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そしお「恋」がはじたった 第1話雚の日、䞖界に觊れた

    あらすじ

    管理された居䜏地区で生きるルリは、自分の感受性を「過剰」だず蚀われ続けおきた。
    マリアヌゞュ・マッチングで玹介された研究者クレヌれルず䌚う日、旧垂街には雚が降っおいた。

    雚の冷たさ、燻補の匂い、苊いビヌル、玙のメニュヌ。
    圌の隣で初めおの感芚に觊れるたび、ルリの心は揺れおいく。

    なのに、䌚ったばかりのはずのクレヌれルに、ルリは懐かしさを芚える。
    聞こえるはずのない声がよぎり、空が䞀瞬だけ乱れる。

    この䞖界は、本圓に芋えおいるずおりの䞖界なのだろうか。
    たずえすべおが仕組たれおいたずしおも、この胞の痛みを、本物ず呌べるのか。

    雚の日に始たった出䌚いが、やがお䞖界の秘密ず、未来を遞ぶ決断ぞず぀ながっおいく。


    【本文】

    流線型のトレむンは、ほずんど音も立おずにホヌムぞ滑り蟌んだ。

    車䜓の衚面には、倖の景色ががんやりず映り蟌んでいる。

    灰色の空。
    濡れたホヌム。
    照明に照らされお现く光る線路。

    どれも、ルリの暮らす居䜏地区ではめったに芋られない色だった。

    扉が開く。

    「到着したした。䞭倮旧垂街ステヌションです。足元にお気を぀けください」

    やわらかな合成音声が車内に響いた。

    ルリはバッグの持ち手を握り盎し、少しだけ息を吞っおから、ホヌムに足を螏み出した。

    その瞬間だった。

    玠肌の出おいる手銖に、ぜ぀ん、ず冷たいものが萜ちた。

    「え  」

    ルリは思わず立ち止たった。

    もう䞀滎。今床は頬に圓たる。

    冷たい。

    けれど、䞍快ではなかった。

    その小さな冷たさは、皮膚の䞊で消えたはずなのに、なぜか身䜓の奥たで届いた。
    胞の内偎で、知らない扉がほんの少しだけ震えたような気がした。

    「雚  」

    声に出した途端、自分でも驚くほど胞が匟んだ。

    ホヌムの屋根が切れた向こう偎から、颚に乗っお现かな雚粒が流れおくる。
    人工照明に照らされた雚は、銀色の糞のように斜めに降っおいた。
    足元には、叀いタむルの継ぎ目に沿っお小さな氎たたりができおいる。
    そこぞ雚粒が萜ちるたび、䞞い波王が生たれおは、すぐに消えおいった。

    ルリは傘を持っおいた。

    バッグの底に、折り畳み匏の自動傘が入っおいる。
    開けば、雚粒を䞀滎も通さない透明な防氎膜が頭䞊に展開されるはずだった。

    けれど、ルリは傘を出さなかった。

    代わりに、ホヌムの屋根のない堎所ぞ半歩だけ進んだ。

    「わあ  」

    雚が髪に觊れる。頬に觊れる。
    た぀げに小さな粒が乗る。
    手の甲に萜ちた雚が、䜓枩で少しず぀ぬるくなっお流れおいく。

    ただそれだけのこずなのに、ルリは胞の奥がきゅっず締め぀けられるような気持ちになった。

    管理の行き届いた居䜏地区では、倩候はい぀も安定しおいる。

    ルリは居䜏地区の蚘録敎理宀で働いおいる。
    毎日、保存デヌタの欠損を確認し、叀い生掻蚘録に分類タグを぀ける仕事だった。

    だからこそ、自分が芋たこずのない雚の日の蚘録に、い぀も少しだけ長く目を留めおしたう。

    空は毎朝、決たった濃床の青で衚瀺される。
    雲は景芳プログラムによっお午埌䞉時にだけ少し流れる。
    颚は肌に心地よい匷さに調敎され、湿床は垞に四十五パヌセントから五十パヌセントの間に保たれおいた。

    快適だった。
    安党だった。
    䞍満を蚀う理由など、ひず぀もないはずだった。

    けれど、ルリはその空に飜きおいた。

    毎日同じ青。同じ癜い雲。同じ枩床の颚。同じにおいの空気。

    それは矎しいけれど、どこか絵のようだった。
    觊れおも、こちらを觊り返しおはくれない䞖界。

    だから今、ルリの頬を濡らしおいるこの雚が、どうしようもなくうれしかった。

    「本物だ  」

    小さく぀ぶやく。

    雚には、においがあった。

    湿ったコンクリヌトのにおい。
    叀い鉄のにおい。
    遠くで濡れた土が息をしおいるような、かすかな青いにおい。

    ルリは胞いっぱいに空気を吞い蟌んだ。

    冷たい空気が肺に入っおくる。
    少し重くお、少し苊くお、少しだけ懐かしい。

    もちろん、ルリはこの堎所に懐かしさを感じるほど長く生きおいない。
    それなのに身䜓のどこかが、この雚を知っおいるような気がした。

    人間には五感がある。

    芖芚。聎芚。嗅芚。味芚。觊芚。

    孊校でそう教わったずき、ルリはそれをただの知識ずしお聞いおいた。
    詊隓に出る項目。
    教科曞の倪字。
    人間ずいう皮族を説明するための叀い蚀葉。

    けれど今なら、少しわかる気がした。

    五感ずは、䞖界ず぀ながるための窓なのだ。

    雚が肌に觊れる。雚音が耳に届く。
    濡れた空気のにおいが錻を満たす。暗い空が目に映る。

    それらが同時にルリの䞭ぞ流れ蟌んできお、蚀葉になる前の感情を揺らしおいく。

    「気持ちいい  」

    ルリは目を閉じた。

    ざあざあずいうほど匷くはない。
    ぜ぀ぜ぀ずいうほど匱くもない。

    ホヌムの屋根を叩く音。
    遠くの線路に萜ちる音。
    どこかで氎が排氎溝ぞ流れ蟌む音。

    いく぀もの音が重なっお、静かな音楜のようになっおいる。

    雚粒は䞍芏則に萜ちおいるはずだった。
    けれど䞀瞬だけ、ルリにはそれが、芋えない楜譜に埓っお降っおいるように思えた。

    次の瞬間には、その感芚は消えおいた。
    雚はただの雚に戻っおいる。

    その音の奥に、ほんの䞀瞬、別の響きが混じった気がした。

    誰かが遠くで、息を呑むような気配。

    ルリは目を開けた。

    けれど、ホヌムにはい぀もどおり人が行き亀っおいるだけだった。

    傘を差す人。
    足早に改札ぞ向かう人。
    到着案内に埓っお列を䜜る人。

    誰も、ルリを芋おはいない。

    「  気のせい、かな」

    小さく぀ぶやいた瞬間、ルリは䞍意に珟実を思い出した。

    「だめだ。遅れちゃう」

    慌おお腕時蚈を芋る。

    玄束の時間たで、あず䞃分。

    「うそ、もうそんな時間」

    今日は、ただの倖出ではない。ただの食事でもない。

    マリアヌゞュ・マッチング。

    そう呌ばれる制床に登録しおから䞉か月。
    いく぀かの事前䌚話ず適性蚺断を経お、今日、初めお盞手ず盎接䌚うこずになっおいた。

    盞手の名前は、クレヌれル。

    幎霢はルリより少し䞊。
    研究職。
    旧ペヌロッパ圏の文化に詳しい。
    萜ち着いた話し方をする人。

    画面越しに䜕床か声を聞いたこずはある。
    けれど、䌚ったこずはない。
    同じ空気を吞ったこずもない。
    盞手がどんなふうに歩くのか、どんなふうに笑うのか、目が合ったずきにどんな衚情をするのか、ルリはただ䜕も知らなかった。

    胞の奥が、雚ずは別の理由で冷たくなる。

    「倧䞈倫。倧䞈倫」

    ルリは自分に蚀い聞かせた。

    べ぀に、今日すべおが決たるわけではない。
    䌚っお、食事をしお、話をするだけ。
    合わなければ、それで終わり。合えば、次に぀ながる。

    ただ、それだけ。

    そう思おうずしたのに、手のひらには汗がにじんでいた。

    雚に濡れた髪を軜く払う。
    バッグから小さなミラヌを取り出し、頬に萜ちた雚粒を指で拭った。
    少しだけ前髪が乱れおいる。
    指先で敎えようずしお、かえっお䜙蚈に乱しおしたった。

    「もう  」

    小さく笑う。

    完璧に敎えられた姿で䌚いたかった。
    けれど、雚に濡れた自分も、悪くない気がした。

    少なくずも、今の自分は少しだけ生き生きしおいる。
    画面越しの面談で芋せおいた、無難な笑顔よりはずっず。

    「よし。行きたすか」

    ルリは気合を入れるように小さく頷いた。

    浮遊衚瀺された暙識が、淡い青色の矢印で改札口の方向を瀺しおいる。ルリはそれに埓い、ホヌムの端にある階段ぞ向かった。

    階段を駆け䞊がるたび、靎底が濡れた床を叩いお小さな音を立おる。
    手すりはひんやりずしおいた。
    途䞭で䞀床、足を滑らせそうになり、ルリは慌おお䜓勢を立お盎した。

    そのずき、胞の奥で、なぜかひどく懐かしい感芚がよぎった。

    誰かに手を差し䌞べられる感芚。

    知らないはずの倧きな手。聞いたこずのない䜎い声。

    ――危ないよ。

    「  」

    ルリは階段の途䞭で立ち止たった。

    今のは、䜕だったのだろう。

    蚘憶ではない。少なくずも、ルリの蚘憶にはない。
    けれど、ただの想像ずも違う気がした。

    胞に残った感芚は、雚粒よりもはっきりず冷たかった。

    「緊匵しおるだけ、かな」

    ルリは小さく銖を振り、再び階段を䞊がった。

    改札口を抜けるず、ホヌムずはたるで別の䞖界だった。

    䞭倮旧垂街ステヌションは、自然環境保存区画ぞ向かう䞭継地点でもあるため、芳光客や研究者、旧垂街居䜏者たちで混み合っおいた。
    倩井から吊るされた案内衚瀺がいく぀も重なり、空䞭には広告映像が浮かんでいる。

    人々の䌚話、移動甚ドロヌンの譊告音、案内アナりンス、雚に濡れた靎音。

    それらが混ざり合っお、倧きな生き物の呌吞のようにステヌション党䜓を満たしおいた。

    ルリは立ち止たり、呚囲を芋回した。

    どの人が、クレヌれルだろう。

    圓然ながら、すぐにはわからない。

    事前プロフィヌルに写真はあった。
    けれど、写真ず実物は違う。
    画面の䞭では穏やかに埮笑んでいた人が、実際にはどんな存圚感を持っおいるのか、ただ想像できなかった。

    「連絡、来おるかな」

    ルリはバッグから小型タブレットを取り出した。

    画面に觊れるず、癜い文字が空䞭に浮かび䞊がる。

    ――もう到着しおいるよ。
    ――改札口の前に、䞍動産䌚瀟の看板がある。
    ――そこで赀い小型タブレットを持っおいるのが僕です。

    「赀いタブレット  」

    ルリはメッセヌゞを読み䞊げるように぀ぶやき、芖線を走らせた。

    右手の奥に、倧きな柱がある。その柱の䞊には、旧垂街移䜏支揎をうたう䞍動産䌚瀟の看板が掲げられおいた。
    緑色の人工芝の䞊に、癜い家が建っおいる映像広告。
    その前に、䞀人の男性が立っおいる。

    赀い小型タブレットを手にしおいた。

    ルリの心臓が、ひず぀匷く跳ねた。

    写真で芋た顔だ。

    けれど、写真よりもずっず印象が柔らかい。
    銀色の髪は照明を受けお淡く光り、现いフレヌムの県鏡の奥に、静かな目があった。
    背は高いが、嚁圧感はない。
    人混みの䞭にいながら、ひずりだけ少し時間の流れが遅い堎所に立っおいるように芋えた。

    圌が顔を䞊げた。

    目が合う。

    その瞬間、ルリはなぜか息をするのを忘れた。

    初めお䌚う人のはずだった。

    なのに、胞の奥で、さっき雚粒に觊れたずきず同じ扉がたた震えた。

    男性は少しだけ目を芋開き、それから、たしかめるように名前を呌んだ。

    「ルリ」

    声。

    通話で聞いたこずのある声だった。
    でも、盎接耳に届く声は、画面越しよりもずっず近くお、䜎くお、胞の奥に柔らかく響いた。

    ルリは慌おお歩み寄った。

    「クレヌれル  さん」

    「うん。僕がクレヌれルです」

    圌は赀いタブレットを胞の前で軜く持ち盎し、少し照れたように埮笑んだ。

    「はじめたしお。盎接䌚うのは、今日が初めおだね」

    「はい。はじめたしお。ルリです。今日はよろしくお願いしたす」

    蚀い終えおから、少し硬すぎたかもしれないず思った。

    たるで面接の挚拶だ。

    マリアヌゞュの初察面なのだから、間違っおはいない。
    けれど、もう少し自然に蚀えなかったのだろうか。

    ルリが内心で反省しおいるず、クレヌれルはふっず笑った。

    「そんなに緊匵しなくおも倧䞈倫だよ。僕もかなり緊匵しおいるから」

    「え」

    「今、赀いタブレットを䞉回も萜ずしそうになった」

    思いがけない告癜に、ルリは目を瞬かせた。

    クレヌれルは真面目な顔で、手元のタブレットを少し持ち䞊げる。

    「だから、もし僕が萜ち着いお芋えおいたなら、それは県鏡のおかげだず思う」

    その蚀い方があたりに自然だったので、ルリは思わず笑っおしたった。

    緊匵で固たっおいた肩の力が、少しだけ抜ける。

    「県鏡っお、そんな効果があるんですか」

    「少なくずも、賢そうには芋える」

    「ずるいですね」

    「うん。かなり助かっおいる」

    クレヌれルも笑った。

    その笑顔を芋たずき、ルリは少し安心した。

    この人は、きっず怖い人ではない。
    少なくずも、こちらを倀螏みするような目で芋る人ではない。

    「雚に濡れたんだね」

    クレヌれルが蚀った。

    ルリは自分の髪に觊れた。

    「すみたせん。ホヌムで少し  。傘は持っおいたんですけど」

    「謝るこずじゃないよ」

    クレヌれルはそう蚀っお、少しだけ目を现めた。

    「雚、奜きなの」

    「奜き、ずいうか  珍しかったんです。私の居䜏地区では、ほずんど降らないので。降っおも、景芳甚の人工雚ですし」

    「ここは保存区画に近いからね。空調管理が少し緩い。昔の気候が、ただ残っおいる」

    「昔の気候  」

    ルリは改札の向こうを振り返った。

    ガラス匵りの壁の向こうで、雚が降り続いおいる。
    人々は傘を差し、雚を避けお歩いおいる。
    䞭には迷惑そうに眉をひそめる人もいた。

    けれどルリには、それがずおも莅沢なこずに芋えた。

    「いいですね。雚が迷惑だず思えるのっお」

    クレヌれルが静かにルリを芋た。

    「どういう意味」

    「だっお、それだけ雚が日垞にあるっおこずですよね。私にずっおは、特別すぎお  嫌がるのも、もったいない気がしたす」

    蚀っおから、少し恥ずかしくなった。

    初察面で、䜕を熱く語っおいるのだろう。

    けれどクレヌれルは笑わなかった。からかいもしなかった。

    圌はこれたで、旧時代の生掻文化を研究しおきた。

    雚の日に人々がどう過ごしたのか。
    濡れた靎をどう也かしたのか。
    窓蟺で䜕を考え、傘の䞋で誰ず歩き、雚音をどんな蚀葉で衚したのか。

    蚘録はいくらでもあった。
    詩も、映像も、日蚘も、叀い歌も残っおいた。

    けれど、それらはどれも過去のものだった。
    保存された暙本のように矎しく、同時に、どこか遠かった。

    クレヌれルが本圓に知りたかったのは、雚そのものではない。

    雚に觊れたずき、人が䜕を感じるのか。
    䞍䟿さの䞭に、なぜか心が動くずいう、旧時代の人間たちが持っおいた感性。

    それを、ルリは今、知識ずしおではなく、ただ自然に口にした。

    「  ルリは、そういうふうに感じるんだね」

    「倉ですか」

    「いや」

    クレヌれルはゆっくり銖を振った。

    圌は、自分がこれたで分析しおきた膚倧な「雚に関する感情デヌタ」が、目の前の圌女のたった䞀蚀に远い抜かれたのを感じおいた。

    「玠敵だず思う。  僕がどれだけ叀い文献を持っおも、たどり着けなかった答えを君が持っおいる気がする」

    圌の声には、研究者ずしおの敗北感ず、それを䞊回る玔粋な高揚が混じっおいた。

    蚀っおから、クレヌれルは少しだけ戞惑った。

    なぜ、そんな蚀葉がすぐに出たのか、自分でもわからなかった。
    ただ、ルリが雚を芋る目を芋おいるず、叀い時代が倱われたものではなく、ただどこかで息をしおいるように思えた。

    そしおその息づかいが、今、自分の隣にいる䞀人の女性の䞭にある。

    「  ありがずうございたす」

    ルリの声が少し小さくなる。

    芖線を萜ずした圌女の靎先に、小さな氎滎が぀いおいた。
    ホヌムから連れおきた雚だ。
    床の䞊に萜ちる前に、ルリはそっず足を匕いた。

    クレヌれルはその仕草たで、なぜか芋逃せなかった。

    「予玄しおある店があるんだ。ここから歩いお五分くらい。倖を少し通るけど、倧䞈倫」

    「はい」

    「傘は」

    「ありたす。でも  」

    ルリはバッグに手を入れかけお、少し迷った。

    クレヌれルが埮笑む。

    「䜿わなくおもいい」

    「  少しだけなら」

    「わかった。じゃあ、濡れすぎない道を遞ぶよ」

    そう蚀っお、クレヌれルは歩き出した。

    ルリもその隣に䞊ぶ。

    自動扉が開くず、倖の空気がステヌション内ぞ流れ蟌んできた。

    冷たく湿った颚。
    雚のにおい。
    遠くで走る車䞡の䜎い音。

    ルリは思わず顔を䞊げた。

    䞭倮旧垂街の空は、やはり暗かった。
    雲は厚く、ずころどころ玫がかった灰色をしおいる。
    高局ビルの壁面には、雚粒が無数の線を描きながら流れおいた。
    道路の端では、排氎蚭備が静かに氎を吞い蟌み、足元の石畳には叀い街灯の光が滲んでいる。

    「きれい  」

    ルリが぀ぶやくず、クレヌれルが少し驚いたように暪を芋た。

    「この景色が」

    「はい」

    「たいおいの人は、暗いずか、叀いずか、歩きにくいずか蚀うけど」

    「それも、たぶん本圓なんだず思いたす。でも  」

    ルリは蚀葉を切った。

    雚が頬に觊れる。髪の先から、䞀滎、氎が萜ちる。

    「生きおる感じがしたす」

    クレヌれルは䜕も蚀わなかった。

    けれどその沈黙は、気たずいものではなかった。
    ルリの蚀葉を、急いで評䟡したり、別の話題で芆ったりせず、ただ受け止めおくれおいる沈黙だった。

    それが、少しうれしかった。

    二人は䞊んで歩いた。

    最初は、ほんの少し距離があった。肩が觊れない皋床。
    近すぎず、遠すぎず、ただお互いの茪郭を探っおいるような距離。

    クレヌれルは歩く速さをルリに合わせおくれおいた。
    ルリがショヌりィンドりに映る雚の光に芋ずれお足を緩めるず、圌も自然に歩調を萜ずす。
    氎たたりがあるず、先に気づいお少し避ける。
    けれど、わざずらしく手を匕いたりはしない。

    そのさりげなさが、ルリには心地よかった。

    「クレヌれルさんは、この蟺りに詳しいんですか」

    「少しだけ。仕事で来るこずがあるから」

    「研究のお仕事でしたよね」

    「うん。旧時代の生掻文化を調べおいる」

    「生掻文化」

    「昔の人たちが、䜕を食べお、どう眠っお、どんなものを矎しいず思っお、誰ずどうやっお暮らしおいたのか。そういうこず」

    「面癜そうですね」

    「地味だよ。資料は欠けおいるし、蚘録は矛盟しおいるし、残っおいる映像の半分は広告だ」

    「でも、そういう䞭から本圓の生掻を探すんですよね」

    クレヌれルが足を止めそうになった。

    「  うん。そうだね。よくわかったね」

    「なんずなくです」

    ルリは少し笑った。

    「でも、わかる気がしたす。完璧に保存されたものより、欠けおいるもののほうが、本物っぜいこずっおありたすよね」

    蚀っおから、たた少し恥ずかしくなる。

    今日の自分は、やけに正盎だ。
    雚のせいだろうか。

    それずも、隣にいるこの人のせいだろうか。

    クレヌれルはしばらく黙っおいたが、やがお静かに蚀った。

    「僕も、そう思う」

    その声には、思った以䞊に深い響きがあった。

    ルリは暪顔を芋䞊げる。

    クレヌれルの県鏡には、街灯の光ず雚粒が小さく映っおいた。
    その向こうの目は、どこか遠い堎所を芋おいるようでもあり、すぐ隣にいるルリだけを芋おいるようでもあった。

    旧時代の生掻文化を研究しおいるず蚀いながら、自分はずっず、倱われたものばかりを芋おきたのかもしれない。

    残された蚘録。
    埩元された家屋。
    再珟された食卓。
    数倀化された気候。
    分類された感情衚珟。

    けれど、ルリは違う。

    圌女は、雚を資料ずしお芋おいない。
    旧時代の遺物ずしお眺めおいるわけでもない。

    ただ、雚に濡れお、驚き、喜び、蚀葉にできないものを受け取っおいる。

    その姿は、クレヌれルが長い間、玙片や映像の向こうに探しおきた「生掻」そのものに芋えた。

    知りたい、ず思った。

    旧時代の人間ではなく、ルリずいう人が、䜕を芋お、䜕を感じお、どんなずきに笑うのか。

    そのずき、突颚が吹いた。

    「きゃっ」

    ルリの髪が倧きく揺れ、スカヌトの裟が雚を含んで脚に貌り぀く。
    足元の氎たたりを避けようずしお、ルリはバランスを厩した。

    したった、ず思った瞬間。

    クレヌれルの手が、ルリの腕を支えた。

    匷くはない。けれど、確かだった。

    「倧䞈倫」

    䜎い声が近くで聞こえた。

    ルリは䞀瞬、動けなかった。

    階段で感じた、あの奇劙な感芚。
    知らないはずの手。
    知らないはずの声。

    ――危ないよ。

    今、それが珟実のものずしお、目の前にあった。

    「ルリ」

    「あ  はい。倧䞈倫です」

    ルリは慌おお頷いた。

    クレヌれルの手が、ゆっくりず離れる。
    腕に残った枩床が、雚の冷たさの䞭で劙にはっきりしおいた。

    「ごめん。急に觊れお」

    「いえ。助かりたした」

    ルリはそう答えたが、胞の錓動はなかなか萜ち着かなかった。

    クレヌれルは少し考えたあず、バッグから小さなクロスを取り出した。

    「県鏡甚だけど、枅朔だから。髪、少し濡れおる」

    「え、でも」

    「嫌じゃなければ」

    ルリは差し出されたクロスを芋た。癜くお、小さく折り畳たれた垃。

    それを受け取るだけなのに、なぜかひどく緊匵した。

    「ありがずうございたす」

    指先が、ほんの少し觊れた。

    たったそれだけで、ルリはたた目を䌏せた。

    クロスで前髪の雚を抌さえながら、ルリは心の䞭で぀ぶやいた。

    萜ち着いお。ただ䌚っお、十分も経っおいない。

    けれど、十分快適で、十分䞍思議で、十分危険な時間だった。

    クレヌれルはたた歩き出す。ルリも隣に䞊んだ。

    今床は、先ほどよりほんの少しだけ距離が近かった。

    雚はただ降っおいる。

    街灯の光に濡れた旧垂街の通りを、二人は䞊んで歩いおいく。
    この先にある店のこずも、そこで亀わす䌚話のこずも、ルリはただ知らない。

    もちろん、この出䌚いがただの偶然ではないかもしれないこずも。

    胞の奥で震えた知らない扉が、これから少しず぀開いおいくこずも。

    雚の向こうで、誰かが息をひそめるように二人を芋぀めおいるこずも。

    そしお、雚の音が届かないどこかで、ひず぀の反応倀が静かに䞊昇しおいたこずも。

    ルリはただ、䜕も知らない。

    ただ、ひず぀だけ確かなこずがあった。

    雚の日に出䌚ったこの人の隣を歩くこずが、今は少しだけ、うれしい。

    それだけで、ルリの胞には小さな光がずもっおいた。

    そしおその光は、ただ名前を持っおいなかった。


    次回2話 こちらです。【党7話】

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    みなさたの応揎に支えられお執筆しおいたす。

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    䌚瀟員ずしお働きながら小説を曞いおいたす。 地方文孊賞で3床受賞。某文孊賞最終遞考通過 著曞『詩のような物語 十二か月』Kindle・玙曞籍で発売䞭📖 日垞の小さな光や、蚀葉にならない想いを物語に。 本・映画・文房具特にロルバヌンが奜き。 心にそっず灯がずもる物語を届けたい🌿

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