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Photo bysuper_acacia155

50歳からの再生〇〇で真実の愛と勘違いした愛3つと気づき

    ka‐ko

    新興宗教に足を踏み入れそれが愛だと信じて
    幸せをさがして突き進んでいた時期があった。
    自分の存在価値やありのままの自分を肯定してくれる場所を求めて辿り着いた先が新興宗教だった。新興宗教にいた頃を振り返り勘違いした愛について書いてみようと思う。

    勘違い愛1 温かく安心の愛

    結婚生活の中で夫のモラハラや子供の不登校が重なり精神的に追い詰められた時期があった。
    夫は自衛隊で船に乗りたまに帰ってきては忙しい、色々なことはお前に任すと言われ話しあうことすら出来ずにいた。
    その為に夫には何も相談できない、私ひとりで
    やらなきゃというプレッシャーを感じていた。
    誰にも必要とされてない孤独感や自分が空っぽ
    になった感覚だった。そんな私に新興宗教団体の女性はまるで太陽のような笑顔で
    「あなたはひとりじゃない」と言ってくれた。
    その言葉は孤独や不安をうめてくれるような
    精神的な支えや安心感を与えてくれた気がした
    また自分の辛さを聞いてくれて大変だったね、辛かったねと共感してヨシヨシしてくれ私を受け入れてくれたことが心のヨリドコロになっていた。

    勘違い愛2 自己犠牲の愛

    教祖の名前が明かされた時は最初は驚きと戸惑いを感じた。すぐにその情報をうけ入れ疑うことなく信じ続けてしまった。
    既にこの時点で完全にマインドコントロールの影響をうけてしまっていた。

        マインドコントロール
       言葉や態度で相手の心を操り
       自分のいのままに行動させること
        本人が気づかないうちに
        考え方や行動を支配する

    愛は無条件に与えるものという教えに従い
    自分自身の感情は抑えて相手のために尽くす
    自分を犠牲にしていることに疑うことなく
    献身的に団体の活動に参加していた。
    布教活動に参加する中で信頼できる人達の温もりや自分をありのままうけ入れてくれる場所が出来たことにより生きている価値を見出せていたのかもしれない。

    勘違い愛3 夫と共に歩む信仰愛

    実際に献身的に夫に尽くすことで夫のモラハラが一時的に良くなりいい方向に夫婦関係が改善したと思われた。
    この教えを家庭にも必要と思い込みこの宗教を夫と共に歩めれば夫婦の絆が深まっていくのではないかと真剣に考えたこともあった。
    マインドコントロールにかかっていたことも知らずにこの教えこそが真実の愛と固くなに思いこんで突き進んでいた。

    その後


    ある時宗教団体の集会があり夫には供養祭にいくと言って出かけて行った。供養祭から帰ってきた時に夫は
    夫「どこにいっとたんか!」と大声を張り上げた

    私「供養祭にいくって言うとったやろ」

    夫「供養祭が怪しいと思って調べたら〇〇宗教団体とでてきたけどそうなんか?」

    私「そう〇〇宗教団体だよ。すごくいい宗教だから一緒に入ろうと考えているけどどうかな?」

    夫の顔が瞬く間に鬼の形相になり
    夫「この団体は金集めの宗教や!なんでそんなとこ入っとんや、信じられん」

    私「そんなことない、そんなことない、すごくいいとこなんよ。なんでいつも私の言うことに否定ばっかりするんよ」
    怒りや悲しみで泣いていた。

    夫は宗教団体に関する資料を私に差し出し
    夫「ように見てみいや、こんなに酷い団体だったとわかるから」

    と言われても夫に拒否されたことにが悲しくて泣き続けていた。

    まもなくして夫が側にきて私を胸に抱きよせて

    夫「俺がお前を守るから、大丈夫だから
    大丈夫、大丈夫」
    と夫も泣いて一緒に泣いた。

    その言葉で私はマインドコントロールから
    解かれる瞬間だった。

    その後宗教団体からの電話におびえるようになり家に押しかけてこないか心配で毎日精神的に不安定だった。
    外に出かけられなくなり夜に子供付き添いで買い出しに行ったりと今おもえば宗教団体脱出後の後遺症だったかもしれない。

    気づき


    新興宗教の中に感じた愛は未熟な愛だった

    ありのままうけ入れてくれた愛

    ヨシヨシしてくれた愛

    優しくしてくれた愛

    私は赤ちゃんの未熟な心を持ち
    快、 不快
    好き、嫌い
    良い、悪い
    の感情で反応していたことに気づいた。

    優しさ、温かさ、共感、励ましは 好き

    厳しさ、批判、叱る       嫌い 

    夫が私に対して優しく励まして共感してくれる時はめちゃ愛されてると思って好きだけど
    ダメ出しされたり、自分でなんとかしろと厳しく言われたら嫌いになってしまう思考パターンを繰り返していた。

    嫌いな言葉は即座に拒否していた

    指摘、批判、苦言は嫌な部分として捉え
    あなたに言われたくない、そんな話し聞き
    たくないと相手を拒絶してなかったものにして
    しまっていた。
    新興宗教の中で心地良さの基準で良いとこだけ見てそれ以外の不快なこと宗教団体の欠点はうけつけないという頑固さもあったことに気づいた。

    嫌いな言葉も自己成長に必要

    厳しい指摘、忠告、批判などは自分の欠点、弱点を指摘され聞くのは耳が痛くなるが
    まずは相手が何を伝えようとしているのか
    聞く姿勢をもつ。
    また自分の中の改善すべき点や課題に気づき
    自分で考えて行動していく機会を与えてくれる
    言葉として受け入れることが必要だ。

    良いことも悪いことも自分の一部分として 
    受け入れ自分の中で統合されると
    自己成長につながっていくと考える。

    終わりに

    今、ちょぴり心が成長した私が

    あの時の私に声をかけるとしたら

    自分なりに頑張ってたから

    それでええよ

    だけど

    心ちよい言葉だけじゃなく

    少し耳が痛い言葉も受け入れていくと

    心が成長していくんだよ

    その答えは自分の中にある

    きっと見つかるはず



















     
     
     
    長い人生の経験はすべて私の宝物 30代ASD姉妹の自立/60代夫婦の暮らし 認知症の父との大切な時間 家族との日々の気づきや学びをゆるく 綴っています。 私の経験が誰かの明日に温かく届きますように☘️

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