ひさびさお日さま、居場所のないハンバーグ|ただただ短い日記
10月1日
久しぶりに太陽を見た。
在宅勤務で朝時間があったので、ここぞとばかりに洗濯を2回まわす。
ベランダに洗濯物を干している時、ほんの短い時間だけれど陽射しを浴び、じわじわぁと更新された感じがした。しみじみ「あぁ、人は太陽の光を浴びて生きなきゃだめだよ」と思う。
夜、打合せがあり、晩ご飯を作り出すのが遅くなったのに、夫が久々に早く帰って家でご飯を食べるという。よし、せっかくだから使いそびれていた冷凍庫のひき肉を使おう。
買ってからしばらく経っており、何を作ろうとしていたか思い出せない。
無性にピーマンの肉詰めが食べたくなってしまった。作るの面倒なのに。ピーマンないから買いに行かなきゃなのに。しかも冷凍ご飯も切れてしまい、ご飯も炊かなきゃなのに。
肉詰めにしても肉巻きにしても、材料は一緒でも詰めたり巻いたりした方が1ランクは確実に美味しくなる。
あれこれ考える前に手を動かすことにした。
近所のスーパーでは小ぶりなピーマンしか売っていなかった。肉だねと全然バランスが合わない。
ピーマンという居場所がなかった肉だね達は、ハンバーグになった。ハンバーグも好き。小さいピーマンには「なぬっ」と思ったけれど、おもいがけずハンバーグが出来上がったのはだいぶ良しとしよう。
晩ご飯を食べながら、録画しておいた『団地のふたり』を観た。
舞台となる団地は築50年を超え、建替え計画が進んでいる。主人公の2人、2人を取り巻く住人達は団地に長く暮らしていることもあり、団地への思い入れが強い。
昔、団地に関わる仕事をしていたので、そんなに愛着を持ってもらっていることは何だか嬉しくなる。
自分はどうだろう。
実家には20数年、社会人になるまで住んでいたけれど、ドラマの登場人物たちのような愛着はない、気がする。
私が家を出てから20年近く経つ。物は増えたけれど大きくは変わっていないし、今は実家に近いのでいつでもふらっと立ち寄れる。
だからなのか、ふるさと的な意味合いの「実家感」は薄い。
両親が健在というのも大きいだろう。
時間でも、場所でも、少し離れないと、懐かしさや愛着は湧かないのかもしれない。

こんなやり取りをしてたり、してなかったり
(掲載できるような盛り付けでなかったので
イラストにて)
