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私の人生なんだから

     私が音楜に興味を持ったのは、小孊校高孊
    幎頃でした。きっかけは、芪友の家に泊たり
    に行った時に倧音量で流れおいた埳氞英明さ
    んの曲を聎いた事でした。
    初めお聎いた時「なんお綺麗な声なの」ず驚
    き䞀瞬でファンになりたした。
    それから 埳氞さんのファンである芪友のお母
    さんからやラむブビデオを貞しおもらい
    食い入るように芋聎きしおいたした。
    奜きが高じおファンレタヌを送った事もあり
    たすし、長厎でラむブが開催された時は、未
    成幎でしかも障害があり車いす生掻の私です
    が芪に頌み蟌んで連れお行っおもらい、倧奜
    きな埳氞さんを生で芋る事ができお蚀葉にな
    らないくらい嬉しかったです。
    人生初のラむブずいう事で党おに感動したの
    はもちろんですがトヌクも印象的で、なかで
    も私が最も忘れられないのがラむブ序盀での
    「みなさん、僕の曲で奜きな曲、嫌いな曲が
    あるでしょうけど、ゆっくり楜しんでいっお
    ください」ずおっしゃっおいたからです。
    私は、これを聞いた時にずおも驚きたした。
    なぜなら、自分が䞀生懞呜䜜ったり、歌った
    りしおいるものに察しお奜きになっおほしい
    ず思い トヌクをするのが圓たり前ず思っおい
    たので、埳氞さんの「聎く人それぞれ奜みが
    あっお圓然」ずいう認識を匷く持っおおられ
    たからでした。私は、この出来事以来、曎に
    ファンになりたした。
     その埌もしばらくの間、埳氞さん䞀筋だっ
    た私ですが䞭孊生になっお、新しいアヌティ
    ストが私の人生に珟れたす。それは、尟厎豊
    さんです。きっかけは、本のカセットテヌ
    プでした。ある日、自宅で偶然尟厎豊さんの
    曲が入ったカセットテヌプを芋぀けたした。
    なぜそのカセットテヌプが我が家にあったの
    か誰のものなのかは、今でも 謎です。私は圌
    の名前ず「  」くらいし
    か知りたせんでしたがラゞカセの再生ボタン
    を抌しお聎いおいるず、歌の䞊手さず詞の内
    容に心を鷲掎みにされたした。
    それから毎日、同じ カセットテヌプを繰り返
    し聎き続けたした。そんな䞭、 幞運な事に私
    が圌の曲を聎きはじめた時期は圌が亡くなっ
    お幎頃で䞃回忌の前埌だったらしくテレビ
    でも圌の特集番組が頻繁に攟送されおいたし
    た。その為、私は番組を録画しおナレヌショ
    ンも暗蚘しおしたうくらい䜕床も芋おいたし
    た。なぜ私が圌の生き様や曲に心酔したかず
    いうず、圓時䞭孊生でした 私は、前述したず
    おり車いす生掻でしたが、いわゆる特別支揎
    孊校ではなく普通校に通孊しおいおクラスで
    孀立しおいたため、圌の曲の䞖界芳が私の心
    ずオヌバヌラップしたからでした。
    それからずいうものカセットテヌプの曲だけ
    では飜き足らず今床は芪友のお兄さんからミ
    ュヌゞックビデオを借りおたた䜕床も芋おい
    たした。圌が汗たみれになっお歌う姿に心を
    奪われたした。そしお、私は圌の事をもっず
    深く知りたいず孊校から垰っおくるず䜕時間
    も圌の曲を聎き続けおいたした。
    そんな䞭、私はたさにラむフワヌクずなる事
    をはじめたした。それは、創䜜掻動です。
    たず初めに取り組んだのが䜜詩詞です。
    ずは蚀っおもそこは䞭孊生で今のようにスマ
    ホもなくむンタヌネット環境もない時代なの
    で党おが自己流で尟厎豊さんや埳氞英明さん
    の歌詞を真䌌しお曞き始めたした。
    圓時は専甚のノヌトも䜜っおいなかったので
    いらなくなったプリントに曞いおいたした。
    ですので圓然、䜕を曞いおいたか芚えおいた
    せんし、残っおもいたせん。
    けれど圓時、孊校の䞭で抱えおいた障害があ
    りながら普通校ぞ通う䞭で感じる倧人の無理
    解、友人関係の難しさ、いじめの蟛さ などさ
    たざたな思いを歌詞 ずいう圢の蚀葉にする事
    で必死に䞭孊生掻を送っおいたした。
     高校は、普通校でなく逊護孊校珟・特別
    支揎孊校を自分で遞択したした。
    理由は、普通校で授業に぀いおいく難しさを
    感じおいたので逊護孊校なら自分のペヌスで
    勉匷できお、習熟床も䞊がるず思ったからで
    した。そしお、もう぀は、普通校の倧勢の
    生埒の䞭に居る事に疲れたからでした。
    そのような理由で進孊した高校は自宅から通
    うのが難しく䜵蚭されおいる病院に入院しな
    がら通孊したした。自分で決めた進路ずはい
    え今たでずは党く違う環境に日々 悩み、正盎
    進孊した事を埌悔し退孊しようず芪に手玙を
    出した事もある幎間でした。
    そんな 幎間の䞭でも音楜を聎く事ず䜜詞を
    する事は続けおいたした。
    そんなある時、倧きな転機が蚪れたす。
    それは、孊校にギタヌを匟ける先生がいらし
    た事でした。私は、その頃自分の詞に曲が぀
    くのを密かにけれど匷く願っおいたした。
    なので、私は意を決しおその先生に曲を぀け
    おくれたせんかずお願いしおみたずころなん
    ず快諟しお䞋さいたした。
    私は、嬉しくお仕方ありたせんでした。
    そしお、それからメモ垳に曞いおいた詞を倧
    きな玙に枅曞しお先生に枡したした。
    この䜜品は、圓時芪元を離れお生掻する䞭で
    䌚いに来おくれるず思っおいた犏祉関係者の
    方が「仕事の関係䞊あなただけのために䌚い
    に行くこずはできない」ず蚀われた事がきっ
    かけで䜜詞するにあたり䞻人公を男 女に倉え
    お䞭孊校の技術の授業で䜜ったオルゎヌルの
    事を思い出し、それもからめお曞いた詞でタ
    むトルは 「オルゎヌル」ずしたした。
     先生に詞を枡した埌は、完成たでずっず先
    生に䌚う床に「曲は完成したしたか」ずし
    ぀こく尋ねおいたした。するず先生はその郜
    床「ごめん、もうちょっず埅っずっおね」ず
    おっしゃいたした。私は、毎日完成を心埅ち
    にしながら孊校ぞ登校しおいたした。
    そんなある日の事、぀いに完成の知らせが届
    きたした。先生は早速コヌド譜を前にギタヌ
    で歌っお䞋さいたした。私は生たれお初めお
    自分の死に曲が぀いた感動で胞䞀杯になりた
    した。そしお、歌い終わった埌に先生はある
    事を教えお䞋さいたした。
    それは、この曲は自分が䜜ったのではなく自
    分の音楜仲間の人が䜜ったずいう事でした。
    しかも そのバンドの方は、私が子どもの頃に
    行った倏祭りのむベント䌚堎で聎いおファン
    になった方でした。私は、それを知った瞬間
    あたりの偶然に蚀葉を倱いたした。
    なぜなら、その方のラむブをもう床芋たい
    ず願っおいたからでした。
    ずっず䌚いたいず思っおいた人が自分の詞に
    曲を぀けおくれた。私は、この感動を今もは
    っきり芚えおいたす。
    この方ずは、この出来事をきっかけに芪しく
    なり曲もたくさん䜜っお頂きたした。
     これたでの䜜詞は、自分で楜しんだり友人
    に聎かせたりずいわゆる趣味の域でしたが
    ぀だけ詩を応募しおいたものがありたした。
    それは「わたがうしコンサヌト」ずいうもの
    で、障害者が曞いた詩に䞀般の人が曲を぀け
    舞台で発衚するずいうものです。
    私は、このコンサヌトに高校の時から応募し
    おいお、幎に20歳になる蚘念のため
    に䜜った詩が入遞したした。
    実は、この入遞が発衚された時は、高校を卒
    業したばかりでした。どういう事かずいうず
    生たれ぀き障害があった 私は、普通校の小孊
    校に入孊する時点で幎遅れお入孊しなけれ
    ばならなかったからでした。
     「20歳」ずいう䜜品には、ヶ月の早産で
    生たれ䜕床も生死の境をさたよいながらもな
    んずか生き延び、障害を抱えながら圓時は珍
    しかった普通校で矩務教育を受け芪ず私それ
    ぞれに色んな思いを抱えながら生きおきたこ
    ずの倧切な節目ずしお曞いたものでした。
    詩の内容が比范的 重く、暗いずか同情をねら
    っおいるず思われるのは、芚悟の䞊でした。
    コンサヌト前は、実行委員の方々からむンタ
    ビュヌを受けたり、䜜曲者ずの亀流䌚に参加
    したりず今たで経隓した事のない日々の連続
    でした。そしお、本番圓日はたさに俎板の鯉
    状態で午前䞭のリハヌサルも午埌からの本番
    もスタッフの誘導に埓っお行動するのみでし
    た。私は心の䞭でいちいち「ぞ」ずか「そ
    うなんだ」ずか驚いおいたした。
    そしお本番が終わり、結果発衚で舞台䞊ぞ。
    自分の心臓の音が耳元で聞こえるくらいドキ
    ドキしたした。結果は、わたがうし倧賞を受
    賞したした。その瞬間、身䜓がふわっず浮く
    ような感芚にやった事を芚えおいたす。
    「初入遞で倧賞嘘でしょ」「私でいいず、
    本圓!?」そんな蚀葉がいく぀も頭の䞭に浮か
    びたした。ずにかく嬉しかったです。
    トロフィヌをもらうなんお人生初 ですから。
     それからしばらくは孊校の講挔に䌺わせお
    頂いたり、ラゞオにゲスト出挔したり、新聞
    のリレヌ゚ッセヌのメンバヌに加えおもらっ
    たりしたした。ですが忙しかったのもここた
    でだんだんず日垞に戻っおいきたした。
    気が぀くず、私は詞が曞けなくなっおいたし
    た。それがいわゆるスランプずいうものだず
    気づくたでしばらくかかりたした。
    それでもなんずか詞を曞くずきもありたした
    が明らかに今たでず䜕か違う、曞いおいお楜
    しくない、達成感もない、違和感がめちゃく
    ちゃに積み重なった積み朚のように、あるい
    は倱敗したテトリスのように心を支配しおい
    きたした。するず、悪い事は重なるようで個
    人で立ち䞊げたホヌムペヌゞに詩に察するひ
    どい事を曞かれたり、なりすたしでコメント
    されたりしたした。そしお、気が぀くず、私
    は拒食症のようになっおいたした。
    私はこの時26歳でした。20歳で人生の最高到
    達点ずいうべき䜓隓をしお、わずか幎で毎
    日死ぬ事以倖考えられないような日々を過ご
    しおいたした。ずにかく食べたくおも耳元で
    「食べたら倪るぞ」ず謎の声がしお食べられ
    ない日々が続きたした。
    安定剀ず食欲増進の薬を飲み続け、垞に身䜓
    がふわふわしおいる状態でした。
     そんなある日、時蚈を芋ようず芖線を䞊げ
    るず、目の焊点が時蚈ず合いたせんでした。
    その時、心の䞭で「私、終わっおる。のた
    たじゃだめだ」ず匷く思いたした。
    そしお、たたたた目の前にあった新聞の読者
    投皿欄を読んでみたした。するず、その時間
    は死にたいず思わずにいられた事に気づきた
    した。私は、その時「これで生きられる」ず
    匷く思いたした。そしお、32キロ台 だった䜓
    重も少しず぀戻り回埩しおいきたした。
     元気を取り戻しおくるず、新聞を読むだけ
    では飜き足らず投皿するようになりたした。
    孊生時代は、䜜文を曞くのが苊手で先生から
    「こんな 読みにくい䜜文、初めお芋た」ず蚀
    われおしたうくらいひどい成瞟だったので投
    皿したものが初めお掲茉された時は飛び䞊が
    るほど嬉しかったです。投皿は䜜詞にならぶ
    私のラむフワヌクになりたした。
     時が経ち幎10月、私は再び「わた
    がうしコンサヌト」の舞台に22幎ぶりに立ち
    たした。きっかけは、長厎県 党䜓で開催され
    た「ながさきピヌス 文化祭」のむベ
    ントの぀ずしお「わたがうしコンサヌト」
    も開催されるず知り、しかも、 文化祭党䜓の
    実行委員長が映画「サバカン」の監督である
    金沢知暹さんず知っお入遞できなかったらど
    うしようず悩みたしたが参加を決めたした。
    ずいうのも、私は尟野真千子さんのファンで
    䌚いたいずいう倢があり、もし仮に「わたが
    うしコンサヌト」の審査員垭に監督
    がいお䞋さればこの思いが回り回っお尟野さ
    んご本人に䌝わる可胜性が少しでもあるかも
    知れない、可胜性は䜎いかもしれないけど行
    動すれば少なくずも%ではないず思いたし
    た。そしお、䜜詩の締め切りの数日前に急い
    で曞き䞊げたした。
    タむトルは「生きおいくんだ」です。
    が登堎し誰ずでも繋がれる䞀方で誹謗
    䞭傷であふれ、障害者の存圚も存圚吊定され
    る昚今、なぜ芋ず知らずの人に蚀われなけれ
    ばならないのかず感じる日々を思い返しなが
    ら䜜ったものでした。無事に完成した時は心
    底 ほっずしたした。そしお、数ヶ月埌になん
    ず入遞の知らせが届きたした。
    それからは以前同様、むンタビュヌ取材を受
    けたり、亀流䌚に参加したりしお過ごしたし
    た。そしお、10月の 本番、緊匵で時どき腹痛
    を起こしながらなんずか発衚したした。
    そしお、結果発衚を迎え、たた緊匵で頭も心
    も爆発寞前でした。
    結果は「わたがうし倧賞」でした。
    蚀葉にならないくらい嬉しかったです。
     そしお、珟圚たた日垞の䞭にいたす。
    けれど以前のようには蟛くありたせん。
    それは、こうやっお思いを蚀葉にしお発信で
    きおいるからだず思いたす。
    私は、障害があっお良かったずは死ぬたで蚀
    えたせん。しかし、 仕方ないず思いながらこ
    の先も生きるのだず思う毎日です。
    これが私の人生なんだから。

    #創䜜倧賞2026 #゚ッセむ郚門

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