
知的好奇心が高い人ほど、遠回りするのかもしれない
知的好奇心と社会的成功は、
必ずしもイコールではない。
最近、そんなことを知った。
むしろ、
知的好奇心が高い人ほど、
人生の遠回りをしやすいのかもしれないとさえ思う。
私は昔から、
「知りたい」という気持ちが強かった。
幼少期から、
「なぜ?」「どうして?」
が溢れるほどあった。
けれど、周囲にそれを聞くと、
「そんなことも分からないのか」
と言われることがあった。
兄弟の中に、
新聞を読んで早くから知識を養っている者がいて、
それと比較されて発せられた言葉だったのだろう。
だから、私は、
人に「聞く」ことをしなくなった。
かといって、
当時の私は辞書で調べるようなマメさもなく、
分厚い辞書が好きではなかった。
つまらない文字の配列に圧倒されるくらいなら、
分からないまま放置した方がマシだとさえ思っていた。──────────────────
しかし、大人になり、
年を重ねるごとに、
私の知的好奇心は別の形で芽吹いていった。
新しいことを知る。
仕組みを知る。
人の背景を知る。
「なぜそうなるのか」
それを自分の中で咀嚼し、
納得できる形に変えていく。
そんな時間が、
私は案外、好きなのだと気づいた。
でも——。
知的好奇心が高い人が、
そのままいわゆる「成功者側」へ行けるわけではない。
世の中には、
要領よく進める人がいる。
迷わない人。
割り切れる人。
決断の早い人。
きっとそれも一つの才能だ。
その要領の良さに知的好奇心が掛け合わさると、
社会的成功へ向かって一気に加速していくのかもしれない。
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一方で、私はといえば、
自分の中に物事を落とし込むまでに、
どうしても時間がかかる。
「点」と「線」を繋ぎ、「納得」
というステップを一段ずつ踏みながらでしか進めない。
だから、
これまでの人生、
遠回りも多かった。
効率的とは言えない歩みだ。
たとえ便利なAIを活用したとしても、
最終的に
「自分の公式」で落とし込まなければ、
本当の意味で体得できないという不器用さがある。
でも最近、
つくづく思う。
こうした遠回りこそが、
人生の「彩り」そのものなのではないか、と。
まだ、
人生は途中だ。
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▶未来へ置いておきたい一節
遠回りをした人にしか、
見えない景色もある。
効率だけでは辿り着けない場所が、
人生にはきっとある。
── quietly brave ──
答えを急がなかった時間も、
無駄ではなかったのだと思う。
人生は、
まだ途中なのだから。
またここで会えたら嬉しいです🍋🟩
miki
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