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ガチガチの蕎麦、忘れない言葉

    「私、お蕎麦ほどくの上手いんですよ」


    10年以上前に誰と、どこで、どんな暮らしをしていたかまではなんとなく思い出せても、そのとき何を話したかまでは、当たり前だが大体覚えていない。

    「忘れる」というのは今を健やかに生きるために人間に搭載された便利な機能であり、精神の均衡を保つためになくてはならないものだ。

    その機能がたまに、「全然重要な場面じゃないはずなのにずっと忘れられない」というバグを起こすことがある。

    冒頭のセリフがそれである。


    入社2年目のときの後輩との会話だから、10年よりもっと前。一緒に休憩に入って、各々スーパーで買ったお昼ごはんを従業員室で広げていたときに交わした会話だ。


    「私、お蕎麦ほどくの上手いんですよ」
    「蕎麦ほどくのに上手いとか下手とかあるの?」
    「あるんだな〜これが。見ててください」


    スーパーやコンビニで売られているごく一般的な冷やしかけ蕎麦を開封し、薬味を取り出し、ピッチリと固まった蕎麦につゆをかける。

    私だったらこのあと、蕎麦をゆすってゆすってとにかく揺らしたりひっぱったりして無理矢理ほどこうとするが、後輩は違った。

    ゆっくりと容器を傾け、しっかりとつゆに浸かった蕎麦を優しく揺らし、また違う角度に容器を傾け浸かった蕎麦をまた揺らす。そうしているうちに、ぎゅっと固まっていた蕎麦が千切れることなく綺麗にほぐれていく。

    おおー、すごい。確かに上手にほどいてる。


    「ね?上手いでしょ」


    そう得意げに笑っていた後輩とのやりとりと冒頭のセリフを、スーパーの蕎麦を食べるたびに必ず思い出す。そうして今では私も、後輩に倣って同じように蕎麦をほどいているのだ。


    快活で無邪気で芯が通った、ひまわりみたいな子だったなと思う。なんでも自分でやってみて、たくさん間違えて散々叩かれたあと、納得すれば素直に受け入れ、理不尽には絶対にあっかんべーをするタイプ。

    お互い成人前で、右も左も分からないような年齢で、それでも堂々と自分の信念をもって行動している姿が羨ましくて眩しいなと思っていた。

    私は基本自信がないし、得意なこともない。
    あったとしても、それを堂々と人に言えやしないし、褒められたときは「ありがとうございます」より先に「いやいや私なんて」が飛び出していた。好意をそのまま受け取るのが怖いから予防線を張り続けて、なんだかすごく卑屈な人間になったように感じたこともよくあった。

    後輩は違った。
    お蕎麦のほどき方ひとつとっても自信があれば胸を張っているし、誰かに褒められたときも「えへへ、それほどでも〜あります♩」なんていつも返していた。とにかく素直で可愛らしかった。

    この子の姿を忘れたくないと思ったんだろう。私もいつかこんな風になれたらなと、心のどこかで憧れていたから。

    どうやら、忘れる機能のバグなどでは決してなく、この先も忘れたくない記憶にしっかりちゃっかり自分でカウントしていたらしい。これからもずっと、「私、お蕎麦ほどくの上手いんですよ」が忘れられないんだろうな。


    今年も、スーパーでかけ蕎麦をよく買う季節がやってきた。そのたび私は頭の中で懐かしい言葉を反芻させながら、ゆっくりと容器を傾け、つゆにしっかりと浸かった蕎麦を優しくほどく。


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    考えすぎなアパレル店員のさけび 怖がらないでください 味方です

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