わります。ゆらりと立ち上がり、その顔は涙に埋もれました。
「私の爺っちゃんを殺したのは、あなただったの?」
「お、お雪……おめえ」
「私は、あなたの親方だった人の孫よ! 大好きだった爺っちゃんを殺したあなたとは、もう一緒に暮らすことは出来ません」
彼女は寝ている子供たちを一瞥すると、そのまま土間へ降り、雪の降る外へと足を踏み出してしまいます。
戸が開け放たれ、冷たい風が部屋の、そして二人の温もりを一瞬で奪い去ってしまいました。
巳之吉は叫びましたが、お雪は戻ってきません。
翌朝。
村の外れ、親方の墓へと続く道すがらで、お雪は見つかった。
新雪の中に横たわる彼女の肌は、巳之吉が嘘の中に作り上げた雪女よりも、遥かに白く、冷たくなっていた。

巳之吉が親方を殺したと言った『雪女』のように白い姿で……。
本作品はフィクションです。登場人物・団体名等はすべて架空のものです。
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