何者かになりたい病
心に避雷針を飼っている人は強い。
強くて孤独でどこか危うい。
あえて痛みを受け入れそれ以上の苦しみを防ぐ様は、自傷行為に似ている。
そんなことはどうでもいいんだけど、
おにぎりって三角である必要あるのかな。
三角であることの恩恵を受けるのは最初の一口だけなのではなんて思うけど、きっとあれが最適解なんだろうね。
自分が思いつくようなものはすでに他の人が実行していて、だからこそ救われるし絶望する。
「何者かになりたい」とはどういう欲求なのだろうか。
マズローの欲求階層説でいうところの自己実現の欲求だろうか。
そうであるならば、何者かになりたいと願う人間は人生の基盤が整っていて、これ以上求めるものがない段階にいるのかもしれない。
未だ開発中の渋谷みたいに、一生完成しない街並みを眺めながら、狭い連絡通路で揉まれている。
それはものすごく恵まれていることで、だからこそ満たされない。
便利であることと幸せであることは比例しないが、こう思うこと自体贅沢なのかもしれない。
感謝すると同時に絶望する。
相反する感情に生かされ、苦しんでいる。
みんな役が欲しいんだ。
自分が何の役かも分からず舞台に立つのは無茶なことだ。
何者かになりたいというのは、当て書きの台本が欲しいということなのかもしれない。
期待しないという処世術がある。
それに納得する一方で、何にも期待しない人生にはデザートがあるのだろうかと思う。
植物に水をやるように髪を耳にかけて欲しいし、寝ている頬を優しく撫でて欲しい。
あなたの瞳に映る自分と、朝鏡で見た自分が似ても似つかなくてお腹の辺りがソワソワする。
辛いものを食べすぎたかもしれない。
ずっと人生にまとわりつく倦怠感と仲良くなれる日はくるのだろうか。
結論を急ぎすぎる性格は死を早めると思う。
熱いコーンスープは少し冷ました方がいいし、カップラーメンが出来上がるまでの3分間は何をしてたっていい。
自分で自分を縛っているだけで本当はもっと自由なのかもしれないね。
私もあなたも。