
詩のような物語 十二か月(8)八月 花火が消えたあとに残るもの
花火が上がるたび、
人混みの中で誰かが小さく息をのんだ。
夜空に咲いた光は、
赤く、青く、白くほどけて、
一瞬だけ、知らない人たちの横顔まで照らしていく。
子どもの歓声。
屋台の甘い匂い。
草履で踏まれた砂利の音。
夏の夜は、こんなにも賑やかなのに、
どうして少しだけ寂しいのだろう。
隣を歩く人の手が、
人混みに押されて、ふいに触れた。
たったそれだけのことなのに、
胸の奥で、まだ名前のついていない何かが
静かに火をともした。
握ったわけではない。
約束をしたわけでもない。
ただ、指先が少し触れて、
すぐに離れただけ。
それなのに、
花火よりも長く、
その温度だけが残っていた。
最後の一発が夜空を割った。
大きな音が川面に落ちて、
暗い川が、一瞬だけ金色に揺れた。
そして、何事もなかったみたいに、
また黒く戻っていく。
人々は少しずつ歩き出す。
「終わっちゃったね」
誰かがそう言った。
本当に終わったのだろうか、と思う。
空にはもう光はない。
川も暗い。
屋台の灯りも、ひとつずつ遠ざかっていく。
けれど、
耳の奥にはまだ音が残っている。
目の裏にはまだ光が残っている。
指先にはまだ、
あの人の手の温度が残っている。
夏は、
消えてしまうものばかりでできているのかもしれない。
花火も。
蝉の声も。
かき氷の冷たさも。
言えなかった言葉も。
でも、消えたあとに何も残らないわけじゃない。
むしろ、
消えてからやっと、
残ったものの形が見えてくる。
暗い川のそばで、
私はそっと自分の指先を握った。
まだ熱い。
花火が消えたあとに残るもの。
それはきっと、
誰にも見えない小さな光を、
胸の中で
もう一度だけ咲かせようとする気持ちだった。