
イベントの商業化とヴィレヴァンの大量閉店は少し似ている気がする。
デザフェス、というよりイベントの商業化とヴィレヴァンの大量閉店は少し似ている気がする。このままだと、創作活動そのものを続けられなくなる作家も増えるのかもしれない。(言い過ぎかもしれない。)
もちろんアートイベントと小売店では前提が違うけど、どちらも「発見の場」という共通点を持っている。
ヴィレヴァンの根源的な価値のひとつは、本や雑貨を売ることではなく、知らないものと出会うことだったと思う。偶然見つけた本に心を動かされたり、意味の分からない雑貨に惹かれたりする。そういった予期しない発見の体験そのものが大きな価値だった。
けれど、店舗数が増え、経営効率が求められるようになると、どうしても売れる商品へ最適化されていく。売れるものを仕入れ、売れるものを増やし、売れるものを目立たせる。それ自体は間違いではないし、むしろ経営としては自然なことだと思う。
ただ、その結果として個性や偶然性は少しずつ薄れ、「発見の場」が「モノを売る場」へと重心を移していったように感じる。
ヴィレヴァン大量閉店の要因は数多くあるだろうけど、その一つは「発見の場」から「モノを売る場」へ変わっていったことなのかもしれない。
そしてこれは、デザフェスやデザフェスに出展する作家にも起こり得る話だと思う。
デザフェスには「なぜそれを作ったのかわからない作品」や「売れるかどうかはともかく、作家の熱量だけは伝わってくる作品」がたくさんある。
けれど、クリエイティブ市場そのものが拡大し、作家同士の競争が激しくなると、イベントは単なる発表の場ではなく、作家の活動継続に直結する場になっていく。
事実、デザフェスの来場者は年々増加し、出展倍率も出展料も上がっている。 となると、売上を作りたい、出展料を回収したい、活動資金を確保したい、と考えるのは自然なことだと思う。その流れで売れるものへの最適化が始まることも。
人気ジャンルに人が集まり、成功事例が模倣され、再現性の高い商品が並ぶようになる。これ自体は悪いことではないし、これもまた、ごく自然な流れだと思う。
ただ、その流れは作家自身にも別の問題を生むのだろう。
売れるものを追い続けるほど競争相手は増える。差別化は難しくなり、価格競争も起きやすくなる。 そして気づけば、自分が本来作りたかったものよりも、市場が求めるものを作る時間の方が長くなっていく。これは創作活動において、かなり危険な状態なのだと思う。
商業化そのものは悪くない。作家が収益を得ることは大切だし、むしろ必要不可欠なことだ。 とはいえ、売れるものへの最適化だけを続けると、最終的には他人と同じ土俵で戦うことになる。
本当に守るべきなのは売上そのものではなく、「なぜ自分の作品が他人の目に留まるのか」という理由なのかもしれない。
ヴィレヴァンの苦戦は、単なる小売業の失敗ではない。
「発見を提供していた存在が、売れるものを売る存在へ変わっていった話」として見ると、デザフェスや創作活動にも通じる示唆があるように思う。
発見の価値は、効率化や最適化とあまり相性が良くないのかもしれない。