
授業メモ|しんどかったので、ちょっと変えた話⑥|それでも授業は来る編
あの頃は、朝から体が重い。通勤中から、もう少ししんどい。
学校に着いても、頭の中がぼんやりする。廊下の声や職員室の音が、いつもより強く刺さる。
授業前になると、またあの教室に行くのかと思う。
それでも授業は来る。
今だから少し落ち着いて書けますが、当時は毎日のように「・・・」と思っていました。
何が、というより、全体的にです。
生徒の声、廊下のざわつき、職員室の物音、ちょっとした反応。
そういうものが一つひとつ別の問題としてではなく、まとめて体に入ってくる感じがありました。
たぶん、その時の自分に、いろいろなものを受け止める余力がほとんどなかったのだと思います。
厄介だったのは、授業がうまくいっていないわけではないことでした。
実際には、授業自体は回っている日もありました。生徒が活動している日もあったし、こちらの問いかけに反応してくれる日もありました。
それでも、何かの声や反応が引っかかる。少し変な空気を感じる。
こちらが気にしすぎているのか、自分が何か変なことを言ったのか、あとからずっと考えてしまう。
授業としては成立している。でも、体の方が反応している。
たぶん、これがいちばんきつかったのだと思います。
外から見れば、普通に授業をしているように見える。
実際、プリントも進んでいるし、生徒も活動している。けれど自分の中では、授業前からずっとざわついていました。
気持ちが整っていなくても、チャイムは鳴ります。もうしんどいと思っていても、時間割は進みます。
今日は無理だなと思っていても、教室には行かなければならない。
この「それでも授業は来る」という感じが、いちばんきつかったのかもしれません。
だから私は、自分の中で「低調日モード」を作るようになりました。
調子が悪い日は、無理に盛り上げない。声を張らない。
中学校の復習を入れて、板書やスライドに沿って淡々と進める。
活動は短く区切る。まとめまで行けたら、それでよしとする。
これは、手を抜くというより、授業を崩さないための運転モードでした。
この「それでよし」と思えるようになるまで、少し時間がかかりました。
以前の自分なら、授業後にいろいろ反省していたと思います。
もっと盛り上げられたのではないか、もっと考えさせられたのではないか。
自分には、そこまで求める余裕がありませんでした。
まず教室に入る。授業を始める。大きく崩さず終える。
それだけで、かなり大きな仕事でした。
このシリーズで書いてきた工夫も、今思えば、全部そこにつながっていた気がします。
教卓の前に立ち続けるのをやめたのは、全員の視線を真正面から受け止める形がしんどかったからです。
少し横にずれる。斜めから話す。入口の近くに立つ。座って話すことも増やしました。それだけで、「教師対生徒」という感じが少し弱まりました。
スライドを使うようになったのも、見栄えのためではありません。
正直に言えば、自分が授業中に迷わないためでした。
次に何をするか、どこで終わるか。
それを全部、自分の頭の中だけで抱えるのがきつくなっていたので、流れを外に出しました。
今思えば、あれは授業改善というより、自分のための手すりでした。
新聞を授業の最初に入れたのも、かなり大きかったです。
毎時間、最初にやることが決まっている。
この流れがあるだけで、授業の入り口が少し安定します。
生徒も何をすればいいか分かる。こちらも、いきなり本編に飛び込まなくていい。その数分で、教室の空気を見ることができる。
今日は落ち着いているのか、疲れているのか、こちらもどのくらいのテンションで入ればいいのか。
新聞は、生徒のための活動であり、自分が授業に入るための助走でもありました。
調子の悪い日ほど、こういう型に助けられました。
今日は深くやらない。今日は盛り上げない。
そう決めて授業に入るだけで、少しだけ楽になります。
それで全部が解決するわけではありません。
しんどいという感覚が消えるわけでもないし、体のざわつきがなくなるわけでもない。
低調な日には、低調な日の進め方がある。そう思えるだけで、教室に入る前の重さが少し変わりました。
このシリーズで書いてきたことは、「いい授業をするため」の話だけではありません。 教卓から少し横にずれる。座って話す。新聞で入口を固定する。どれも大きな改革ではなく、かなり地味な調整。
これまでのように、「頑張れば何とかなる」と思えない。
必要なのは、立派な教育論ではなく、明日の授業や業務に向かう自分を少しだけ軽くすること。
それでも授業は来る。だから、自分で手すりを作っていく。