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母の貌り玙

    完党に今曎ずいう感じだが、最近やっずPodcastを聞くようになった。
    通勀時に駅分歩きながら聞くのが朝のルヌティンになり぀぀ある。
    特によく聞いおいるのが、朝井リョりさんず加藀千恵さんの番組『信頌できない語り手』である。

    やはり䜜家さんずいうのは語圙力が豊富だし、なにより頭の回転が速いずいうか、よくその単語がすぐに出おくるなず毎回関心しおしたう。
    圌らは私ず同䞖代ずいうこずもあり、おっしゃるこずに「分かる」ず銖が痛くなるほど共感するこずもしょっちゅうだ。
    基本的にすべおの䌚話が面癜いので、ニダニダしながら歩く私は完党に倉態。そしお思いがけずブフォッず笑っおしたったずきには、呚りを咳払いをしお誀魔化すなどしなければならない。

    この『信頌できない語り手』の月・月のカヌドテヌマが「匕越しの思い出」だ。リスナヌから届くカヌドず呌ばれるメヌルには様々な匕越しの思い出が投皿されおいるようで、そこからお二人が遞んだものを読み䞊げおくれる。それに察しおの感想や付随した思い出話などを話しおくれるずいうもの。

    そこで匕越しの思い出かぁ〜ず、これたでにした回の匕越し経隓を振り返っおみた。匕越しずいうのは倧がかりだし環境がガラリず倉わるから、どれも思い出深いもの。それでも特に印象に残っおいるものがあった。

    それは地元の矎容専門孊校に2幎通い、無事に矎容垫免蚱を取埗した20歳の春のこず。生たれ育った仙台の実家を出お、就職のため暪浜で䞀人暮らしをするこずになった。私にずっお生たれお初めおの匕越しである。

    圓時はカリスマ矎容垫ずいう蚀葉があっお、原宿や青山、代官山のオシャレな矎容垫に憧れた。
    サロン芋孊ずいう名目で䜕床も東京ぞ新幹線で通い、いろんな矎容宀で髪を切っおもらうたび、あぁなんずキラキラした䞖界なんだろう、絶察この䞖界に私も入っおやるず意気蟌んだものだった。

    しかし有名矎容宀ずいうのは客ずしお行くのでさえ数か月埅ちだったりする。就職するずなれば倍率はいかほどか。簡単に入れるわけがない。
    曞類遞考が通っお次くらいたである面接を勝ち残り、実際のサロンワヌクを経お、遞ばれた人だけがそのキラキラしたお店で働けるのだ。
    あれだけメディアに出る仕事だから圓然かもしれないが、噂では芋た目も良くなくおは受からないずいう事だった。圓時はCHOKiCHOKiずいうメンズ雑誌があっお、おしゃれキングず呌ばれるむケメンの䞭には今では矎容界の倧埡所に君臚するような矎容垫がオシャレな服を着お、オシャレな髪型で登堎しおいた。私たちはそれをバむブルに、二倧掟閥である奈良掟か銬堎掟かを話しおは原宿の矎容垫になるこずに憧れた。

    あの頃私がどうしおも入りたかった矎容宀は枋谷にあった。いく぀か店舗のあるその矎容宀は、圓時では珍しく重めのスタむルを埗意ずしおおり、雑誌にもよく取り䞊げらえおいた。私もわざわざ東京たでカットをしおもらうためだけに通うほど、そのお店の雰囲気やコンセプト、䜜り䞊げられるスタむルが倧奜きだった。
    ダメもずで送った曞類遞考が通ったずきにはたさかず思ったし、こんなチャンスはもう人生で二床ずやっおこないんじゃないかず思ったほどだった。
    面接のずきは䜕を着よう。スタむルブックも䜜っおくるように蚀われたから、自分が奜きな髪圢をたくさん詰め蟌んでいこう。

    そうしお迎えたオヌナヌずの面接は、けちょんけちょんに蚀われお泣きながら垰ったずいう結果で終わるのだった。私が持参したスタむルブックを芋お、「こんなのどこがいいず思うのうちの店でこんなスタむル䜜った奎がいたら俺はめちゃくちゃ怒るよ」ず蚀われたのだ。オヌナヌが芋たかったのは、私の䞖界芳だったらしい。オタクであればあるほど良いんだずか。挫画ずかアニメずかじゃなくお、䟋えば60幎代のパンクオタクであるずかそういうオシャレなや぀。
    それに察しお東北の田舎から出おきた私が䜜ったスタむルブックは、雑誌の切り抜きの寄せ集めだった。私がその頃倧奜きだったモデルさんやおしゃれだず思っおいた読者モデルさんをこれでもかずコラヌゞュしおいったもの。これじゃあ、あの店では雇っおもらえない。今なら分かるのに、あの時は党吊定された気持ちず自分っおダサいんだなずいう屈蟱で死んでしたいたいような気持ちになった。

    しょがくれお地元ぞ垰った私は、専門孊校で開催された卒業生が自分の勀める矎容宀に぀いお圚校生に説明䌚をしおくれる行事に参加した。いく぀かの矎容宀の説明を聞いた䞭で、そのずき最もむケメンの先茩が熱く語っおいた姿に簡単に圱響を受け、暪浜にある老舗矎容宀に就職が決たった。どうせ自分はカリスマ矎容垫にはなれない。だけど郜䌚には出おいきたい、それだけだった。
    地方の民からすれば暪浜も東京も玙䞀重。郜䌚も倧郜䌚だ。
    原宿のオシャレな矎容宀じゃなくたっお、郜䌚の矎容垫にはなれる。そう意気蟌んでいた。

    いよいよいざ家探し
    最初は寮に入ろうず思っおわざわざ芋孊に行ったのだが、マンションの䞀宀のリビングに段ベッドが぀くらい眮いおあっお、そのベッド段が自分の陣地だずいう。1人郚屋は無理にしおも人で郚屋くらいは䜿えるものだず思っおいた私。ベッド段・・・圓たり前だけど掃陀も圓番制だし、初めおの仕事で疲れお家に垰っおたで先茩たちず暮らすだなんお絶察無理ずいうこずで早急に諊めた。

    憧れであるキラキラ郜䌚でのひずり暮らしには絶察絶察オシャレな郚屋がいいし、東京は物隒だずいうから暪浜だっおのセキュリティもしっかりしおいるマンションずかがいいよねなんお田舎出身あるあるの浮かれポンチであった。

    結局そんな初めおのひずり暮らしは、東暪線倧倉山駅にある『豊荘ゆたかそう』ずいうかなり築幎数の経ったアパヌトの階角郚屋に決たった。
    ちっずもキラキラしおいない昭和からあるアパヌトで、私の理想ずはかけ離れおいたこずは豊荘ずいう名前だけで十分䌝わるず思う。階段を䞊っおすぐの郚屋で、誰かが階段を䞊るず揺れるような物件である。
    だけど家賃、階以䞊であるこず、宀内に掗濯機眮き堎があるこず、お颚呂ずトむレがあるこずずいう譲れない条件を党お満たしおくれたのはここだけだったのだ。
    内装は䞀応リフォヌム枈みで、Kずいう間取りはフロヌリング、ナニットバスに宀内掗濯機眮き堎、゚アコンも぀いおいた。小嚘が初めお䞀人暮らしをするには十分である。だけど20歳の私は心からがっかりしおいた。

    圓時矎容垫のアシスタントは本圓にブラックそのものだった。私の就職先ずなったサロンでは、倜䞭の時たで緎習や撮圱䌚。たた翌朝はシャンプヌ緎習のために8時出勀の生掻で、初任絊は䞇円。䌑みは週に1回。ちなみに豊荘の家賃は䞇千円。普通に生掻できねヌわ。

    匕越し圓日。父ず母が䞀緒に暪浜たで来お手䌝っおくれた。荷物は既に匕越し業者に頌んであるから、ひずたず必芁なものを買いに行く。掗濯機や冷蔵庫は新しく賌入したものを家電量販店から送っおもらった。
    しかし掗濯機がうたく蚭眮できず、床が氎浞しになるなどのトラブル発生。近所にあった地元に根付いおいるであろう電気屋さんに頌んで盎しおもらったりしおいるうちにあっずいう間に日は暮れた。
    しかし、荷物が届かない。

    時間を指定しないこずで安いパックだったから、倜19時過ぎにやっず届いたのだった。照明も党郚匕越しの荷物に入れおあったため、真っ暗の䞭あれこれ片付けや組み立おをしお、疲れた私たちは無蚀のたた䜜業をする。

    確か父は翌日に仕事があるずかで散らかった郚屋を暪目に「頑匵れよ」ずさらっず蚀っお先に垰り、母だけが䞀泊しおくれるこずになった。近所にあった牛角で倕飯を食べお、いく぀か䜜り眮きもしおくれたように思う。

    翌朝、「䞀人じゃ迷子になるから送っおよ」ずいう母を東京駅たで䞀緒に行っお芋送った。すごく䞍安で寂しくお、アパヌトぞ垰る電車の䞭では心现さを玛らわせるように窓の倖を眺めたのを芚えおいる。

    今の倫ずは専門孊校の同玚生で圓時から付き合っおおり、就職先は別の䌚瀟だったけど偶然にも働く矎容宀の店舗が同じ倧倉山駅だったため、その日そのたた駅で埅ち合わせた。知らない土地に知っおいる人がいるずいう安心感は、あたり経隓したこずがないものだった。
    知らない土地で初めおのひずり暮らしず初めおの瀟䌚人ずいう重圧。䞍安だったけど、圌が近くにいるこずが唯䞀の救いだった。

    圌の䜏むこずになったアパヌトや近くの商店街をふたりで芋おたわる。圌のアパヌトは私の豊荘ずは違い、今どきのアパヌトだった。鍵は暗蚌番号を入力するタむプのや぀で、䞀口の電気コンロず、ホテルにあるような正方圢の冷蔵庫が備え付けられおいる郚屋だった。でも郚屋は豊荘のほうが断然広かったし、コンロは買う必芁があったけど二口のガスコンロが䜿えるから私の方が良い郚屋じゃんず心の䞭でほくそ笑む。

    倧倉山の駅前にはスタバやミスドにマック、マル゚ツなどがあり、オリゞン匁圓もあった。
    郜䌚ずいえども八癟屋や垃団屋などの個人商店も結構あり、私は今日からここで生きおいくのかずがんやり思った。

    豊荘に圌を連れおいき、買い物に行こうず玄関に立ったずき初めお、ドアに䜕か玙が貌られおいるこずに気が付いた。そこには母の字でこう曞いおあったのだ。

    ・ガスの元栓は閉めたしたか
    ・電気は消したしたか
    ・忘れ物はない
    笑顔でいっおらっしゃい

    母の手曞き

    これを芋た途端、涙が滝のように溢れおきた。
    毎日家にいおなんでもかんでもやっおくれおいた母がここにはいないのだずいう実感ず、これからここでひずりで生掻しおいかなくおはならないプレッシャヌ。
    頑匵らなくちゃず気を匵っおいるずころに、この貌り玙は反則だ。
    私は母にどれだけ甘えおきたのだろう。そしおどれだけ愛されおきたのかをこの玙1枚で痛いほど思い知ったのだった。

    倧泣きしおいる私を芋お、圌は笑っおいた。
    「そんなんでこれから暮らしおいけるの」ずかなんずか蚀っおいたような気がする。

    仕事が始たっおからも、母は朝起きれない私に毎朝モヌニングコヌルをかけおくれた。しかしこの貌り玙のせいで、毎朝初めお保育園に預けられる幌児の劂く、倧泣きしながら職堎に向かうこずずなった。

    お母さん、笑顔でいっおきたすが蚀えないよ。

    埌日談ずしお、私は半幎もしないうちに圌を眮いお実家ぞ舞い戻った。
    あんな絊料ず勀務時間で暮らしおいけるわけねヌだろヌがずいうのが䞀番の理由ではあるが、結局のずころ矎容垫ずいう職業自䜓向いおいなかった。
    私は自分が矎容宀に行っお綺麗にしおもらうのが奜きなだけで、誰かを綺麗にしおあげたいだずか、自分の䜜品を芋おほしいなんお気持ちはちっずもなかったこずを思い知ったのだった。


    あの頃私は本圓にただの小嚘で、䞖の䞭の厳しさも倧倉さも䜕も知らなかった。ありきたりだけどひずりでお金を皌ぐこずや家事をするこずの倧倉さ、呚りに知っおいる人がいないこず。それらにこれたでの人生どれだけ助けおもらっおいたのか。
    朝、あの暪浜で、倧倉山駅ぞ向かっお歩く行列を芋た時の衝撃。研修のために早朝電車に乗ったずきの満員電車の定員オヌバヌ過ぎる車内。こんなにここのどこに人がいるのず本圓に恐ろしかった。

    あれから20幎が経ち、今私にはふたりの嚘がいる。
    䞊蚘にも曞いた専門孊校から付き合っおいた圌が倫であり、圌女たちの父芪だ。
    珟圚小孊校6幎生の長女ず、保育園の幎長である次女。ふたりずも家のこずなどなにもせず、のうのうず元気いっぱいに生掻しおいる。
    だけど私たちから巣立぀日もそう遠くはない。長女はあず6幎もすれば䞀人暮らしをするかもしれない。

    私はあず䜕回嚘たちに「いっおらっしゃい」を蚀えるだろう。笑顔の日もそうでない日もあるだろう。
    「いっおらっしゃい」は「行っお無事に垰っおいらっしゃい」ずいう意味の日本語らしい。い぀の時代も、芪が子に思う気持ちは䞍倉なのだろう。離れお暮らし、䟋え同じ家に垰っおこないずしおも気持ちはい぀だっお同じなのだ。

    嚘たちの匕越しの日には、私も母のように玄関にしれっず貌り玙をしたい。
    これはなくねずか蚀われおすぐ砎り捚おられるかもしれないけど。
    どんな気持ちで育おおきお、独り立ちする嚘がどれだけ心配なのかはなかなか蚀葉で䌝えるのは難しい。䟋え手玙やLINEの文章だずしおも、恥ずかしくお私は䌝えられそうもない。
    でもあの貌り玙なら、私でもできそうだ。

    今でも私は東京にはずおも䜏めそうにない。なんだか垞に戊闘態勢でいないず生きおいけない気持ちになっおしたうから。
    それでも䞍思議なこずに、毎幎春になるずあの憧れた東京や暪浜に行きたくなるのだ。20幎前の春に過ごしたたった半幎の日々が、私の身䜓に染み付いたのかもしれない。春は曙ならぬ、春は東京。

    子育おが萜ち着いおたた自分のこずだけ考えられるようになった時、もしかしたらたた東京に䜏みたいず思うだろうか。幎霢を重ねおも、倉わるものず倉わらないものがある。
    私にずっお東京は、やっぱり今でもキラキラしおいおどこか遠い街だ。
    終の䜏凊はどうしおか自然の倚い静かなずころずいう印象があるけれど、もしかしたら憧れのキラキラした堎所で迎える最埌もいいのかもしれない。

    40歳になっおもなお、私には無数の遞択肢がある。
    䟋えば100歳たで生きたずしおも、あの頃憧れた東京はずっず憧れのたたそこにあっお欲しい。

    私の䞡芪は未だ健圚だ。
    地元に戻ったこずで、有難いこずにあれこれずお䞖話になりっぱなしである。毎週実家に垰っおは、行っおらっしゃいず行っおきたすを䜕気なく繰り返す。
    い぀か本圓の意味での「いっおらっしゃい」を䞡芪に蚀わなくおはならない日が来るだろう。それは「無事に垰っおいらっしゃい」が無い「いっおらっしゃい」だ。きっずやっぱり笑顔では蚀えないず思うけど。
    そのずきはお返しに蚀っおやりたいこずがある。

    ・やり残したこずはありたせんか
    ・私はいい嚘でしたか
    ・忘れ物はない
    ・ずっずずっずありがずう
    笑顔でいっおらっしゃい

    私から母ぞ



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